第21話 なぜ、今、異世界ファンタジーなのか?

 なぜ、今、異世界ファンタジーなのか? 

 それは時代の閉塞感へいそくかん、その象徴かもしれません。

 今の時代、右を向いても左を見ても、ストレス、ストレスのオンパレード。


 日々、ストレスから監視されているような状態が続いていて、心疾患の患者も、ここにきて、鰻登うなぎのぼりに増えている。


 昭和40年代、50年代の右肩上がりの時代、誰もが幸せになれる時代はとうに終焉を迎え、時代は混迷期を迎えた。そして日本は昭和という1つの時代にピリオドを打ち、覚醒するため、平成という称号を得た。


 当時の日本経済は空前絶後のバブル期を従え、世界中のありとあらゆる施設を札束で買い叩く暴挙に出た。ディスコで踊り狂う女性達の饗宴を尻目に、やがてバブルも諸行無常の鐘の音色を聞き、見事なまでに泡と散った。


 今現在、日本経済は多少、潤っているものの、庶民にまで還元される波及効果は全く期待できる状態になく、自民党が声高らかに歌う、トリクルダウン効果も、一部の利権者にしか及んでいない。


 時代の閉塞感は若者の国民年金、不払い運動へと連鎖し、若者の購買意欲、働く意欲まで奪ってしまった。


 若者は、異世界モノの主人公に自らを重ね合わせることでしか自分を見出すことができず、自らを社会の歪みから救い出すため、ラノベや2次元空間のゲーム、3次元でのカード・ゲームに興じるようになった。


 リアルな世界に見切りを付けてしまった若者。

 アイドルの追っかけをして心を満たそうと躍起になってみたり、現実問題の恋人、異性には見向きもせず、バーチャルな世界に活路を見出す逆転現象が起きた。


 昔の人が好んで視聴した、ちょんまげモノの時代劇、忠臣蔵、捕物帖のように、異世界ファンタジーは若者の目に特に新鮮に映ったに違いない。


 自らをファンタジーの世界に重ね合わせ、悪代官のような人物をバッタバッタとなぎ倒し、悪を成敗するヒーローに、自らを重ね合わせるのは、きっと快感だったに違いない。


 現実の世界では、群青色ぐんじょういろの、社畜アメージング・ワールドが待っていて、現実を逃避する避難所が、若者には必要だったのかもしれません。


 朝、目覚まし時計で、ふとんから飛び起き、歯を磨き、粗末な、パン二枚の食事を済ませ、戦う戦士としてのよろいを身にまとう。


 ツイッターで政治政党批判を繰り返し、原発問題にスポットを当て、自分のフラストレーションをマンガやアニメの世界に投影して、心の平常心を保とうと必死になる中年親父も、ある意味、社会が生み出したモンスターである。


 一流大学を卒業して、一流企業に就職し、やがてなんの前触れもなく会社勤めをドロップアウトし、そして最後は派遣会社に落ち着き、人生の辛酸をなめる。


 大手の企業勤務といえば聞こえはいいが、派遣会社からの委託で勤務していることは多くの友人にはふせ、大企業に給料の大部分を搾取される。


 つまり異世界モノの主人公だけが、若者の鬱憤を発散させるニューカマーであり、自らの暗闇を代弁する材料となりうるのである。


 時に、悲劇を絵に描いたような小説から、カタルシスを得る場合もあるかもしれませんが、小説は、自らの夢を叶えたり、願望を成就したり、自らの心に小さく火を灯す、そんな未来志向の方が、感情移入がしやすい。


 読後感が悪く、読んだ後、ひどく惨めな気持ちになったり、自分が、ひどく無能な生き物に思えたりするようなストーリー展開や小説では、同調圧力としての対象として弱く、読者からの支持を受けずらい。


 つまりそこに小説の多大なるヒントが隠されていて、読者は自分ではありえない展開、たとえば王子様に転生したり、オペラのプリマドンナになった主人公に自分を重ね、一喜一憂したりするわけです。


 殺し屋になって、バッタバッタと宿敵を殺してみたり、銃を乱射してみたり、戦争映画に自らを投影して戦場に出向いてみたり、映画でウェンディングプランナーを演じてみたり…。


 つまり現実世界では絶対にありえない展開に自らを投じることにより、承認欲求を満たし、まさにこれこそが小説の醍醐味であり、小説のストーリー展開に求められるファクターを満たす。


 逆を言えば、読者が、作品に自らを投影できないような作品、小説は、やはり支持されることはないでしょうし、読者は求めないのである。


 物語の結論は、極めてシンプルだ。

 作品としての需要があるのか、ないのか?


 読者を楽しませることができるのか、否か?

 大きく、その2つに要点が集約される。


 それは読者が自らの夢を成就できるかもしれないと錯覚させる、ギリギリのラインであり、現実の世界では、ありそうでありえない、夢の世界でなければいけないということです。


 現実的に、どこでもありそうなお話をいくら紡いだところで、それは興味の対象として弱く、小説として娯楽として成り立たない。


 だから、ありそうで、あり得ないお話。

 読者、自らを投影させることができる最小限の夢物語が、小説の世界では求められる。


 それが純文学にはなく、異世界ファンタジーの世界にはある。

 読者の声を代弁すると、こういうことなのかもしれません。

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