第162話 江北へ駆ける
■1570年6月27日 夕刻
近江国 北近江
石島隊
まじめにブラック企業だと思う。
京都、若狭、越前へと連れまわされ、南近江、千草峠と連行され、ようやく帰ってきて、少しはのんびり出来るかと思っていたのにだこの有様だ。
伊賀で伊藤さんと皆の再会に心温まった翌日には甲賀、そして今、何やら大急ぎで北近江の佐和山城とやらに向っている。
「過労死するっしょ」
馬上でこっそり呟いた独り言は、すぐ近くを走る堀くんには聞こえていないはずだ。
この堀くんが急げ急げと急かすものだから、俺達はかなり急いで佐和山城に向っている。後方の荷駄部隊は完全に遅れてしまっている感じだ。
佐和山城に、俺は伊賀の兵隊さん達を率いて向っている。なので普段とちょっと雰囲気は違うが、とても頼もしい人達だとわかる。その頼もしさを嫌という程見せつけてくれている原因が、この強行軍だ。
遅れている荷駄部隊は俺が郡上から連れてきた輸送隊。遅れていないのは伊賀の皆さんである。殆どの人が徒歩であるにも関わらず、甲冑を身に付けて馬の横を軽快に走っているのだ。
(どうなってんだろうこの人達の脚力)
脚力はもちろん、体力も異常だ。
俺なんて鎧着てたら五十メートルも走れない自信がる。
伊賀の兵隊さん達が付けている鎧はかなり軽装ではあるが、それでも今朝甲賀を発ってから数時間、ほぼ休まず走りっぱなしだ。
「石島殿! 見えましたぞ!」
夕日に染まる空の下、佐和山城と思われる場所が徐々に見えてきた。
「堀殿、ここは我等にお任せくだされ!」
「流石は石島殿、承知!」
堀くんは周囲と歩調を合わせる事を辞め、風の様に横山城へ向けてすっ飛んで行った。お馬さんがとても良いお馬さんである事と、堀くんの馬術の腕前が見事な証だろうと思う。
その堀くんが見えなくなったあたりで、俺は周囲に減速するように指令を出した。
「荷駄の遅れもありますので、ここからはゆっくり行きましょう!」
到着してすぐに戦闘、なんて事にはならないだろうが、絶対に無いとは言い切れない。こんなヘトヘトな状態では、ロクな戦いが出来る筈もない。
伊賀の人達は文句も言わずに走ってくれているが、俺の減速命令にちょっとホッとしたような表情を浮かべている。
(そうだよな、きついよな)
俺は伊賀の人達のさらにずっと後方に目をやった。
(十五くん達、大丈夫かな)
荷駄部隊は、俺の視界に入らない程に遅れている。
兵糧やら何やらかにやら重い物を運んでいるので当然っちゃ当然だが、十五くんの性格だから今頃きっと自分も荷車を引っ張ったりして必死にこっちに向っているだろう。
しばらくして、佐和山城付近に野営を張った地点に十五くん率いる荷駄部隊が到着した。時間は深夜、それも日付が変わった頃だろうと思う。完全に疲れ切っている上に、このままだと寝不足である。
明け方、織田軍の本隊から丹羽長秀さんの使いの人がやって来て、一つの指令を受けた。
織田本隊は横山城の包囲を継続中で、援軍に来援した朝倉軍は横山城の救援を諦め、どうやら越前へ向けて退却を開始したらしいとの事なのだ。
俺達も佐和山城が動かないようであれば、それを牽制しつつ横山城に向かえとの命令である。
(いやー、よかったよかった)
安心なのは、まず姉川の決戦に参加しなくて済みそうな事だ。
疲れ切った十五くんを前線に投入するのは危ないので、やるとなれば伊賀の人を中心に戦う事になるだろうから、不慣れで連携が取れない事を心配していたのだ。
そして、伊藤さんからは『出来るだけ何もするな』と言い含められているので、そのミッションも達成出来そうである。
伊藤さんは大規模な歴史変革を恐れていた。
原因は俺だ。
先月の千草峠の一件、俺はどうやら実に無駄な事をしたらしい。
歴史では、信長様は狙撃されるも無傷で済んだそうだ。要するに、俺が関与しなかった所で問題なかった話らしい。
それが俺が関与した事で、もしかしたら弾が当たっていたかもしれないのだ。そうなってしまっては、歴史は大きくぶれてしまう。
既に歴史がぶれていて、俺が関与しなかったら弾が当たっていた可能性も否定は出来ないのだが、なるべく触らないに越した事はない。
「出発します!」
俺の号令で伊賀の兵を先頭に再び進軍が始まった。
まだ夜は白み始めたばかりである。佐和山城は門を硬く閉じ、動く気配は見られない。
俺は十五くん率いる荷駄部隊をこのまま佐和山城の備えに残し、伊賀の兵隊さん達を引き連れて横山城へ向かう事にした。このまま進めば朝日が登る頃には横山城に辿り着けるだろう。
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