第175話 変革の鍵

◆◇◆◇◆


◇1570年9月6日

 遠江国 掛川

 武田軍


 遠州に展開した武田軍は、徹底した守備を選択した徳川の戦術に若干の苦戦を強いられていた。苦戦と言っても槍を交えての物ではなく、その真逆。即ち、一切槍を交えない徳川勢に戸惑っている形である。


 遠江各地に点在する徳川派の城砦は門を硬く閉じ、未だに一つの城砦も陥落していない。当然、本気で落としにかかっていない所為でもあるが、多方面に展開した武田軍は掛川に信玄本人が到着してようやく動き始めた。


「まずは曳馬を丸裸にするところから始めようかの」


 絵図面を見ながら満足そうに独り言を漏らした信玄は、村上が差配したこれまでの遠州制圧に一定の評価を下していた。


(大局を見据える事までは出来んが、まずまずよ)


 徳川勢が守備に徹するであろう事を予見していた信玄は、各城砦を包囲する武田勢に力攻めを硬く禁じ、包囲させるに留まっている。これにより、貝のように門を硬く閉ざした徳川の各城砦は互いに連絡を取り合う事が難しくなっていた。


「三郎兵衛、高天神と掛川は特に抑えておけ。本隊はこれより二俣へ移る」

「ハッ」


 山県に今後の動きを下知した信玄は、右手に一通の書状を携えていた。


 送り主は本願寺第十一世、本願寺顕如。


 書状が記された日付は三日ほど前であり、信玄個人に宛てられた物であった。


 内容は概ね以下の通り。


『身命を顧みず戦う仕度が整いつつある。九月六日には各地の門徒へ檄文を書き送り、その後は流の儘になるであろう』


 本願寺顕如の妻は、武田信玄の妻の実の妹であり、この二人は言わば義兄弟となる。

 以前から本願寺勢力に対しての経済的支援を行っていた武田信玄は、今回の遠江侵攻にあたって反織田勢力の状況を正確に把握すべく各勢力の長と連絡を密にしていた。


(あと数日もすれば状況は急転する。どれ程守備に徹してみても、状況は悪くなる一方ぞ。どうする、三河の小僧)


 年数にして約二年、史実よりも信長包囲網の完成が早くなる事になる。それは、武田家が村上等の活躍によって駿河平定を早めた歳月と同じであった。


 ――同日、高天神城。


 山県隊をはじめとする三千騎が包囲する高天神城は、天険の城という表現が似合う山城である。然程標高の高い山ではないが、斜面は急であり、尾根は守備に適した理想的な形をしていた。

 その山にこれもまた理想的に張り巡らされた土塁は、敵を寄せ付けない中世の堅城の特徴を多く持っている。石垣や天守は存在しないが、まさしく名城の類に入る堅城である。


 そして後年、この城が武田家の命運を決定付ける城になる事を今はまだ誰も知らないでいた。


 この日の夜、高天神城を包囲中の武田勢の一角、山県隊の中でも特に火縄銃による戦闘を得意とする部隊で、二人の男が酒を酌み交わしていた。


「なぁ、タケ。俺は難しい事はよくわかんねえけど、上手く行ってるのか?」


 曽根吉雄そねよしかつ


 村上の従者として付き従っていた男で、古今無双の豪傑として武田家中のみならず、既に関東方面ではその武勇を以って広く名の知れ渡る存在である。


 元は高谷と名乗っていたが、信玄の命により甲斐の名門曽根氏当主である曽根昌世そねまさただの養子となり、曽根氏の手勢を率いて各地で大活躍を演じていた。


 曽根昌世は、武田家の嫡男が廃嫡され自害にまで追い込まれた俗に言う『義信事件』に連座する形で、自身の長男を処刑され失っていた。その後継を案じた信玄による計らいであった。


