第184話 追悼

■1570年10月

 美濃国 郡上八幡

 石島家


 郡上八幡城へ戻ってから数日間、朝日が昇ってから夕日が沈むまで、俺はずっと働き続けている。


「殿、あの林の手前の農家で御座います」


 撤退戦で戦死なされた方々のご家族へその報告に回っているのだが、今回の合戦で亡くなった方や行方不明になった方は五百名以上に上る。一日二十軒以上を回っているが、まだ半分も終わっていない有様だ。


 訪れた先々で、自分の責任を痛感させられている。

 俺が戦死者さんの御宅を訪問して回っている事は、既に郡上では知れ渡る話となっており、俺が訪問するとその家の方々は皆さん暖かく迎え入れてくれた。


 どうせなら、罵ってくれたほうがまだ気分が軽い。


「石島洋太郎で御座います。この度は私が至らぬ為にご主人を死なせてしまいました。本当に申し訳ありませんでした」


 もう何回頭を下げたか分からない。数えたいとも思わないし、数えた所で、何回下げた所で足りないとも思う。


「へへー。もったいなきこと」


 そして頭を下げる度、地べたに這いつくばるようにして俺に頭を下げ返すご家族を見なくてはならない。正直言ってこれが一番辛いのだが、十三くんに言わせれば「日頃の善政の賜物」だとか。

 中には涙を流しながら、俺のために死ねたのならば故人も本望だったであろうと言う人までいる。


(違うんだよ……俺はそんなに価値のある人間じゃない)


 信長様から頂戴した大量の黄金は、全て戦死者さんのご家族の為に使う事に決めている。十三くんはその資金を戦力の立て直しに使うべきだと主張していたが、俺は絶対に戦死者さんのご家族への補償に使うと決め、既にその手配を色々と進めているところだ。


 十一月。


 稲刈りも終わり、秋も深まってくる頃になってようやく郡上八幡は落ち着きを見せ始めた。四十九日法要が終わり、郡上八幡城では軍の再編成が急がれている。


 信長様率いる織田軍は未だ比叡山延暦寺を包囲中であり、状況は予断を許さないらしい。結局の所、今回の合戦は織田家が四方から攻められている形になっている。


 近江では森可成さん、織田信治様。それと尾張の端っこの方では伊勢長島の一向一揆が攻めて来て、信長様の弟である信興さんが亡くなったそうだ。

 信長様はこの一連の激動で、弟さんを二人も亡くした事になる。その心情を慮れば、俺も郡上八幡でしょんぼりしてる場合ではない。


 きっちり準備して、次の出陣要請には何事も無かったように駆けつけようと思っている。それはきっと、九郎様も望んでいる事だろう。あの人は兄である信長様をとても尊敬していた。

 新しい世を作るのは兄しかいない、と恥ずかしげもなく断言していた九郎様の顔を思い出す。



 同年、十二月。


 比叡山延暦寺の包囲が一応の決着となったこの日、俺は岐阜へ出立する準備を急いでいた。新年を迎えるにあたり、それを岐阜で過ごすためである。


「それでは美紀さん、留守をお願いしますね」

「はい。お気を付けて」


 俺達が近江で頑張った事と、伊藤さんが水軍を率いて武田信玄を牽制した事。この件について信長様が直々に褒美を取らせるから岐阜に来いと言いつけられている。そしてそのまま岐阜で年越し予定だ。


 だが、この岐阜出張に陽は同行しない。

 岐阜にも屋敷があるし、伊賀からは伊藤さんも優理達も来るのだが、陽は体調を崩しているのだ。


 思い返せば一昨年はもかなり咳き込んで、俺も一緒に体調を崩したりした。去年の冬も少し咳き込んで医者を呼んだが、今年も同じように咳が酷い。寒い時期になるとなるのだろうか。


 俺のお世話係にはお末ちゃんと唯ちゃんが同行してくれて、美紀さんは留守中の取り仕切りを陽に代わって執り行ってくれる。


「心配ですね。陽さん」


 一面銀世界の郡上八幡を徒歩で岐阜へ向かう。唯ちゃんも陽の事をとても気にかけてくれていて、既にお医者さんを手配してくれていた。


「一昨年は俺もなったけど去年は平気だったし、今年も大丈夫みたいなんだよね」


 インフルエンザがいつの時代からあるのか知らないが、この時期となればノロだとか色々ある。ましてやろくな暖房がないこの時代はとにかく寒い。


「ま、こんだけ寒ければ、そりゃ風邪もひくよね」


 呼び出された日程よりは早く岐阜に到着する予定である。

 空いた時間を使って、岐阜に作られた九郎様のお墓をお参りするつもだ。ご遺体は京都の妙覚寺というお寺に葬られそこにお墓もあるのだが、岐阜にもお墓が作られたのだ。


(暖かくなったら京都にも行きたいな。九郎様に西洋美女を紹介しないとね)


