黒ウサギが何か買ってきたらしいですよ?

モリシゲル

黒ウサギが、パンを買ってきたらしいですよ?


 陽光に照らされる石畳。

 桃色の花弁が浮かぶ水路の音は、心が休まる。

「はぁ~、頑張った甲斐がありました」

 ”サウンザンドアイズ”にて仕事を引き受け、報酬をもらった黒ウサギ。

 膨らんだ革袋を頬ずりしながら、軽い足取りで帰路に着いていた。

「これで当分のあいだ、楽ができそうです」

 ウサギ耳がピコピコと、彼女の喜びを表すように動く。

 今回の報酬はいつもよりもボーナスが含まれており、コミュニティの運営を担っている黒ウサギにとって嬉しい誤算だった。だが同時に、

「しかし、ここまでたくさんいただいてしまっても、よろしかったのでしょうか?」

 豊満な胸の前で、思い悩むように革袋を見つめる。

 白夜叉から袋を頂いた際、「黒ウサギ、今回は日頃の礼も含めておる。これでお主も少し羽を伸ばすがよい」と言っていた。

 黒ウサギからしてはありがたい限りなのだが、こんな大金……自分のためだけに使うのは、抵抗を覚える。

「白夜叉様はああ言っていましたが、やはり黒ウサギとしても一人で使うのは少し……」

 悩む。

 善意で頂いたからこそ、言われた通りに使うのが筋なのだろうが、ここで甘えたら今まで我慢していたものが、容易く壊れてしまうのではないかと、不安だ。

 そう思った矢先……ほんわか甘い香りが、黒ウサギの鼻を撫でる。

「くんくん、この匂いは……」

 黒ウサギは小鼻を空へと向け、香りが濃い方へとふらふら歩きだす。そして、

「っ! これは……!」

 誘われた先には、最近新しくできたベーカリー。

 そこは安くて美味しいパンはもちろん、ユニークな商品も取り扱っていると、ちまたで話題になっていた。

 ぞろぞろと人だかりが絶えずでき、新しいパンが急ピッチで焼かれ、香ばしい匂いがあたり一面に漂う。それに釣られて、新規のお客さんがやってきてパンを焼き……まさに無限ループ。

