第174話 変革への挑戦
◆◇◆◇◆
◇1570年8月25日
駿河国 駿府城
武田家
この日、駿府に集まった軍勢は六千騎。
対上杉、対北条との関係改善に進展が無い武田家は、主戦力である信州や甲州の兵を動員する事を極力避け、現段階では駿河の兵のみを招集していた。
天候は良く、冴えわたる青一色に染まった夏空の下、山県昌景率いる赤備え隊千騎を先頭に、武田軍六千騎が東海道を西へと進む。その一団の中に、この出陣を陰で差配した人物の姿があった。
二年前の丁度この時期、腕の立つ従者を連れて山伏の姿で現れ、武田家に仕官を願い出た奇妙な人物である。
武田信玄はこの人物を山県昌景の下に付け、大いに目を掛けていた。
「殿、いよいよですな」
馬上の主、山県昌景へ声をかけた村上は、ギラリと光る眼光を隠すように視線を少しばかり空へと向けている。隠そうとはしているが隠し様の無い興奮が滾っており、普段から多弁なこの男により多くの言葉を語らせていた。
「織田は畿内に手を焼くでしょう。今ならば徳川など簡単に蹴散らせる。徹底的に叩きつぶす気概で挑みましょうぞ」
語りかけられている山県は、先程からあまり返事をしていない。取り分け寡黙な人物という訳ではないが、山県自身どうにもこの村上という男が苦手なのである。
苦手にもいつくか種類があるが、この場合はどちらかと言えば「嫌いな男」という分類になるであろう。山県は自身の配下として活躍している村上を、どうにも好きになれないでいたのだ。
そんな主の気持ちを知ってか知らずか、村上は言葉を止める気配がない。
「奥三河衆など我等が遠江で暴れ回れば即座に下るでしょうな。されど其れを受け入れるかどうかは考え物。いっそ撫で斬りにしてしまうのも良いかと」
既に何度目か、同じ話の繰り返しである。
村上の考えでは、遠江はともかく三河の国人衆に関しては厳しい対応が必要だと結論付けている。これは徳川家を中心に、元来土着性の強い三河武士の結束を警戒しての事であり、例え三河の国人衆が降伏を申し出てきたとしても、これを安易に受け入れるべきではないと進言しているのだ。
「此方に付いたとて、またいつ寝返るか分かった物ではありませんからな」
三河は大いに揺れていた。
この年、三河岡崎城を本拠地としていた徳川家康は武田への防衛対策として、その本拠地をより前線に近い遠江曳馬城へと移し、城の増改築を開始していた。
それまで本拠地であった岡崎は嫡男である松平信康に与え、自らは獲得したばかりの遠江へと移ったのである。
この点、家康という人物は信長寄りの合理的な思考の持ち主であった事がうかがえる。
しかし主程に合理的な思考を持ち合わせていない配下からは、この決断に不満の声が上がっていた。
それまで当主家康の配下として活躍してきた三河衆にしてみれば、今後は遠江衆を重要する事になるこの決定に不服であったのだ。
結果として後年、この事が尾を引く形で徳川家に惨事が訪れるのだが、それはまた別の件。
当主が遠江へ移住した事で若干結束の弱まった三河では、山岳地帯を治める有力者、奥平氏、菅沼氏、田峰氏の三家が不穏な状況となっており、武田の調略に揺れ動く日々を過ごしていた。
「遠江を盤石な物とする時間はありませぬ。そうなれば三河を盤石とするのもまた難しく、いっそ撫で斬りに滅ぼして新たな領主を置くのがよろしいかと」
村上の言いは、これまで武田家が取ってきた方針とは真逆である。
特に奥三河のような山岳地帯でそれが難しい事を長年の経験で理解している山県にとって、その進言は受け入れがたい物であった。
そのため、その進言を用いるとは一言も言っていないのだが、当の村上は進言が用いられると信じて疑っていない。
故に、多弁になる。
