第5話 転落の軌跡

2011年2月、自由定年退職。当時50歳。この時は寛解と言われていた。私は神戸の実家に住み、大阪の病院に通っていた。妻子は世田谷に住んでいた。単身赴任12が12年続いたのだった。私が退職した時、東京の千駄ヶ谷のステーキハウスで妻子と退職のパーティを開いたのは良い思い出だ。娘は中学3年生だった。転落。この時はまったく予想もしていなかったことだった。

私は何の計画もなく会社をやめた。フリーランスで生きて行けると思った。それ以前に、体調が悪く、もうすぐ死ぬという予感があった。お金を残して死にたくなかった。病院でも、どこも悪いところはないと言う。しかし、いま思えば糖尿病が悪化していたのだ。身体が重かった。

2011年6月。私はほぼ毎日フリーの雀荘に行った。月間500本以上という記録まで作った。上にぎりと生ビール。これが定番だった。幸せだった。

2011年7月、躁転。例の事件でM病院へ入院。これが転落のきっかけだった。M病院のY医師はろくな診察もせずに、仕事など無理です、早く生活保護になりましょうと言った。

この入院が転落の第1弾だ。

2ケ月で退院して元の大学病院に戻った。すぐに実家を離れろと言われ、マンションを借り一人暮らしを始めた。2011年12月の京都でのクリスマスパーティーの日に、突然、感情の平板化が起きた。薬の離脱症状なのか、統合失調症の陰性症状なのかは分からない。とにかく辛い状態になった。しかし、大学病院は寛解と言っているので、処方をしない。いろいろあって、私は薬をくれるM病院に転院した。これが転落の第2弾だ。

ここで障害厚生年金を申請した。2ケ月に1度お金が入るようになった。障害者意識が芽生えた。これが転落の第3弾だ。

障害者手帳も取得した。転落の第4弾は何だろう。行政の相談員にそそのかされ、家事支援のヘルパーを入れたことか。これで障害者意識はますます強固になった。

これではいけないと、再起を目指して近所のクリニックに転院したのが、2013年の2月。これがヤブ医者で飛んでもないことになった。2014年9月、警察に保護され入院。この時には、もうお金が無かった。この入院が転落の第5弾だ

2014年12月、離婚。これが転落の第6弾だ。

2015年1月退院。転居。盗難。2015年7月、自己破産。これが転落の第7弾だ。

それ以外にも、就労継続支援B型に行ったこと、地域活動支援センターに行ったことも転落だろう。それぞれ、第8弾、第9弾としよう。

生活保護が第10弾、金銭管理サポートが第11弾だろうか。

福祉のプロに言われた。

「崖っぷちなんです」

「いいえ、貴方は崖の下です」

転落。ここまで転落するとは思っていなかった。転落の第12弾は、無一文の常態化だった。

転落するしかなかったのだ。まだ生きている。それで良いではないか。

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