第8話 2016・2017年の出来事
B医院の院長は学者肌の人でした。私の書いたコラムなどを真面目に読んでくれました。ただ、今は耐えて一発逆転と言われたのには驚きました。医師の発言らしくないと、がっかりしました。
ストイックな先生でした。節約には引きこもるのが一番良い。引きこもって瞑想してくださいと言われました。しかし、瞑想の方法は、私は専門家ではないからと、教えてくれませんでした。
2015年10月。金欠パニックになりました。友人に電話やメールをしては、口座に1万円から5万円、振り込んでもらいました。車でお金を持ってきてくれた友達もいました。手切れ金だからといってお金を送ってくれた女性もいました。
私は財布の中にいつも十万円以上入れていました。1万円札がなくなると、もうパニックでした。私は自炊をしていませんでした。ヘビースモーカーでした。喫茶店が好きでした。おおよそ、節約とは何かが分かっておらず、金銭感覚が狂っていました。
2016年の3月にも躁転しました。地活を出入り禁止、契約解除になりました。訪問看護が入りました。なお、ヘルパーさんは、2013年2月から継続して入っていました。
2016年3月の妄想は就Bが関係しています。私の業務は小説を書くことでした。1日4千字が目標でした。とある賞に応募することになったのです。これで興奮してしまったのです。
2016年の7月には就Bもやめました。私は帰属を完全に失い、瞑想するだけの生活になりました。状態は安定しませんでした。腰痛になり車椅子生活になったり、眠剤でふらついて転倒骨折したり、心房細動からくる頻脈発作で何度も救急車で運ばれたりしました。
一番ありがたかったのは、毎週遊びに来てくれるホテルマンの友達がいたことです。私の車椅子を押して、バスでB医院に行ったこともありました。2016年12月には、心臓病で検査入院もしました。一般世界との接点は、月1回の川柳の会だけでした。
父とは月1回程度会って、食事をしていました。母とは絶縁に近い状態でした。この頃の私の自己紹介は「孤独で貧しい精神障害者」でした。「薬で脳が委縮し、日常生活能力と金銭管理能力を失いました。社会生活は不可能です」というのが、決まり文句でした。
B医院でも状態は安定しませんでした。鬱と躁を繰り返しました。エビリファイのデポ剤という1ケ月効果の持続する薬を注射されてから1ケ月は錯乱状態になりました。
2017年8月に、新しい地活を見つけ通うようになりました。生活が変わり、友達もできました。この地活には、今も通っています。
しかし、B医院でも躁のコントロールは至難でした。使っていた薬は、リーマス、エビリファイ、インヴェガ、リスパダール、ソラナックス、ベルソムラ、ユーロジン、などです。
それにしても、お金がないから家に引きこもって瞑想するという治療は、どうだったのでしょうか。私は何時間も無我無想の瞑想ができるようになりました。バカになった気がしました。
2017年11月、企業年金が終わり、生活保護の申請が通りました。これで安心して病院に行けるとほっとしたのを覚えています。
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