 そんな甘い罠に、黒ウサギのステキ耳はぴくぴくと反応し、ごくりと喉を鳴らした。


※※※※


「ただいま帰りましたー!」

 ドドーンと、開け放たれる扉。

 その部屋に集まっていたのは問題児たち、逆廻十六夜、久遠飛鳥、春日部耀。

 古風な赤茶色ドレス姿の飛鳥は、テンション高く入室してきた黒ウサギに対して、若干引き気味の視線を遣る。

「ど、どうしたの、黒ウサギ? なんだか、やけに気分がよさそうだけど……」

「あっは! 気付いちゃましたか!」

「……」

「よ、耀さん、そんな顔をしないで下さいよ!」

 火と水を比べているのかと思うほど、黒ウサギの笑顔と耀の冷ややかな表情はかけ離れていた。

「……で、俺たちを急に呼び出して、なんか用か、黒ウサギ?」

 妙にテンションが高い彼女に、ソファに深く座る十六夜はへらへら軽薄そうな笑みを浮かべながら訊く。

「ふふんっ、その言葉を待っていました! じゃーん!」

 その期待に応えるよう、黒ウサギは背中に隠していた紙袋を見せつける。

「おっ」

「あらっ」

「ん」

 問題児たち三人は、出てきたそれに一瞬で目を奪われた。

 バターと砂糖の甘い香りがふっくらと漂い、繊細な火加減に包まれたであろうパンの表面は、小麦色に焼け温かみを感じる。


「どうです? パンが、ぱんっぱんに入っていますよ!」


「ないな」

「ないわね」

「ない」

 黒ウサギがさらっとぶち込んだボケは、容赦なく足蹴にされた。

 黒ウサギは「満場一致っ!?」と声を荒げるも、スッと駆け寄ってきた耀に注目を奪われる。

「美味しそうな匂いがすると思ったら、パンだった」

「ちょっ、耀さん! 急にこんな近くに……っ!」

「アンパンにメロンパン……おっ、カツサンドか」

「って!? 十六夜さんっ!?」

「私はアンパンをもらおうかしら」

「あ、飛鳥さんまで!? って、あ……っ」

 その言葉を最後に、黒ウサギはひょいっとパンが入った袋を問題児たちに取り上げられてしまい、テーブルの上に広げられた。

「オレはこいつをもらうぜ」

「私はこれ」

「じゃあ私はこれにしよ」

「勝手すぎませんか!? 黒ウサギが買ってきてあげたんですよ!?」

 パンの購入者である黒ウサギはプリプリとステキ耳を揺らし、文句を言う。

 が、

「なに言ってんだ、黒ウサギ? よく考えてみろ」

「なにをですかっ!」

「お前はこのパンを、オレたちのために買ってきた。そしてそれをオレたちが食べようとしている……問題があるか?」

「それ以前の問題でございますよっ!」

 非常にむり無理やりな極論をぶつけられた黒ウサギはグワァッと盛大にツッコミを入れるが、十六夜の話に耳を貸しているのが間違いだった。

「はむっ……あら、美味しい」

「はむはむ……うん、甘い」

「飛鳥さん、耀さん!? いつの間にっ!?」

 食べていた。

 飛鳥と耀は、騒々しい十六夜と黒ウサギの会話をよそに、平然と、我が物顔でパンを食べていた。

「み、みなさんとそろって食べたかったのにぃ……」

「そう落ち込むなよ、黒ウサギ……ムシャムシャ」

「十六夜さんまで!?」

 黒ウサギのハートは容赦なく叩きのめされ、しゅぅんと空気が抜けた風船のようにへたり込んだ。

「みなさん……勝手すぎでございます……」

 肩を落とし嘆く黒ウサギの目の前では、気にも留めずに焼きたてのパンを平らげていく問題児たち。

 まさに天国と地獄。

(はぁ……いつものこと、でございますよね……)