「ああ、たぶん上手くいってる。ヨシオもちっとは勉強しろよな。ま、俺がやるからいいけどよ」


 村上は杯を傾けながら、遠く空を見上げた。

 彼等のいた時代であれば簡単であった遠くの情報を知る事も、この時代では何日もかかる。


「たぶん石島は慌てふためくぜ。なんだか知らんけどそこにくっついてる伊藤もだ。名付けて『真・信長包囲網』って感じか。歴史変革は貰ったぜ」

「んだな。そういや、タケはあの手紙信じてないのね」


 曽根の言う手紙とは、半年程前に伊藤から届けられた物を指す。


「信じるわけねーだろ。だせえ小細工しやがって、ぶっ潰してやる」


 彼等に送られた手紙には、二年前、あの簡易キャンプで起きたトラブル、村上や曽根がキャンプを発った翌日の出来事の全容について書き記されていた。


「んだな。ま、だせえ手使ってでも俺達がゲームチェンジャーになるのを阻止しないと、あいつらにチャンスねえからな」


 曽根の反応に、村上は小さく怪しい笑みを浮かべた。



◆◇◆◇◆


◇1570年9月10日 早朝

 尾張国 清州


 武田信玄が動いたという知らせは直に織田信長の元に届き、信長は各地を守る織田家の将に対して個別に指示を発していた。


 そんな中、清州の商家伊藤屋に、以前にもこの場所を訪れていた女人の姿があった。

 伊賀を治める石島家の代官伊藤修一郎の妻、お香の姿である。


「お香様、本当に乗られるのですか?」

「はい。ご案じなされますな。戦となれば直に引き返す船団でありますれば」


 先月末から続いていた伊藤屋と石島家の商談により、この日の昼には津島に集められる伊藤屋の商船団に、交渉に当たったお香が乗り込むと言うのだ。


 そしてその商船団の行き先は、駿河であり、積荷は大量の松明だけである。


「伊藤屋様、既に修一郎様は志摩の水軍衆と共に津島に向っておられます。仕度を急ぎましょう」


 伊藤屋本人は商家の仕事が忙しく、この船団に関しては用立てただけで直接的な関与はしない予定である。その代わり、長男である伊藤助三郎を船団の長として任命していた。


「承知してりますとも。しからば、道中の事は愚息にしかと申しつけておりますので、どうかご無事にお戻りくだされ」


 伊藤屋の気遣いに軽く一礼したお香は、挨拶を済ませて津島へと向かう予定である。


「はい、助三郎殿を付けて頂けるとは心強い限りです。吉報をお待ちくださいませ」


 伊藤屋が手配した商業用の関船十艘、早船三十艘が尾張の商業港、津島に集結。そこにお香と伊藤助三郎が向かい、伊藤修一郎の到着を待った。



 ――同刻、伊勢湾。


 晴天の続く伊勢湾を、九鬼家自慢の安宅船あたけぶねを中心に大小合わせて百余りの船団が進んでいる。


「なんと、借用までしてばら撒かれたのか」


 その安宅船で伊藤の話しを聞いていた九鬼水軍の長、九鬼喜隆は目を丸くして驚いて見せた。


「ええ。そうでもしないと志摩の水軍を纏められなかったでしょう」


 一ヶ月程前から、伊藤はしきりに志摩を訪れては、志摩国内に割拠していた豪族と関わりを持ち、ついにそれを纏め上げる事に成功していた。

 その裏には、大量にばら撒かれた金銭がある。


「借金までしてかなり散財しましたからね。この作戦が失敗したら石島家は破綻しますよ。宜しくお願いしますね」


 言いながら九鬼の肩を叩いた伊藤は、そのまま席を立って船首へ向けて歩き出した。船酔いという程の事でもないが、あまり気分は良くない。

 その伊藤の背中に、九鬼は徒ならぬ将器を見て取っていた。


(これは弾正忠様が贔屓になされるだけの事はある。我等にとってもここで失敗すれば終わりよ)


 九鬼喜隆は、織田信長が伊勢を平定する直前にその配下となり、伊勢湾の封鎖によって織田勢を支援した実績を持つ。近年は志摩一国を取り仕切る旗頭として、志摩国内をどうにか取りまとめようと努力を続けては来たが、正直上手く行っていたとは言い難い。


 それを伊藤はあっさりと取り纏めてしまった。

 無論、経済力という餌があっての事ではあるが、その経済力も伊藤の努力があってはじめて捻出される物であり、九鬼家にはどう転んでみても用立てられる額ではなかった。


 元来志摩の覇権を争ってきた志摩国内の各豪族は、そう簡単に纏まる物ではなかったのだが、伊藤は『今回の出陣にのみ協力を要請』した。今回の戦が終わればまた好きにしていいという事である。


 これは毛利元就が『一日だけ船を貸してほしい』と頼んで村上水軍を説得した事を参考にしての話であるが、そこに大量の金銭を追加して幅を広げた物である。

 結果として、餌に釣られた志摩の各豪族は今回の出陣に挙って協力。水軍を持つ勢力は惜しむ事なくこれを随伴させ、志摩水軍の総戦力が集結していた。


 安宅船の周囲に展開する戦闘用の関船や早船を眺めながら、潮風にふかれる伊藤が不意に九鬼へと振り返った。


「九鬼殿。御貴殿が下した小浜の水軍が武田に落ち延びておるそうです。安宅船も健在の様子にて、努々ご油断なされますな」


 始まろうとしている志賀の陣に合せた武田の行軍を、伊藤は水軍を以って封じるつもりでいた。

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