第179話 志賀の陣 四
◆◇◆◇◆
◇1570年9月19日 夕刻
近江国 坂本
朝倉浅井連合軍
十六日に敗北を喫した森可成と織田信治の両将に対し、万全の備えを以てこれを討ち下した連合軍は、既に暗くなり始めている空の下、坂本の先にある要所、宇佐山城の城代を務める森可成の所在を探していた。
ここで森を捕えるか、もしくは討ち取りでもすれば、宇佐山城を攻める手間が省ける可能性もある。まずは森の
そんな中、守山辺りから堅田へ渡ったと思われる織田の小勢が湖岸を南下中との知らせが全軍を駆け巡り、森探しに退屈していた多くの部隊がそれを討ち取るべく行動を開始。
いくつかの隊が挑みかかり、敗れては新たな情報がもたらされる。
「ほう……敦賀の折の」
朝倉軍の先陣を務める朝倉景鏡は、湖岸を行く小勢が郡上八幡の石島隊と知って俄然やる気を滾らせた。
「敦賀での借り、返させてもらう。者ども、湖岸を行く織田勢を捻り押しつぶせ!」
朝倉家当主の義景が自ら出陣してしまった今回、景鏡はその面目を失いかけている。
更には十六日の戦闘では不甲斐ない姿を見せてしまっている為、どうにかして戦果を獲得したいという思いもあった。
湖岸を南下する織田勢の位置を予測しつつ、先周りをせんとして坂本付近に陣取った朝倉勢五千は、偶然にもその近隣に身を潜めていた百騎程度の織田の敗残兵と接触。激しい戦闘となった。
「このような所に潜んでおったか、新手が到着する前に一掃いたせ!」
南下してくる石島隊と接触する前に蹴散らす必要がある。
いかに小勢と言えども、石島隊には敦賀で苦汁を舐めさせられている。その石島隊と槍を交えるのに、僅か百程度とは言え別方面も同時に相手にするのは危険と言えた。
◇織田軍
総大将の森可成や織田信治と合流し損ねた形となった織田の敗残兵百余騎は、坂本の東側の湖畔付近に集結し、どうにかして宇佐山へ退く事を思案中であったが、そこへ朝倉勢が到着した事により生きて宇佐山へ戻る事を諦めるに至る。
「後世に語り継がれる程の働きをしてくれよう」
百余騎の中心人物は、織田信治と共に参戦していた尾張の侍二人。
名を
古くから織田家に仕える身の上で、特に美濃での戦に功があり、信長直筆の旗指物「天下一の勇士也」を掲げる剛勇の士である。
森可成隊、織田信治隊が壊滅状態となっている現状において、命よりも名誉を守る戦いが始まった。
「道家清十郎である! 我が首欲さんとする者は寄せて参れ!」
朝倉景鏡の手勢五千に対して挑みかかるこの百余騎は、既に死兵と呼ばれる類の集団と言える。古今、軍略における最も悪手と言われるのが、死を覚悟したこの「死兵」と呼ばれる集団とまともにやり合う事だ。
死を恐れる事のないこの集団は無類の力を発揮する事が多く、まともにやり合えば戦果に見合うような被害では済まないのだ。
しかし、所詮は寡兵。
幾重にも包囲され、次第に数を減らし、ついには道家兄弟の身体にも無数の槍が突き立った。
朝倉勢がたかだか百騎程度の織田勢に手を焼いている間に、堅田から南下を開始していた石島長綱の兵が到達。
道家兄弟の身体に槍が突き立ったのとほぼ同時に、石島隊からの一斉射撃が朝倉勢に浴びせられた。
その轟音に生気を取り戻した清十郎は、最期の力を振り絞った。
「御味方ぞ、奮え」
誰かに聞こえるような声ではなかった。
それは、清十郎本人にしか聞こえない、自身に向けた言葉である。
身体を起こし、敵を睨み据える。
既に息絶えようとしている弟助十郎に跨りその首級を取らんとしていた朝倉兵に、勢いよく飛びかかった。
「死出の共を、してもらうぞ」
逃れようとする朝倉兵の首元に短刀と突き入れ、噴出する返り血を顔中に浴びながら立ち上がる。
「こ……の……」
群がる敵勢に何かを言おうをしたが、既に言葉を発する事さえ叶わず、その口からは言葉の代わりに大量の血を吐き出した。
道家清十郎の異様な立ち姿に恐れをなす朝倉勢は、北から寄せる石島隊の対応に回るべく、僅かに生き残った織田兵を放棄して北への備えに移る。
修羅の如き表情で目を見開いたまま、退いて行く朝倉勢を見届けた清十郎は立ち姿のまま真後ろに倒れ、絶命した。
■1570年9月19日 夕刻
近江国 坂本
石島隊
一糸乱れぬ、とはこの事だと思う。
大原十三綱義くんの指揮は、伊藤さんの分身かと思う程に実に冴えわたり、その手足となって働く大原十五綱忠くん吉田左京進くんを中心に、挑みかかってくる朝倉勢をあっという間に追い払って行った。
隊は決して四散せず、一定の距離を保ちながら互いの背後を守り、その中心に畑佐さん親子の部隊がどっしりと構え、十三くんから要請があった地点へ兵を繰り出してはすぐに戻り、ヒットアンドアウェイ作戦で味方を助けていた。
「申し上げます、尾州守山の御味方三十騎程と合流! 大将道家清十郎様は討死!」
「清十郎さんのご遺体は!?」
「ハッ。只今御味方の手に」
「では、三十騎の方は清十郎さんの亡骸を御連れするようにと伝えて下さい。天下一の勇士をここへ置き去りには出来ません!」
岐阜で何度かご挨拶をした事があるおじさんである。
信長様が粋な計らいを施された剛腕おじさんだ。ここでお亡くなりになった事は残念だが、せめてご遺体だけでも一緒に帰ろうと思う。
「申し上げます! 森可成様からの伝令が参りました!」
「直にこちらへ!」
南下しつつ周囲に気を配ってはいたが、当然ながら森さんの隊が何処にいるのかなんて分かる訳も無かった。なので森さんの隊からの知らせは本当に助かる。敵に囲まれながら森さんと九郎様を捜索するなんて正直難しいからだ。
「申し上げます。我が主、並びに九郎様、共に深手を負われ既にお倒れで御座います。琵琶湖へ逃れんと船を探しておりますがこの辺りには漁民はおらぬようでなかなか……」
伝令さんの言葉には絶望の色が見て取れる。疲労はとっくにピークを越えているのだろう。どうにか精神力で生きているような感じだ。
「この辺りという事は、森様も九郎様もこの辺りにおられるのですか?」
「ハッ。少し南の湖岸に伏せております」
あとはもう、向かうだけだ。
(九郎様、すぐに行きますからね!)
十三くんの指揮で俺達は隊を二手に分ける事になった。
十三くんと畑佐さんを中心に敵の追撃を食い止めつつ南下する部隊。もう一つは、十五くんと吉田くんを中心に俺と一緒に急いで南下する部隊。
「では、後程!」
十三くんはまだ元気だ。
見渡す感じだと、郡上八幡の兵はまだそれ程の被害もなく、漲る気合が目に見えるような勢いがある。
「殿、参りましょう!」
十五くんに促され、俺は九郎様の待つ湖岸へと急いだ。
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