 黒ウサギは渇いた笑い声をこぼし、三人に全部食べられてしまう前に、自分やジン坊っちゃんのためにパンを取っておこうと、立ち上がろうとしたそのとき……。


「黒ウサギ! 喉が渇いた!」


 荒々しい口調での命令。

 ムカァッと、黒ウサギは腹を立てる……が、その声の主を見て目を見開いた。

「えっ、耀……さん……?」

「なに、黒ウサギ。文句でもあるのか?」

 ドカッと……春日部耀はソファに備え付けられたテーブルに足を乗せ、パンを偉そうに一口ほおばった。

 唖然とする。

 なんせ、普段無口な耀からは、絶対に出てこないだろう声量に言葉づかい……目に余るほどに行儀の悪い態度なのだから。

「ぼーっとしてる暇があんなら、とっとと持ってこい」

「あ、あの……耀さん?」

「さっきからなんだ? 私がここまで言ってんのに、飲み物の一つ持ってこれないのか?」

「い、いえ……そういうわけじゃ……」

「あ~……ボソボソじれってぇな」

 耀は機嫌悪く、ガシガシと頭の後ろを掻く。

 そしてジトッと、黒ウサギを蛇のごとく睨み付けると――、

「え……っ!? ちょ、耀さん……きゃッッッ!」

「私の言うことが聞けない黒ウサギには、しつけが必要だな。それも、とびっきりの」

「ど、どいてくださいませ! 耀さんっ!」

 恐るべき跳躍力で、黒ウサギを押し倒し、馬乗りになった春日部耀。

 マウントポジションを獲得した耀は、十六夜が浮かべるような軽薄そうで不敵な笑みを浮かべる。

「退くわけないだろ、黒ウサギ。今から、そのエロい体を使って、××や○○するんだから」

「耀さん!? 正気に戻ってくださいっ!?」

 黒ウサギとしても、今まで頑なに守ってきた貞操をこんな形で奪われるのは嫌だ。それが同じギルドの仲間である耀だとしても、同性に奪われるのは色々とショックが大きい。

 だが、耀は抵抗する黒ウサギを見てさらに興奮が昂ったのか。危ない目つきに段々と変わり始めた。

「はぁはぁ……く、黒ウサギ安心しろ」

「どこをどう見たら、安心できますか! お馬鹿!」

 耀は狼が餌を前にしたときのように息を荒げ、下賤に口角が上がっていた。

「大丈夫、痛くない……ちゃんと、そのステキ耳綺麗にひっこぬくから」

「このステキ耳をッッッ!? ゼッタイッ、ダメでございますよッ!」

 しかし、黒ウサギがいくら叫ぼうが、ホールドされた腕が解放されることも、耀が正気に戻る兆しもない。

 一方で、馬乗りになった耀は顔をジリジリと近づける。

 端正な顔つきに浮かぶ、不釣り合いないやらしい顔の緩みに、黒ウサギの背筋に悪寒が走った。

(このままでは、二百年守ってきた黒ウサギの貞操に傷が……っ! これはもう、致し方ありません……)

 黒ウサギは覚悟したように拳を作り、髪の色を――、

「あ、あのぉ……耀ちゃん? 黒ウサギも嫌がってるし、それくらいでいいんじゃない……かしら?」

 拍子抜けするような、か細い声。

 黒ウサギはギフトを使うのを思わず中断し、馬乗りになる耀も「あン?」とその主を睨んだ。

 すると、

「ひっ!」

 弱々しい悲鳴。

 耀の睨みは、確かに凄みがあり悲鳴を上げるのはわかる。が、その悲鳴を上げた人物に、素っ頓狂な声が出てしまった。

「あ、飛鳥さん!?」

 両親に叱られた幼子のように、頭を押さえ涙目を浮かべた久遠飛鳥。

 プライドが高く、例え怖がっても虚勢を張るような、気が強い少女……なのだが、今目の前に立っている彼女には、まるでそんな気質始めからなかった、そう言うしかないほどに、ふるふると怯えている。

