第6話 プロの物書きになりたい人【必見】、プロの作家に求められる条件とは?

 物書き、プロの条件ってなんでしょう?

 どういう人が、プロの物書きと呼ばれるかじゃなくて、どういう人が、プロの作家として、需要を満たすか? もっと違った言い方をすれば、プロの作家として、出版社が求める人材とは何か?


 出版社の社員、編集長に聞けば、一発回答なんでしょうけど、私には残念ながら物書きの知り合いがいませんので、もし自分が出版社勤務だったらという前提で、推測を交えて物事を分析したいと思います。


 出版社が、プロの物書きとして欲しい人材。

 それは…つまり手っ取り早く言って、数字おかねを稼げる人材かどうかだということではないでしょうか? 少々短絡的な物言いですが、言ってることは当たらずとも遠からず、間違っていないと思う。


 テレビでいうなら視聴率。

 小説なら部数の売り上げとでも申しましょうか。


 良くも悪くも、アンチを含めた読者の取り込みを含め、数字を稼げるかどうか、売れること、多くの読者に読まれることが大前提になってくるのかなと思う。


 それには、作家のパーソナリティーが物を言うでしょうし、書いた作品のプロモートの仕方、演出、SNSを含めた、自分の作品の見せ方、表現も大切になってくることでしょう。


 どんなに立派な文章を書こうにも、読んでもらえない作品、メッセージでは意味がないのは言うまでもないことでしょう。


 ましてや出版社は本の出版にお金をかけ、事業として、業として成り立つかどうかを視野に入れて事業しているわけで、けして慈善事業を行っているわけではありません。


 ハイ・リターンでも、ロー・リターンでも、必ずや見返りを求めている以上、事業として成り立つか、そこに力点が置かれているわけです。


 出版業を営む以上、本を出しました、また売れませんでした。

 失敗しましたでは許されないし、売れる物を世に広めたい、出版したいと思うのは当然の成り行きでしょう。


 出版社が、プロの物書きとして採用する条件として、まず第一に考えられるのは、エンターティナメントを無難に書けるかどうか。これが、まず第一の関門になろうかと思いますが、1人の人間をきちんと描けるかどうか、起伏のあるドラマを演出できるかどうかという意味では、多少の文体の荒さは二の次で、エンターティナメント性を重視しているのかなと思う。


 多少、文体に粗さがあっても、それを補う個性、独自性、芸術性があれば、作品のあらは、編集者、校正、校閲の手に委ねればなんとかなると判断するのではないでしょうか?


 校正、校閲にいくばくかのお金をかければ、大方の文章、文章のあらさはかなりの割合で改善されますので、たとえ宝石としての完成された形をしていなくとも、作家の素材、原石としての魅力をまずは優先することでしょう。


 シドニィ・シェルダンの超訳などで知られる天馬龍行さん(アカデミー出版社長)のように、翻訳を加えて、実際の小説に無数の手心を加え、より作品の良さを引き出す手法もありますので、たとえ文体が完成されていなくとも、プロの手に委ねれば仕上げはごろうじろになるのではないでしょうか?


 もう1パターンは、小説などの作品がエンターティナメント性に欠け、やや面白みに欠けるけれど、文章が完成されていて、ある一定以上の水準に、既に筆力が達成している場合。


 こちらは、文章が、こなれているので、即戦力として、出版社の求めている人物像にストレートに当てはまるかもしれません。こちらも色々な用途で、出版社の需要を満たします。


 この手は、作家としてというより、校正を含めた、出版社の社員としての使い道も優先できるし、小説のアイデアは、本を無数に読む、百戦錬磨の編集者がアイデアを持ち寄れば大幅に改善できますので、ほぼ及第点を付けられる筆力ならば、出版社サイドで小説になる題材を持ち寄り、無難にそこそこの小説を書かせる利点もあります。


 及第点の100点満点は付けられませんが、本やコラムの空きスペースを無難に埋めたい場合等、この手の作家に原稿を複数依頼することもあるでしょうし、原稿締め切り間際、急遽、コラムを差し替えたい場合など、この手の作家が重宝されることもあるでしょう。


 最後は、小池一夫先生のように、オリジナルの切り口、独自の視点を持った作家、評論家の輩出である。


 小池先生のような偉大な作家、コラムニストのタイプは、出版社にとってドル箱でしょうし、金のなる木で、読む側から見ても、規格外の面白さがあり、作り手側、受け手側、その双方で引く手あまた、ぜひ欲しい人材に違いない。


 これは、まさにガジガジの鉄板、競馬でいう一点買いに数百万賭ける勝負師のような熱き神髄で、読者の需要も裏付けもあるのだから、出版社が喉から手が出るほど欲しい人材に違いない。


 私も、この文章を書いていて、小池一夫先生のスタンスを取り入れてみようかなと秘かに思い始めています。作家独自のオリジナリティー、鮮やかな切り口、表現を見いだせれば、多少の文章のあらは黙認して貰えそうな気がして、方向転換してみようと思い始めました。


 無難に小説を書けるが、さほど面白みに欠けたり、ジュブナイル路線、一部の奇特な読者を相手にした、コアな題材を焦点にした作風など、需要があるもの、ないもの、読者の付き具合によって、採用される、不採用。そういう風潮も多々あるとは思います。


 ですが、最終的に判断するに、やはり読者が付きやすいか、読者を呼び込める作風を手掛けることができるかどうかが、プロの作家としての登竜門、最低限の踏み絵になるのかなと思う。


 比較の対象になるかどうかわかりませんが、小説をマンガや映画に置き換えて紐解くと、売れ筋として扱われるか、それともB級路線止まりの作品として扱われるか、小説もはっきり二手ふたてに分かれるように思う。


 自分の小説をもしマンガ化してみたらどうだろう?

 映画化してみたらどうだろう?


 その視点で物事を掘り下げてみるのも、意外とおもしろい結果が待ち受けていて、お薦めではある。


 マンガ化して、もしもプロジェクトととして不成立なら、おそらくその小説は、媒体としての魅力に欠け、エンターティナメントとしての体を成していないことになるでしょう。


 もしマンガ化して売れそうにないなら、おそらくそれは失敗作といえるかもしれない。書き直すか、修正するか、次に移行する必要がある。


 

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