第23話 過去作に、こだわるのは愚かなこと。
過去作って、大切ですよね。
自分の分身、血を分けた兄弟のようなもので、指紋のようになくてはならないものですよね。
でも、ちょっと待った。
過去作に、こだわりを持しすぎていませんか?
作品を上梓し続けることを忘れ、過去作を後生大事に温めている人、いますけど、はっきりいって、ナンセンスだと思いません?
作家は、作品を上梓してナンボですし、作品が書けなくなった段階で、ジ・エンド。市場から、スポイルされる対象となる。
たしかに作品と作品を上梓する間、数ヶ月は、なにも作品を公開できない期間があり、ツイッターやブログで、優良な読者をつなぎ止めておく必要がありますが、やっぱりモノを書けなくなった段階で、作家を作家と呼ぶことには無理が生じるように思う。
社会批判したり、原発問題を取り上げたり、自民党政権をこきおろしたり、他の作家を誹謗中傷して自分を鼓舞したり、自分のマイナスの感情を周りにぶつけて自分の気持ちを整えている人をよく見かけますが、ハッキリ言って、人間的に未熟なことを裏付けているだけで、周りの読者は、どん引きだと思います。
他人をどう思うかが大切なことでなくて、要は、自分が周りをどう思うか。
自分がどうしたいか、自分がどう行動するかが、大切なんじゃないのかなって改めて思います。
他人をオモチャにして人格攻撃してみたり、はたまた他人の短所を揚げ連ねて
自分の劣等感を慰めてみたり、誹謗中傷して、粘着ホモのように、執拗にストーカー行為を繰り返しても、それが自分に何の利をもたらすというのでしょう?
何度も言いますが、作家は、書いてナンボです。
作品を上梓して、ナンボです。
このことを忘れた作家は、俗に言う、【歌を忘れたカナリア】のようなもので、創作界隈において、無用の長物となる。
自分の書いた作品には、みな、思い入れがあり、大切に大切に扱いたい気持ちは誰も同じですが、作家が自ら書いた作品を評価する必要は全くなく、思い入れを含め、自己評価するのはすべて読者に委ねるべきであることは自明の理でもある。
つまり書いて書いて書きまくって、そしてその後に、周りからの評価が遅れて付いてくることを作家は忘れてはならないと思う。評価なんて、気にする必要もないですし、我が道を猪突猛進、邁進すべきです。
昔は、画家が売れるのは没後と、相場が決まっていました。
つまり画家は死後でしか、自らの作品の評価を得ることができませんでした。
さてと、長いトンネルを抜け、執筆活動を再開します。
まずは【ジャマイカよ、ありがとう】の完成を目標にしています。
次いで、【ヤフーオークションの、ハウツー本】、上下巻。
【式根島物語(題名はまだ未定)】、【ワナビ本の最終章】、【アヤと過ごした夏(リターンズ)】、【エッセイ集】。
ここまで書いて、たぶん来年度は幕引きしてると思います。
再来年度は、まだ予定が立っていません。
とりあえず、30冊、アマゾン電子書籍に並べることを目標に頑張りたいと思います。みなさま、どうぞヨロシクお願いいたします。
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