「なんだ、飛鳥? 私に文句でもあるのか?」

「へぇっ!? そ、そういうわけじゃ……」

「だったらなんで、止めようとした?」

「それは、えっと……黒ウサギが嫌がってたから……」

「それが飛鳥に関係あるのかっ!」

「ひゃっ!? か、関係ありません! ごめんなさいっ!」

 ぺこぺこと頭を下げる飛鳥に、それを指差しケラケラと笑う耀。そして、

「おいおい、耀ちゃん。手荒な真似は、よしてくれよ?」

「たくっ……今度はなんだ?」

 聞き慣れた声でありながら、どこか……いや、完全に違和感を覚える、丁寧な語り口調。

 黒ウサギは「まさか……」と、唾を飲み込み、飛鳥の後ろから登場した彼を見た。

「僕の黒ウサギと飛鳥に傷が付いたら大変だ。まあでも、例え傷付いても僕が優しく、しっかり癒してあげるから、問題ないんだけど……ねっ☆」

 甘ったるく、そして虫唾が走るほどにキザなセリフ。

 その声は案の定、逆廻十六夜だった。

「うぅっ。な、なに気持ち悪いこと言ってる、十六夜」

「はっ、そいつは心外だな耀。僕はキミのこともちゃんと思っているんだゼ☆」

「気持ち悪い上にうぜっ……うわっ! キモい、近づくな! ひどい目に遭わせるぞ!」

 耀はスタスタと歩み寄ってきた十六夜から飛ぶように逃げ出す。

 マウントポジションを取られ拘束されていた黒ウサギもその隙に立ち上がり、異変を覚える問題児三人から距離を取った。

 耀の明らかな拒否行動に対して、十六夜はやれやれ、と前髪を押さえながら首を横に振る。

「それは素直になれない、カワイイ子猫ちゃんからのお誘いの言葉として受け取っていいのかな?」

「はっ? 何を言って――」

「いや、言わなくてもわかる、わかるさ耀。僕には黒ウサギと飛鳥もいる。だからキミは二人を置いてけぼりにするのはよくない……そう言いたいんだろ?」

 キラリン、っと十六夜が浮かべた爽やかな笑顔が光る。

「……」

 呆れを通り越したあまり、耀は汚物を見るような、冷ややかな視線を遣る。

「へ、ヘンタイ!? い、いい、十六夜さんがおかしいわ!?」

 そして相も変わらず、豆腐でできているのではないかと、錯覚してしまうほどに弱々しい悲鳴を上げる飛鳥。

 ……おかしい。絶対に、おかしい。

 黒ウサギの中で、そんな答えが導かれる。

(御三人は、黒ウサギをからかうために、こんなことをしているのでしょうか……? それにしても、耀さんがここまでノリノリに参加するとは思えませんし、飛鳥さんも演技とはいえ、頭を下げるとは。十六夜さんだって……十六夜さんだって……)

 ほんの数秒、本気で悩んでしまう。

 彼なら面白がって、こんな馬鹿げたことをやりかねない、と。だがその疑惑は、ひらりと舞うようにテーブルから落ちる、一枚のメモで解決した。

「このメモは……?」

 拾い上げ、折りたたまれた片面を開いて読んでみると、そこには、

『お買い上げありがとうございます。今回ご購入いただいた「性格反転パン」は、名前の通り、一定時間食べた人物の性格が反対になります。用法と容量を守った上で適切にお食べください。(注:食べたものの記憶は、効果が発揮している間無くなります。また、対象が抵抗なく食べられるよう、見た目と味に力を注ぎました、本当に頑張りました)』

 らしい。

 要するに、黒ウサギがウキウキスキップ気分で買った安くて美味しそうなパンは、食べたものにイタズラを仕掛ける、ドッキリグッズもとい、ドッキリ食品だった。

「………………………………」

 黒ウサギ両手で持つメモ書きが、ガクガクと小刻みに震える。そのあまり、メモ用紙がひらひらと床に落ちていく。

「はわわわわっ……!」

 頭を両手で抱え、ダァー、と全身から汗が噴き出した。

(大変、一大事でございますっ!)

 きっとこのパンの製造者は、『いつもと違う、あの子の顔を見てみようっ!』なんて、能天気なことを考えてこれを作ったのだろう。

 確かにその発想は面白い。

 黒ウサギもちゃんとそのことを知っていれば、ちゃんと用法容量を守った上で、楽しんでいたことだろう。

 だが。

 だが、それを知らず知らずのうちに、この『ノーネーム』の問題児三人が、同時に食べたらどうだろうか?

 普段正気でいても、黒ウサギのステキ耳を容赦なく引っこ抜こうとしたり、神託を持った相手に喧嘩をふっかけたりする問題児たちだ。

 そして何よりも、今現在たったついさっき、黒ウサギのステキ耳と二百年守ってきた貞操を、同時に奪おうとしてきた……もうこの後、自分がどうなるかなんて容易に予想がつく。

 その答えを一瞬で導き出した黒ウサギは、ここにいたら色々大切なものを失ってしまうと察し、踵を返して部屋を出ていこうとするが、

「おいっ、黒ウサギ! どこに行こうとしてる?」

「はひぃ!?」

 破天荒な性格となった耀の不機嫌交じりの声。

 この場から早く去らねばと考えていた黒ウサギは、ビクッとステキ耳を逆立て、ギギィッと壊れたブリキ人形のように振り返る。

「はひぃ、じゃねぇ。どこに行くのか聞いてる」

「そ、それはですね……」

 言い淀む。

『逃げ出そうとしていたなんて』正直に言っても、耀は逃がしてくれないだろう。

 だったらどんな言い訳をするべきか?

