第17話 人は、なぜ小説を書くのか?

 作家を目指す、みなさん。人はなぜ文章を書くのだと思います?

 考えたこと、ありますか?


 なぜ、少ない余暇を利用して、カクヨムに記事を掲載するのだと思います?

 なぜ、多くのワナビが作家になりたいと願うのでしょう?


 私は、時々、筆を折ってしまおうかな(ちょっと古い言い方ですね)、今なら、PCで文字を打ち込むのやめようかなとでも言うのでしょうか?

 年に数回、夢を諦める、挫折しそうな場面に出くわします。


 さて、本題に戻りますが、なぜ、少ない余暇を利用して、カクヨムに記事を掲載するのだと思います? なぜだと思います?


 人はなぜ、人様の目に触れるように、わざわざ自分の恥部や思想をさらし、文章を書くのでしょう? 自分の書いた作品を広く世に問いたいと思うのはなぜでしょう?


 作家を目指す、わなびが、なぜ小説を書き続けるのか?

 その理由について、1度でも考えたことありますか?


 それは一説に寄れば、承認欲求の表れではないかとも言われています。

 人によっては、承認要求ともいいますね。


 もっと違う言い方をすれば、自己顕示欲、自己承認欲求とでも言ったらいいでしょうか、自我の強い人ほど、人様に認めて貰いたいという、この要求は強さを増すといいます。


 つまり多かれ少なかれ、事の大小を含め、人は知らず知らずのうちに、第三者から認められたいという欲求を心のどこかに抱えているものなのです。


 自分と同じ仲間。自分を肯定してくれる仲間。自分と同じ毛色の仲間。思想を共有できる仲間。自分を認めてくれる同族の仲間を無意識に心のどこかで探し求めているのです。


 そういう意味で、人は元来、孤独な生き物で、自分を認めてほしいという欲求を心の底に深い闇のように抱えているのかもしれません。これはつまり寂しさの表れと表裏一体のようなもので、人のぬくもりを求めたり、人に寄り添ったり、人に受け入れられたいとの要求と紙一重かもしれません。


 人は他人に否定されたり、攻撃される人生より、心から受け入れられ、愛情深く接してもらう人生を選びます。その一環として、多くの作家は読者との交流を求めたり、心のふれあいに一喜一憂します。


 やっぱり文章を書く以上は、少しでも多くの人達の目に触れ、いも甘いも、心に残る文章を書いていかなければいけないなあと思いますね。そして読者の5%でも10%でも、最悪3%でも、よき理解者となってもらい、自分の人生、考え方に共鳴してもらうよう努めるべきです。


 みなさまも、是非1度、自分はなぜカクヨムで文章を書くのか、なぜ小説を書くのか、原点に帰っていただき、考えてみることをお薦めします。


 書くことが生きがい、そのものであったり、生きる糧になっていたり、自己弁護を兼ねていたり、生きることの証明だったり、その他、理由は様々かもしれませんが、自己探求の道に通じる何かを感じ取ることができるのではないかと思います。


 私は愛の伝道師に憧れていて、小説を書くことにより、悩める人達を一人でも多く救いたいというのが心情として心の奥底にあります。


 なので、すべての作品にテーマが込められていて、稚拙ですが、作品には、いくつかのメッセージをちりばめています。

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