 どうにか説得して、優理か唯ちゃんか瑠依ちゃんに同行してもらおうと思っている。



◆◇◆◇◆


◇1571年元旦

 美濃国 岐阜城

 織田家


 朝倉義景に泣きつかれた将軍足利義昭による再三に渡る講和要請に応じる形となり、朝倉義景を本国へ逃した織田信長は不機嫌な様子で年を越しを迎え、参賀に訪れる各将との会話も弾むことは無かった。

 年始の慣例を一通り済ませた織田信長は伊藤修一郎長重を奥座敷へ呼び出すと、お気に入りの茶坊主が点てる茶を振舞いながら、今後の事について意見を聞くつもりでいた。


 岐阜城の主の為に豪華な作りがなされたこの部屋には、薄暗い灯りに照らされて四名だけが座っている。伊藤、信長の茶坊主、信長。そしてもう一人、伊藤修一郎が諏訪の地へ湯治に出されていた時に同行した長谷川竹が世話役として同席していた。


「武田は」


 竹から茶を受け取った信長は茶碗を片手でつかみながら、じっと伊藤を見据え問いかける。伊藤の返答を言葉だけでなく、その動作から全てを見逃すまいとして鋭い眼光を注いだ。


「動けば公方様の御内意を得られるという自信があるのでしょう。ですが自信ばかりで確証が無い。故に徳川殿を攻めるに留まっているのだと思います」


 そこまで言うと、竹の差し出した茶碗を手に取り言葉を続ける。


「公方様が武田への支持を御表明なされば、武田菱を掲げる三万から四万の軍勢が東海道を西進して参るかと」

三河守みかわのかみを攻め、公方の内意を引っ張り出そうとしておるか」


 信長は独り言のように呟くと、手にしていた茶碗を一口に煽った。そして、内に秘めていた事柄についてを伊藤に問う。


「公方を捨て置くが得策と見るか」


 信長は既に足利義昭をこのままにしておくつもりがない。

 冬になれば朝倉勢が進退窮まる事は目に見えていたにも関わらず、執拗に講和を要請してきた義昭を既に半分以上見限っていた。


(大人しくしておれば良い。邪魔立ていたすとあらばそうもいかん)


 戦の無い新しい世の中を創造する事。天下布武の印判に込められた想いは京を抑える事で現実味を帯び、信長にとって確かな目標となりつつある。それを、自分が将軍の座に据えた足利義昭が阻もうとする事が我慢ならない。

 だが、足利義昭を京から放逐するとなればそれ相応の覚悟が必要となる。未だ各地に勢力を持つ将軍家贔屓の守護大名は多い。


「捨て置くのは得策ではありますまい。各地の有力大名と親密になればそれだけ強大な力を得る事になります」


 信長の考えている事と伊藤の考えている事は概ね同じである。歴史を知っている伊藤が合わせていると表現した方が正しくはあるが、それを信長が知る由は無い。


「しかしながら、それを止めようと思えば公方様との対立は白日の元に晒されましょう。そうなれば我等が苦しくなるかと」


 信長が聴きたかったのはこの次の言葉である。とは言え今までの言葉が回りくどかったかと言えばそうではなく、信長は伊藤の述べた事柄が自身の考えと同じである事に安堵を覚えていた。


「して」


 少しの沈黙が流れた。

 夜を迎えた岐阜城の天主に、真冬の冷たい空気が漂う。

 問われた伊藤は、この信長包囲網と呼ばれる次期を史実通りに乗りきる事だけを考えていた。


「公方様と事を構えるのであれば、先ずは我等が力を付ける事が肝要。特段の事はなく、今までなされてきた事と同じ。出来る事を一つづつ、地道にやっていくのみかと」


 その答えに、信長は珍しく笑みを漏らした。

 桶狭間の合戦や、電撃的な美濃攻略。そして足利義昭を報じての上洛から、畿内近隣の取りまとめ。華々しい活躍は、その奇抜な思考の産物だと思われがちであるのだが、信長にしてみればそれは全くの見当違いである。


 出来る事を一つづつ、地道に積み重ねてきたに過ぎない。


 ただ、他者と違う点があるとすれば、出来る事として思い浮かべた範囲が広い事と、それを実現する為に思い描いた事をひたすら行動に移してきた事だろう。

 人の倍働く等と言う表現があるが、正しく織田信長はこの時代の大名達の倍働き、それに習うようにして織田家の将兵も体を酷使して働き続けて来た。今ある織田家の栄華はその結果に過ぎないのだが、それをそう言い切れる者は織田家中でも多くはない。