 黒ウサギは「あはは……っ」と苦笑し、こめかみに冷や汗をタラーッと伝わせる。

(どうするべきでしょうか、この状況……? 何か、なんでもいいので、言わないと……)

 耀を始めとした、十六夜、飛鳥からの視線を避けるよう、視線をあちこちに泳がせながら思案する。

 すると、ふと、残っていたパンと窓辺に飾る花瓶が目に入り、名案が思い浮かんだ。

「み、みなさんの喉が渇いているかと思いまして、何かお飲み物でも、と思いまして……」

「あー……そういえば、喉が渇いていたな」

 耀はほっそりとした喉を撫でながら、さっき黒ウサギに水を持ってくるよう指示したことを思い出す。

「んなら、さっさと持ってこい! こっちはパンとあの気持ち悪い奴のせいで、喉が乾いてるから」

「それは違うさ、耀」

「はっ?」

「素直じゃない君は、クールな僕に抱いてしまった想いを隠すため、わざとひどいことを口にした。そして、そのせいで君の喉は渇き……。アンサー、それが答えだ」

「……頭おかしいだろ、お前」

 ピシャッ、と耀の一言でシャットアウトされ、場に冷ややかな風が吹いた。

「あ、あはははっ……。では、黒ウサギは飲み物を持ってきますので、しばし、お待ちを」

「さっさと持ってこいよ。んじゃ私は、そのあいだ――」

「僕と愛を語らうんだね☆」

「――飛鳥をいじめるか」

「私をっ!?」

「おっと、僕はフラれてしまったみたいだね。だけど、耀の提案は面白い。僕も混ぜてくれないか?」

「ふぇっ!?」

「お、御二方っ!? お待ちくださいませ!」

 部屋を出て行こうとした黒ウサギの後ろで、何食わぬ顔で繰り広げられた、非道な会話。これはもう、首を突っ込むほかなかった。

「御二人は、さらっと何をしでかそうとしているのですかっ!?」

「あっ、まだいたのか」

「いますよ! 思いっきりいたでございますよっ!」

「油を売ってないで、早く飲み物を持ってこい」

「飛鳥さんをいじめる話を堂々と話していて、行けるわけがないでしょうがっ!」

 彼ら彼女らの保護者的な立ち位置である黒ウサギが、目の前でいじめが行われようとしている現場を見逃すわけにはいかない。仮にそんな地位が無くても、常識的に考えて見過ごすわけがない。

