2.メイドの夜間飛行
ゴールドランド合衆国アップルヤード州――それが、魔女街のかつての名前だ。
逃げる異端者達はついには海を越え、この新大陸――ゴールドランドに辿り着いた。
「今日は瘴気が濃いわ……明日は晴れると良いんだけど」
ぼやきながら、メリーアンはふよふよと空を飛ぶ。
街の風景は混沌そのものだ。
流れ着いた異端者達は好き勝手に建物を建てる。そのため近代的なガラス張りのビルディングの狭間に、東方風の朱塗りの楼閣がねじ込まれていたりした。
さらに魔女達があちこちに魔除けのカボチャを置いていたり、芸術家集団が街灯に動物の骨を大量にぶらさげていたりと、街中はひどい散らかりようだ。
合衆国政府ですら、この魔都に触れようとしない。
かつては金環教の異端征伐軍が攻めてくることもあったが、近年はめっきり減っている。
「うわっ、痛ッ――くはないけど、もー!」
地上から放たれた銃弾が体をすり抜け、メリーアンはとっさに身を守る。
直後地上では小さな爆音が響いた。どうやらギャングと魔術師達が争っているようだ。
魔女街はいつも通り物騒だ。
「やだやだ……変な呪いとかが飛んでこないといいけど」
メリーアンは肩をすくめ、巻き込まれないよう飛行速度をややあげた。
クラリッサの店から出て十分ほど。
「よいしょ」
メリーアンは周囲に気をつけつつ、地上に音も無く降り立った。
そこは魔女街第四区の外れ――ラノワール
どこを見ても、人気のない建物が墓石のように林立している。耳を澄ませれば寂しげな風の音に混じり、どこかで朽ちた建物が崩れる音が聞こえる。
そして得体の知れない獣達の咆吼も。
「また三頭犬が増えた気がするわ……丘まで登ってこなければ良いんだけど」
愚痴りながらメリーアンは灰色の街を歩く。
『死の街区』と呼ばれるこの第四区は、ほとんど全体が廃墟と荒れ地に占められている。
魔女街成立以前は、ここには賑やかな町があったらしい。
しかしある時、この場所に異界へと通じる裂け目が開いた。そこから瘴気が噴き出し、魔物が暴れ出したことでかつての住民達は皆逃げ出してしまったという。
今もこの場所には薄く瘴気が漂い、様々な魔物が住み着いている。
朽ちた摩天楼の狭間を歩き、メリーアンは廃墟を見下ろす寂しい丘へと向かう。
そこにあるのは、いくつもの尖塔を従えた無骨な造りの城館だ。かつては要塞だったらしいが、物々しい見た目から『監獄館』と呼ばれている。
メリーアンは半年前から、この監獄館でメイドとして勤めている。
「旦那様はまだ帰っていらっしゃらないみたいね」
空っぽの車庫の様子を確認した後で、メリーアンは門をくぐった。
扉の前に立ち、エプロンのポケットから鍵を取り出――そうとしたところで、手を止めた。
後頭部に、なにか硬い物が当てられている。
「……そうだ。動くなよ」
押し殺した声が耳元で響いた。
まだ未熟な『肌』しか作る事ができないため、幽霊であるメリーアンの触覚は生きている人間に比べるとやや鈍い。
それでもメリーアンは自分の後頭部に押し当てられている物が銃口だと理解した。
「あの、一体――?」
「指示に従え――おお、なんだ。上玉じゃねぇか」
陰から現れたもう一人の男によって側頭部にも銃口を当てられる。こちらはスキンヘッドの男で、ほとんど全身に骸骨を模した派手な刺青を施していた。
メリーアンはふっと息を吐いて目を閉じた。
「答えろ。ここがあのルシアン=マレオパールとかいう野郎の屋敷だな?」
「……また旦那様が何かやらかしたんでしょうか?」
「てめぇは質問にだけ答え――!」
「いや、十分だ。『旦那様』って言ったじゃねぇか。つまりこいつはあいつのメイドで、ここがあいつの屋敷って事だろ」
背後の男は満足げに笑う。
さらにメリーアンの頭部にぐりっと銃口を押し当ててきた。
「さぁ次の命令だ、メイド。オレ達を中に案内しろ」
「へへ、ついでに旦那様が帰ってくるまでたっぷりオレ達の相手をしてもらおうか」
「お断りいたします」
「あ……?」
刺青の男が眉を吊り上げた。
メリーアンの少し困った顔で、わずかに首をひねって背後の男を見た。こちらの男はもう一人に比べてがっしりした体格で、金髪を細かく編み上げている。
その凶悪な人相を見つつ、メリーアンは申し訳なさそうに身を縮めた。
「私は旦那様から留守を預かっております。そしてあなた方のような方はお通ししないようにという命令を下されているのです」
「……ハ、なかなか愉快なことを言うじゃねぇか」
金髪の男は唇を歪め、肩を揺すって笑う。
直後、銃口が火を噴いた。しかしその瞬間、男達の口から驚きの声が漏れる。
「なっ――!」
「消えやがった! なんだ、魔術師か!?」
男達は目を剥き、辺りにめちゃくちゃに銃口を向けてメリーアンの姿を探した。
その様子をじっと観察し、メリーアンはうなずく。
「……二人とも普通の人間ですね」
実際はメリーアンはその場から一歩も動いていない。
単純に構成霊素エクトプラズムの表面を覆う『肌』を消した――実体化を解いただけだ。
完全な霊体――それは幽霊にとって全力で力を振るえる姿。
この姿のメリーアンは常人の目には映らない。どうやら二人とも魔術師ではなく、特殊な眼を持っているわけでもなさそうだ。
これなら一分もかからず退治できる。メリーアンはそう判断すると、カッと目を見開いた。
「飛べッ――!」
紫の瞳が鮮やかに輝いた。
歪んだ鐘の音にも似た独特の音とともに思念の力が空気を揺るがす。
直後、メリーアンを探していた男達の体が吹き飛んだ。
「ぐああっ――!」
それぞれ全身を塀にしたたかに打ち付け、呻き声とともに地面に沈む。
そのままぴくりとも動かない。
「……ちゃんと気絶したかしら。間違って死んでしまっていたら処理が大変なんだけど」
メリーアンは軽く構えをとりつつ、倒れた男達の姿を見る。
彼女の周囲には二つ三つほど、おぼろげな紫の火の玉が浮いていた。さらに左肩から指先も同じ色をした炎に包まれ、絶え間なく揺らいでいる。
鬼火はいわば幽霊の銃であり、その身を守る鎧でもある。
それを油断なく燃やしつつ、メリーアンはしばらく男達の様子をうかがう
やがて男達が動く気配がないのを見て、ふっとため息を吐いた。
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