 それが伊藤の口から出た事に、信長は大層喜んだ。


 目の前の不思議なこの男、年は自分とさして変わらないであろうこの男を、態々養女を取ってまで一門に迎え入れた事に満足を隠せず、つい表情に出たのである。


「修一郎、大義」

「ハッ」


 その場で深々と頭を下げた伊藤が速やかに天主を後にした。

 伊藤にしてもこの会談は成功と判断。時代が大幅な変革を起こす事をどうにか阻止できた満足感を持って退室することが出来た。


 一方、伊藤と話した事で胸のつかえが取れた信長は、伊藤に続いて茶坊主にも退室を促した。伊藤と茶坊主が帰った後片付けをする竹は、主が見せた一瞬の笑みに驚きを隠せずにいる。


 つい先日まであれ程不機嫌だった主の表情は、同じ人物とは思えぬ程に穏やかになっていた。


「竹、こい」

「あ……ハッ」


 珍しく優しい表情で呼びかけた信長は、少々戸惑う竹を伴って寝所へ入るとその衣服を強引にはぎ取った。


「殿、まだ片付けが済んでおりませぬ」

「よい」


 竹はまだ育ちきらぬ華奢な身体を信長に委ね、闇夜に深く沈んで行った。



■1571年4月

 山城国 京 妙覚寺

 石島家


 二月に佐和山城が降参した事で、京都と岐阜の連絡路はかなり安全になった。


 それを受け、俺は九郎様のお墓参りを決断。郡上から美紀さんと唯ちゃん。伊賀からは伊藤さんと優理と瑠依ちゃんが参加してくれた。


 陽は温かくなると体調がすっかり良くなったようではあるが、念の為に今回は郡上八幡にお留守番である。陽も優理達に負けないくらいの西洋美女な気もするが、まさか自分の妻を紹介するのも気が引けたので丁度いい。


「九郎様……」


 俺は墓の前で手を合わせ、後ろに居並ぶ石島家自慢の西洋美女を紹介した。

 お墓には、優理と瑠依ちゃんが持って来てくれた碁石が置かれ、天国でも囲碁が楽しめるようにとお供え物となっている。


「妙覚寺……か。そういや殿、最近奇妙丸様と会いました?」


 伊藤さんが何かを思い出したように切り出した。

 

「ええ、最近って言ってもお正月ですけど。岐阜で剣術の稽古に付き合わされました」


 信長様のご嫡男、奇妙丸様には温泉ツアーの一件以来なんだか慕われているようなのだ。慕われているのか、子分と思われているのかは判断が難しい所ではあるが、それなりに親しくさせてもらってるのは間違いない。


「そうですか。ま、ちょっと気になっただけです」


 伊藤さんは何かを隠しているのか、本当に気になっただけなのか、俺にはさっぱり分からない。どこか遠い目をしながら、この妙覚寺の本堂をぼんやりと眺めている。


「この場所、なにかあるんですか?」

「いや、直接的には何もないよ。ま、大した話じゃないから気にしないで」


 その後、伊藤さんはお仕事が忙しいらしく日帰りで伊賀へ。俺は久しぶりに美女四人に囲まれて、ハーレムを満喫しながら京都の町を散策。残念ながら身辺警護には十五くんが付いているし、その配下として何人かの男陣が混ざっているのが気に食わない。


「殿~、殿~、これ買って下さいな♪」


 瑠依ちゃんのおねだり攻撃に甘々になり、俺は幸せな時間を満喫しつつ三日間滞在した。


 断言するが、ムフフ展開は一つもない。なんせ十五くんと同じ部屋だったのでそういう訳にもいかなかったのだが、十五くんがいなかった所でその期待は薄いだろう。

 いや、陽を裏切るような事は何一つ期待していないと断言する。


 帰りがけにもう一度妙覚寺を訪れた。

 ちょっと警護が物々しかったので、お寺に入るのは俺だけで皆には外で待って貰う事にした。


 一人でお寺に入るとすぐ、見知った顔を発見する。


「これは郡上の石島様、只今弾正忠様がお見えで御座います」

「え、まじか……どうしよう。ご挨拶したほうがいいですかね」


 声をかけてくれたのは長谷川竹くんという少年で、伊藤さん曰く、信長さまが熱烈に愛したBLの相手だそうな。想像すると怖いのであまり考えないように心がける。


「石島様であればよろしいでしょう。ささ、九郎様の墓前へ参られませ」


 俺は竹くんに案内されて九郎様の墓前へと足を運んだ。


「毬栗、この碁石はうぬか」

「あ、は、はい。九郎様にと」

「ふんっ」


 信長様はあのよく分からない反応を見せ、九郎様の墓前に俺達がお供えした碁石を撮んでは興味無さそうに物色し、思いの外丁寧にそれを戻して蓋を閉じた。

 そのまま無言でこちらへ歩いてくるが、どうもこのままお帰りになるようだ。道を譲る様にして一歩脇へ逸れ、軽く頭を下げて信長様が御通りになるのを待った。


 その時。


「礼を言う」


 小さく、小さくではあったけれど、通る過ぎる信長様からそんな一言が投げかけられ、俺の胸をじんわりと熱くした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る