「あーっ、めんどくせぇな。いつもすまし顔の飛鳥をいじめるくらい、別にいいだろ?」

「耀さんが言いますか、それ!?」

 中々のポーカーフェイスで過ごしている彼女がそんなことを言い出し、黒ウサギの口がふさがらない。

『性格反転パン』……恐るべし。

 改めて黒ウサギは実感し、黒ウサギは呆れたあまりため息を吐く。

「僕の黒ウサギ……そんな顔をしてたら、その愛らしい顔にシワができてしまうよ」

「あひゃっ!?」

 気配無く、黒ウサギの背後へと忍び寄っていた十六夜。性格が反対になっていようが、彼の力は健在のようだ。

 黒ウサギの服を大胆に持ち上げる、柔らかな胸を触ろうと彼の手は伸び、寸前のところでそれを弾く。

「なッッッ!? なななッ! なにをしようとしているのですかッッッ!?」

 バッと、黒ウサギは開いた胸元を抱き締めるように両手で隠し、飛び退いた。

「黒ウサギの母性に――触れようとしただけさ☆」

「言い換えても、全然かっこよくございません!」

「かっこつけようとなんてしてないさ……僕は、素でかっこいいからね☆」

「救いようのないお馬鹿っ!」

 性格が反転しているというのに、まったく中身というよりか、下心は変わっていない。

反転と言っても、そういったところは変わらないようだ。

 どうするべきか。

 黒ウサギは眉を八の字に曲げ、線が整った顎を指でなでる。

 パンの効果がいつ切れるのかわからない状況で、三人をこのまま放っておくわけにはいかない。

 しかし、三人を正気に戻す方法は何も知らないし、知っていたとしても、十六夜や耀の立ち回りを見た限り、能力自体が低下しているわけではないようだ。

(これは非常に……難しい局面ですね)

 窮地に瀕する黒ウサギとは反対に、十六夜のセクハラ行動が発端で、問題児三人がざわめきだす。

「てめぇ! 今、私の尻を触っただろ!」

「ははっ、小ぶりでいいお尻だったよ」

「よし、五発だ」

 耀はギュっと拳を握り、普段の十六夜が浮かべるようなあくどい笑みを浮かべた。

「はわわ! 十六夜さん、耀さん! 落ち着いて――」

 飛鳥は喧嘩を止めるため、間に入ろうとするが、

「ひゃっ!」

「ふふっ……飛鳥のお尻も整っていて、愛らしいな」

「な、なななっ! なにをするんですか!?」

 爽やかに笑う十六夜はうねうねと指先を柔軟に動かし、触られた飛鳥は自分のお尻を両手でかばいながら文句を言う。

「なにって、顔や胸など、そしてお尻は女性を魅力的にみせる重要な要素だ。それに触りたくなるのは、男としての性さ」

「知りませんよ、そんなこと!」

「ならば是非とも知るべきだ。男が興奮を覚える飛鳥の身体のポイントを――」

「黙れ変態!」

 手を大仰に広げ、能弁に語りだそうとした十六夜の頭部にめがけ、耀は鋭い回し蹴りを放った。

 不意の一撃。

 だが十六夜はそれを片手で受け止めると、耀の真っ直ぐと伸びた脚線を見てほくそ笑む。

「いい脚だ……特に、しっかりと引き締まったこのふくらはぎでありながら、傷のない白い肌……味見したくなるよ」

「くっ……!」

 そこらにいるような相手ならば、確実に決まって意識を消失していたところだろうが、相手はノーネーム屈指の実力者、十六夜だ。

 そう簡単にノックダウンさせられるほど、やわじゃない。

 突如として勃発した、ほとんど本気に近い二人の攻防。

 すぐ近くに立っていた飛鳥は「あわわ……」と震え、唯一正気の黒ウサギは唾を飲む。

(ゆ、悠長に考えている時間はありません! このまま二人が戦えば、怪我はもちろん、この屋敷がつぶれてしまいます! ギルドを守るため、黒ウサギが何としてでも御二人を止めなければ……!)

 黒ウサギは覚悟を決め、自らの力を解放しようと拳を握りしめたその時、

 パっ。

「え?」

「へぇ?」

 黒ウサギ、耀の順番で素っ頓狂に声を漏らす。飛鳥も、何が起こったのかわからないと言わんばかりに目を見開く。

 なにせ、気色の悪いことを話していた十六夜が、掴んでいた耀の足を手放したのだ。

 すぐさま耀は疑問を解消しようと口を開こうとするが、呆気を取られていた分、十六夜に先を越される。

「だけど、まだまだ敵わないな、黒ウサギには」

「く、黒ウサギですか?」

 何の前振りもなく登場した自分の名前に、黒ウサギは首を傾げ、はてなマークを頭の上に乗せた。

「ああ」

 十六夜は嬉しそうに、楽しそうに、子供のように無邪気に笑うと。

「飛鳥と耀にはすまないが、やはり黒ウサギの完成された身体つきには敵わない」

「「っ!?」」

 彼の口から飛び出したその一言に、飛鳥と耀は時が止まったかのように、ピクリとも動かなくなった。

 デリカシーのへったくれもない十六夜の言葉であるが、実際にその対象と比較したとして、豊満なバスト、魅惑な腰つき、安産型と言わんばかりに張りが良くて柔らかそうなお尻……女性としての魅力は、到底太刀打ちできないだろう。男である彼に言われれば、なおさらその差は大きい。

