第16話 終わりの美学を貫く。

 この前、人様の書いた、エッセイやコラムを読んで、ある気付きがありました。

 それは、終わりよければすべてよし、ということ。


 起承転結とでも申しましょうか、やっぱりエッセイやコラムは、読み終わった後の読後感が物を言うわけで…。もっと平たく言えば、起承転結で、徐々に話が盛り上がり、終わりに近付くにつれ、重みを増すというか。クライマックスにふさわしい話を最後に持ち出せるかどうかが、文章を書く上で重要なポイントになってくるように思います。


 最初が物凄く為になる話にもかかわらず、後半、クライマックスに近付くにつれ、焦点がぼやけ、何を言いたいかわからなくなるような話では、文章の構成を含め、再考する必要があるでしょうし、読者に言いたいことの1割も伝わりません。


 特にエッセイやコラムは、読後感が大切だと言われていて、読み終わった後に、読者の心に小さな、ロウソクの炎が灯るが如く、希望やメッセージを伝える言葉を添えるべきだとも言われ、なにか1つの言葉でも心に残せなければ意味がありません。


 やはりそれには順序立てて文章を述べる必要がありますし、後半、クライマックスが近付くにつれ、文章の濃淡が増すようにしなければ効果が薄れます。そこに作家としての力量が問われていて、散り際を飾る意味でも、終わりの美学、〆の言葉を大切にするべきでしょう。


 カクヨムでは、文章や章を丸ごと前後に入れ替えたり、途中に挿入できるメリットがある反面、文章の前後を入れ替えることで、文章の構成を崩してしまう、デメリットも否定できない。


 できれば、メインディッシュによる演出は、最後尾で明らかにしたほうが効果的で、1番伝えたいことをどの場面で展開させるかは、作家としての器量が問われる問題でしょう。


 なぜこのようなことを述べるかというと、このお話がまさにその場面に直面していて、後半、最終章の1つ手前に、気付きの文章を幾つも書き加えていくわけですが、どうもその都度、読者の読み心地が、ぐらりと変わってしまうようで、終わりにふさわしくない文節を終わりから2番目に持ってきたときなど、読後感があまりよくないみたいで、レビューしてもらえない現象に苛まれる。


 まあ、些細なことに気をとらわれすぎなのかもしれませんが、できれば、起承転結を意識して、最後のまとめにふさわしい文節を後半、終わりから2番目くらいに持ってきた方が、収まりがいいというか、読後感がいいのかなということは作者の贅言ぜいげんとして述べさせていただきます。


 最後にふさわしい文章、終わりを締めくくるにふさわしい文章。

 どうぞこれらを文章指南の核として、再度、構成を練るようにしてみてください。


 ホップ・ステップ・ジャンプ。

 最後を締めくくるに、ふさわしい言葉を残せるかどうか、それを判断するのは読者だけです。


 終わりの美学を貫き、散り際に人生を見出せるように、終わりにふさわしい文章をどうぞ心掛けてください。

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