「三河武士などと大層な事を申してはその武勇を誇っているようですが、我等武田の前では赤子も同然。浜松城の徳川勢の首、浜名湖の畔にでもずらりと並べてやりましょう。岡崎勢もそれを見れば戦々恐々となって頭を垂れるでしょうな」
それまで黙って聞いていた山県は、ここでようやく口を開いた。
「先程からハママツハママツと申して居るが、ハママツとは曳馬の事か」
「ハッ。これは失礼を致しました。曳馬城に御座います」
「そうか、まあよい。武敏よ」
馬上の人となっているこの主従は、背丈に大きな違いがあり、主である山県は村上を若干見上げながら言葉を続けた。
「勝ちて
それだけを言うと再び口を閉じ、この日は再び開く事はなかった。
同年八月二十七日。
山県隊を先頭に武田軍六千騎が遠江に入ると、遠江の諸勢力は挙って武田の旗印へと馳せ参じては臣従を誓った。武田家による遠江侵攻に対抗しうるだけの力を、徳川家が持っていないという判断が一般的な物であったからだ。
時を同じくして、信玄の娘婿である
東駿河では、武田信玄の六男を養子に迎え入れる事で一門衆に列する事が決まっている葛山元氏が兵を集め、穴山信君と合流して興福寺城に入った。
この動きは、北条氏への備えである。
穴山信君が興福寺城に入った事を確認した武田信玄は、直に駿府を発った。
先発隊六千騎に遅れて集めた兵は約三千騎。
遠江の武田勢は既に一万余まで膨れ上がっており、この段階で一万五千に迫る勢いで遠江の徳川を圧迫し始めている。
史実では、この時期はまだ駿河を手中に収めていない武田家にとって、大きな歴史変革を起こす可能性を秘めた軍事行動となった。
◇1570年8月28日
遠江国 曳馬城
徳川家
武田軍の乱入に対し、徳川家康は各城に対して徹底した持久戦を指示。安易に城から出てはならないと厳命を下した。
この時期の徳川家の三河における最大動員力は二万近いが、この一年間で浪費した戦費は莫大であり、如何に徳川存亡の危機と言えどもそう簡単に最大戦力を発揮出来る筈もない。
その上、徳川傘下に入ったばかりの遠江の国人衆は続々と武田家へと鞍替えしているが、こちらは家康にとって想定内の事態であった。
未だ改修工事の完了していない曳馬城の御殿の縁側に、最近手に入れた自慢の鷹を愛でながら思案を巡らせている家康の姿がある。
(武田の御蔭で敵味方がはっきりとしたのは良いが。さて、上手く乗り切れるやら)
今川の滅亡によって比較的あっさりと手に入れた遠江において、徳川が危機となった場合に裏切る可能性のある者などそれこそ数えきれないほどいる。
それが今回はっきりと判別された事になるが、このまま滅ぼされてしまっては本末転倒である。
そう思う家康の傍らに、本多平八郎の姿がある。
「殿、後詰めなしで籠城など愚策。この平八郎に兵をお預け下され」
「平八郎よ、何度も言わせるな。今は無用じゃ時を待て」
「なれば、北条、上杉へ武田領への侵攻を催促なされませ」
「それも無用じゃ、時を待て」
既に小一時間ほど、この主従は同じやり取りを繰り返していた。
何度却下されようとも一向に引く気配の無い平八郎もさることながら、その平八郎のしつこさに嫌な顔をしながらも延々と付き合う家康も大したものである。
家康は武田家との戦闘行為を極力避けるつもりであり、三河岡崎を任せた嫡男松平信康に対しては、遠江への後詰めを硬く禁じていた。
三河勢は松平信康を総大将に、酒井忠次、石川数正等が兵を集めているが、これは武田家の三河乱入を食い止める為の兵としてである。遠江の城の救援は行わず、武田家と一戦に及ぶとすればそれは武田が三河に侵入した場合に限定される事になるであろう。
家康が選択した策には多くの反対意見が寄せられたが、家康は頑なにこの策を曲げなかった。そこには、とある人物との間に交わされた約束を信じている、という裏がある。