「う、うふふふ……」

「あ、あははは……」

「お、御二方……?」

 深淵の底から聞こえてくるような、なぜかエコーがかかった飛鳥と耀の声。

 先程まで、いじめっ子といじめられっ子の関係だった二人は、獲物を見つけた獣のように、ギラついた目で黒ウサギを睨む。

(な、なんでしょう……この、嫌な予感は……)

 汗がにじみ、たらーっと、胸の谷間に滴が伝った。

 そんな黒ウサギに、耀がゆらりと近づき、

「はは、黒ウサギ……。ちょっとだけ、ジッとして」

「ひゃぁっ!」

 落ちる木の葉を穿つかのように、耀は鋭い手刀を黒ウサギの豊満な胸めがけて放つ。

 瞬時にバックステップを踏み、寸前のところで回避するが、相手は一人ではない。

「く、黒ウサギっ! かくごぉ!」

「えっ……? きゃっ!?」

 黒ウサギの不意を衝き、真横から飛び込んできた飛鳥。

 体勢を崩していたこともあり、彼女の勢いに踏ん張りきれなかった黒ウサギはそのまま床へと倒れてしまった。

「いたたっ……ちょっと、耀さん! 飛鳥さん! どうしてこんな――」

 黒ウサギは襲いかかってきた二人に、批難の声をぶつけようとするが、それは最後まで言い切れなかった。

「『おとなしくしていなさい』」

「んんっ!?」

 飛鳥のギフトによって、黒ウサギの口と身体は動かなくなる。

(でも、この程度……黒ウサギの力なら!)

 黒ウサギはすぐさま拘束を解こうと力を込めるも、

「隙あり!」

「――っ!?!?!?」

 黒ウサギのステキ耳が、躊躇いも迷いもなく、しゃがみこんだ耀の手に掴まれる。

 そのせいで、飛鳥のギフトから逃れるタイミングを見失ってしまい、悪循環に陥ってしまった。

「黒ウサギ。この耳の生殺与奪権は、私が握っている。だからおとなしく、その憎たらしい身体を……もとい、けしからん胸をもみくちゃにさせろ」

「んんっ! んんんっっっ!?」

「おっと、暴れればこの人質……もとい、耳質がどうなってもいいのか?」

 によによと、もう楽しそうに嬉しそうに、嗜虐的に微笑む春日部耀。

 黒ウサギはこの状況を打開しようと、のしかかる飛鳥に助けを求めようと目を向けるが、

「……(プイッ)」

「んんんっ!」

 そっと、飛鳥は黒ウサギから向けられた視線を合わせない。

 どうやら、耀と飛鳥の敵意は、完全に黒ウサギのわがままボディへと差し向けられたようだ。

 望み……無し。

 黒ウサギはそう判断し、ダメ元覚悟でもう一人の問題児に視線を遣ると、

「待つんだ、耀!」

 十六夜がする制止の呼びかけ。

 耀は不機嫌に、汚物を見るように目を向けると、彼は真っ黒な細長い布をどこからか取り出し、

「このままでは僕が興奮しない。目隠しをするべきだ☆」

「ナイスアイディア、十六夜!」

「――――ッッッッッッ!?!?!?」

 声が出せない状況の中でありながら、声が出ない悲鳴を上げる。

 そして、黒ウサギは認識を間違っていたと気が付く――十六夜は紳士的やキザになったのではなく、変態になったのだと。

(……このままだと、確実にステキ耳を持ってかれてしまう。ならば、もうっ――)

