第18話 冒険することの難しさ、そして大切さ…。

 最近、意図的に文章のクセを変えて、ブログや近況ノートに書くことがあります。なぜかというと、アイ・オープナーを意識していて、今までとは違った新境地に達するため、殻を打ち破りたいという思いからです。


 人間というもの、使用してるグッズや車、パソコン、愛着のある日常品において、1度手にしたものは、なかなか手放せないものです。


 やはり愛着のあるもの、使い慣れた日常品のほうが、使い勝手もよく、余程のことがないかぎり、買い換えようとか、電化製品のメーカーを変えようとは思わないでしょう?


 それとは少し、お話の趣旨が異なるかもしれませんが、ロケットスタートの代名詞、長野オリンピック500メートル元世界記録保持者、スピードスケート選手の清水宏保選さんは、過去に作り上げた筋肉を、大会のたびに過度の運動負荷で追い込み、根こそぎ筋肉の繊維を破壊して、新たに、一から筋肉を作り上げることの大切さを述べていました。


 似たような話では、世界のゴルフ賞金王に何度も輝いた、タイガー・ウッズでさえ、完成されたゴルフスイングを大会ごとに微調整し、変化を求め続けていると公言していた。


 どうも一流選手による解説によれば、同じ場所にとどまるということは、それは停滞を意味していて、後退を意味するらしい。一般的な凡人の考えでは、調子がよければ現状維持の方策を採り、安泰を望むのが大半でしょうが、一流のトップ・アスリートの考えでは、それは進化の妨げ、退化を意味するらしく、死語に等しいらしい。


 既成概念をぶち破ってこそ、得る対価、果実があり。既存の殻をぶち壊してこそ、その先に一筋の光が差すのかもしれない。


 電気産業など、企業からしてみれば、機械が故障したときが勝負の分かれ目となるそうで、その時、その一瞬が商品の販売チャンス、商機となる。


 顧客が使用する商品が故障した瞬間、その一瞬に、エンドユーザーの頭にいかに我が社の商品を思い浮かべさせることができるかどうか、手に取って貰えるかどうかに、企業の命運がかかっている。


 1度、身につけてしまったクセ、文体、語彙など。

 人が文章の技術を発展させようと思ったところで、これらの身についたクセは、障害にこそなれ、ましてや自然に矯正できるものではない。


 普段、1人称でしか小説を書かない作家が、3人称で、ラブストーリーを書いてみたり、普段、学園モノしか書かないWEB作家が、ファンタジーや歴史物に挑戦するとか、そんなことは何かの転機が訪れないかぎり現状ではありえない。


 人間というモノは、本来、安定思考で、余程のことがないかぎり、慣れない作業を自ら試みたり、苦境に立つような場面に自らを追い込むことはしない。でもそれでは成長を望むことができないと間違いなく言い切れる。


 振り返ってみて、自分が、一回ひとまわりも二回ふたまわりも成長する時というのは、必ずや、ピンチや苦境に見舞われ、それを乗り越えた時、スランプを克服した先に、一縷いちるの光を見出しているように思う。


 つまり、自分のやりかたに満足して、現状維持しているうちは、永遠に画期的な成長は望めないということなのかもしれない。


 苦境を乗り越えた数だけ、逆境ぎゃっきょうを物にした数だけ、もしも成長が望めるというのなら…。苦境やスランプに陥る場面に、自ら追い込むのも一興かなと思う。


 人は誰もが安泰あんたいを望む。

 スランプや逆境、苦境。

 

 そんなこと、できることなら誰もが経験したいとは思わないし、なるべくなら避けて通りたいと思うことでしょう。


 でも、それでは永遠に成長が望めないことだけは確かだ。

 もしもあなたが、ひと皮も、ふた皮もけ、創作家として爆発的に成長を遂げたいのなら、創作の分野において革命を起こす以外に道はない。


 今の、あなたは、多くの作家と、甘いごとを繰り返し述べるだけのお人形に過ぎず、お互いに美辞麗句びじれいくを並び立てている、おままごとを演じている一介の創作家に過ぎない。


 派閥を作り、お互いの派閥にいかに相手を組み込めるかに必死になり、徒党を組み、仲間を褒めちぎるだけの老害を繰り返している。


 そのたびに読者は蚊帳かやの外に置いてきぼりになり、いつの間にか太鼓持ちばかりが自分の周囲を覆うことになる。


 つまり、あなたは裸の王様なのである。

 そしてその現状に気付いてさえいない。


 自分が裸であることに気づけず、それを持てはやす仲間ばかりが自分の周囲に集まっている孤独なWEB作家、それがあなたの真の姿である。


 もしも、今のあなたに苦言をていする界隈の人物がいるというのなら、それは明らかに、今後を大きく左右するメシアとなり、あなたの運命を左右する道しるべとなりうるでしょう。


 敢えてプレッシャーの中で生きろとは言いません。

 けれど、様々な媒体、文体を模索し、まだ目に触れたこともないような、未知なる言葉を駆使し、色々な作品、作家から刺激を受けながら、それらを貪欲に吸収する力が、今、求められているのかなと思う。


 お話は変わりますが、むかし、年下の上司に雇われたことがあり、この上司が有能で、とてもオシャレさんだった。


 私なら絶対に着用しないだろうなという奇抜なファンションをいつも身にまとっていて、オシャレを存分に楽しむ姿は、とても好感が持てたし、いきで何より格好よかった。


 たとえば、上司の愛用の、ピンク色のYシャツ。

 こんな服、むかしの私なら、絶対に着用しないだろうと思うけど、そのときは冒険心に触発され、食わず嫌いなのもよくないと思い、1度だけ試着してみることにしました。


 着用した初日、とても、おっかなびっくりで周囲の反応を待ちましたが、結果、若い女子からの評判が思った以上によくて、それ以来、私はピンク色の衣類を積極的に着用するようになりました。


 なんでもそうですが、心に、バリアがあるうちは、それが障害となり、真実が見えなかったり、あるがままを受け入れられない弊害をもたらす。


 つまり目にウロコがある状態では、心に、何重なんじゅうものバイアスがかかっていて、いくら着飾ったところで美辞麗句を述べたところで、崇高な世界に辿り着くことはできない。


 世の中、一事が万事、すべてです。

 どんな小さな物事でも、心掛け次第で人生を学べることはできますし、小さな脳ミソで、無限の宇宙を語ることもできます。


 反対に、すべてに頓着のない人には、どんなに優れた上司に仕えようと、仮に松下幸之助さんのような有能な経営者の元で学習する機会を得ても、何も学ぶことができないまま、人生を終えることになります。


 なんでこんな爺さんが、世間で持て囃されるの?

 ぼんくらの声が永遠にこだますようだ。


 世の中、井の中のかわずでは意味がない。

 できることなら異種格闘技で、力を存分に発揮できる、他流試合の場でこそ、力量を問われる、そんな武道家でありたいと思うし、いぶし銀のような作家でありたいと願う。


 作家は、チャレンジャーであるべきだと常々、思う。

 人様が既に歩いてきた道ばかりなぞって歩いたところで、そこに革命は起きませんし、何も読者に影響を与えることもできず、一生を終えると思う。


 奇想天外な経験をしろとは言いませんが、独自の切り口、自分にしかできない表現、文体を常々、模索すべきだと思う。


 殻を打ち破ってこそ、身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあることをどうぞ知っておいて欲しいと思う。


 

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