「殿、後詰めなしで籠城など愚策。この平八郎に兵をお預け下され」
「今は無用じゃ、時を待てと申しておろうに」
「なれば、北条、上杉へ武田領への侵攻を催促なされませ」
「そちは鸚鵡か。同じことばかり申しおって」
日が傾き始めた頃になって武田信玄が動いたとの知らせが入ったが、だからと言って特に策を変更する気も無い家康は、腹が減ったと言い出しては夕餉の仕度を急がせた。
「さて、武田を退けたならば堺へ使いを出して鸚鵡を買い付けようかの」
鷹を愛でるのに飽きたのか、自慢の鷹を鷹匠に任せた家康は、ようやく縁側の席を立ち御殿の奥へと歩き始める。
「殿、お待ち下され」
その背後に身を低くして両手をついた平八郎が声をかける。
「後詰めなしで籠城など愚策。この平八郎に兵をお預け下され」
「平八郎……」
流石の家康もとうとう深いため息をついた。
「……案ずるな。槍働きが必要となったならば真っ先に平八郎に兵を預ける。その時は頼むぞ。さ、夕餉にいたそう」
再び歩き出した家康に、近習と平八郎が付き従う。
自分の後方を歩く彼等に、家康は独り言とも取れる言葉を投げかけた。
「それにしても
武田家の侵攻に対して当主の緊張感が無いまま、徳川家では籠城の仕度が進められていた。
◆◇◆◇◆
◇1570年9月3日
摂津国 天王寺
織田軍
摂津代官金田正利の奇襲により若干の被害を出した三好勢は、織田信長の摂津着陣を一切妨害する事が出来ず、いとも簡単に目の前に陣取る事を許してしまった。
織田勢は数で劣りながらも、悠々と野田、福島の両城から目と鼻の先と言える天王寺に本陣を構え、特に刃を交える事なく戦線を広げる。
点在する中州に兵を出しては野田福島の両城を取り囲む姿勢を見せ、その威圧を以って三好方の将兵を調略。既に幾人かの将兵を織田方に引き入れる事に成功していた。
更にこの日、将軍足利義昭も奉行衆二千騎を率いて摂津へ入ると、将軍家勢力である細川氏の城へ入り三好三人衆と対峙。
京から遅れて馳せ参じた織田の兵も大半が合流し、信長本人の来訪に摂津、和泉、河内等の畿内各地から慌てて織田の旗に馳せ参じる者もあり、摂津の戦況は一転して織田優勢となっていた。
織田本陣が置かれた天王寺より若干南側、野田福島両城と川を隔てた地点に金田正利の陣がある。
「健二郎よ、雑賀党をどう見る」
池田勝正が気にかけているのは、三好三人衆に呼応する形で野田城へ入った雑賀の傭兵集団の事だ。
「どうなんでしょう。ま、雑賀衆も根来衆も大半は味方ですからね、彼等に対応を任せるのもいいかもしれません」
紀州雑賀を中心に活動する雑賀衆は、大きく分けて幾つかの派閥に分かれている。その中で特に武勇を知られている
「雑賀衆同士で撃ちあうか。そいつぁお天道様も驚いて引っくり返るかもな」
この合戦で本格的な銃撃戦が行われたかどうかは定かではないが、当時鉄砲の運用を積極的に行っていた雑賀衆、根来衆、織田家が揃った事で、この地に相当量の鉄砲が集結していた事は疑いようがないであろう。
「義兄、正念場はこの後ですから。ま、そっちに俺達が関わる事はなさそうですけどね」
棚引く軍旗の隙間から野田城を見据えながら、金田は近江の心配をしている。伊勢での一件以来、良い関係を構築してきた森可成の身を案じているのだ。
(もしかしたら……石島ちゃんが何かやらかして可成さん助かるかもしれないしな)
とは言え、石島洋太郎にも危険な橋は渡って欲しくない想いも持ち合わせている。
この野田城、福島城の戦いを発端とする所謂『志賀の陣』の幕開けは、織田方に身を置く限りでは殆どが史実通りの展開である。
そして金田は駿河の動向を知る由もなく、時代が変革に向っている事を未だ気付けずにいた。
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