 黒ウサギは決死の覚悟をした……その時。

「ふぁへ? なんだか、眠気が……」

「はへっ、私も……zzz……」

「うっ、頭が重く……」

「?」

 黒ウサギのステキ耳を掴んでいた耀が、うつろうつろと目をこすり始めると、

胸に顔をうずめる飛鳥が寝息を、布を持っていた十六夜は手からそれをスルッと落とし、膝を折って倒れこむ。

 耀も抵抗むなしく、事切れたようにぱたんと床に伏せてしまった。

「一体……何が?」

 飛鳥の意識が消失したため、黒ウサギはギフトから解放され口を開く。

 胸に顔をうずめる飛鳥の首筋に指を遣り、脈を確認するが異常はなく、ただすやすやと眠っているだけだと分かった。

「これはもしや……効果が切れたのでしょうか?」

 飛鳥を優しく身体の上からコロンッと降ろし、立ち上がって床に寝そべる三人を見る。

「ふぅ……何とか、なったでございますね」

 黒ウサギから安堵息が漏れ、ふくよかな胸が上から下へと降りる。

 間一髪。

 あくまで三人が食べたのは、ドッキリ食品。

 永続的や数時間に及ぶ長期的な効果ではなく、数十分しか効力が発揮しなかったのだ。

 そしてそれがタイミングよく、黒ウサギのステキ耳が引っこ抜かれる寸前であり、ただただ黒ウサギ本人からしてみれば、運が良かった、そういうしかない。

「まったく、ひどい目に遭いました……」

 黒ウサギはよろよろとテーブルに残ったパンと包装紙を見下ろし、ため息を吐きながら。


「ですが、これですべて丸く収まりました。こんなパンを何の注意もなく売るなんて、もうっ、あのパン屋さんが全般的に悪いです! パン屋だけに!」


「……上手いこと言ったつもりなのか?」

「上手いこと言えてないわね」

「言えてない」

「御三方!? 起きていたんですかっ!? そしてなんでそろいもそろって、辛辣なツッコミを!」

 黒ウサギとしては、綺麗にオチをつけれた……と思っていた。が、それを容赦なくこの問題児三人が叩き潰す。

 しょんぼりと、膝を床に着けて落ち込む黒ウサギ。

 そんな彼女を横目に、倒れていた問題児たちは苦悶の表情を浮かべつつ起き上がる。

「くそっ、なんで俺ぶっ倒れていたんだ?」

「ううっ、なんだか、喉がイガイガする」

「私たち、確か黒ウサギが買ってきたパンを食べていたわよね、なのに……んっ?」

 と、飛鳥は頭を押さえながら、テーブルの近くに落ちていた、一枚のメモを見つける。

 そして、

「へぇー黒ウサギ、私たちにこんなものを食べさせたんだ」

「なんだ、お嬢様? 何か見つけ……はっ、こいつは面白そうだ!」

「もしかして、私たちが倒れてたのも……」

「ん? どうされましたか、十六夜さん、飛鳥さん、耀さん?」

 背後で三人の話し声が聞こえ、黒ウサギは振り向きつつその手にあるものを目にする。

 黒ウサギの全身から、血の気が引く音が聞こえた。

「は、はわわわっ……!?」

 黒ウサギは腰を抜かしたままガクガクと震え、そんな美味そうな獲物と目が合った問題児たちは、にへらーっ、と魔王にも並ぶ邪悪な笑みを浮かべた。

「なあ、黒ウサギ。お前がこの『性格反転パン』とやらを食ったら、どうなるんだろうな?」

「私、あなたのいつもと違う顔を見てみたいわ」

「黒ウサギ……覚悟」

 ジリジリと迫る三人。

「み、みみ、皆さんっ! 食べ物で遊ぶのは、よくないですよ?」

 黒ウサギは引きつった笑顔を浮かべたまま、懇願めいた声を漏らした。


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