江北の戦火

第160話 野糞の報酬

■1570年5月下旬

 美濃国

 郡上八幡城 石島家


 三月から続いていた遠征がようやく終わり、岐阜から陽と一緒に戻ったのはつい昨日の事。郡上のあちこちから挨拶を受けているわけだが、その途中でとんでもない物が岐阜から送られてきた。


「すごい、こんなに?」


 俺が目を丸くしている横で、女の子達もびっくり仰天中である。


「すごーい、お米一年分?」

「瑠依ちゃんどんだけ食べるの? きっと三年分より多いよ」

「そうですね、しばらく困らなそうです」

「そうだな。そうだ優理、瑠依、少し大原に持って返ったらいいんじゃないか?」


 二ノ丸まで運び込まれた米俵は、文字通り山積み。

 送り主は織田信長様だ。


 どうやら千草峠での野〇ソ事件は、結果的に信長様の暗殺を阻止した形になったらしい。あのクソ猟師は猟師ではなく、信長様の命を狙ったヒットマンだったようだ。

 信長様は衣服を掠めた程度でお怪我は無かったが、数センチずれていただけで万が一の事はありえた。そう考えると、ヒットマンの集中力を妨げた俺は大仕事をした事になる。


 千草越えの途中で石島洋太郎が周囲への警戒を怠らず、信長様の暗殺を防いだ上に実行犯を捕えた。という話で一件落着しているようで、届いたお米はそのご褒美だ。

 ぶっちゃけ完全に偶然ではあるが、まさに文字通り「うんを掴んだ」俺の左手に感謝しなければならない。


「殿、伊賀へ送る分もあろう。オレが持ってゆくぞ」


 楓ちゃんは何かに付けて伊賀に用事を作っては、伊賀に行こう行こうとする。


「楓ちゃんこれ持てないでしょ? 三分の一は伊賀に送りますけど、楓ちゃんは郡上でお留守番です」


 送るといっても宅急便なんて物は無いので、郡上の兵を使って輸送隊を組む事になる。


「何? オレが一つも持てないと言いたいのか殿は」


 あからさまに不満そうな表情を俺に向ける。


「いやいや、持てないでしょ。ていうか持てたとしても、送る時は荷車で運ぶから楓ちゃんが行く必要は無いんだって」


 いくら忍びの修行をしたとは言え、こんな少女が伊賀まで運べるわけがない。いや、持てる持てないの話ではなく、楓ちゃんが持つ必要がない。


「うぬぬ、オレをどうしても伊賀へ行かせぬ気だな」


 悔しそうな表情の楓ちゃんのは、次第にその顔を真っ赤に染める。


「どうしてもだめなら殺せ! いや、オレが石島の殿を殺すぞ!」

「え? な?」


 恐ろしい事を口走ったと同時に、両目にはいっぱいの涙を浮かべている。


「こら! 楓!」


 すかさず美紀さんが叱ったが、その直後。


「石島の殿の首を取って伊賀へ持って行くのじゃ! 離せ!」


 俺に飛びかかろうとした所で美紀さんに捕獲された。飛びかかろうとしていたのは素振りだけで、言うほど本気で俺の首を取るつもりじゃない事くらいわかる。


 たぶん、ホームシックなのだろう。

 美紀さんに捕獲されたまま、ふにゃふにゃと床に崩れ落ちてそのまま大声を上げて泣き出してしまった。

 実は俺と伊藤さんの間で何度もやり取りした愛の文通では、既に伊賀領内の統治は十分に行き届いており、治安はすこぶる良いという知らせが寄せられている。


 伊藤さんは伊賀の旧勢力を上手にまとめあげ、特に百地三太夫さんを重用する事で早期安定を実現したそうだ。

 織田に最後まで抵抗した人物が率先して織田家のために働く姿勢を見せる事で、早い段階で不穏な動きを見せる人がいなくなったそうだ。本当に伊藤さんには頭が上がらない。


 そんな訳で、いつでも楓ちゃんを伊賀に連れていけるわけなのだが、はてさてどうしたものか。


 同年六月四日。


 岐阜城に、南近江で六角さんが蜂起したという知らせが舞い込んだこの日、俺は偶然にも岐阜に滞在していた。

 用向きは貰ったお米のお礼。信長様に謁見し、お礼を言って帰ろうと思っていたが、そこで仕事を言いつけられてしまった。


 ――六角親子を討伐せよ。


 南近江で発生した六角さんの反乱は、数が集まらずに散発的な物になっており、柴田さんや佐久間さんがそれ程の労力を割く事無く対応中出来ているとの事。

 けれども、その散発的な状況が非常に煩わしいそうで、南近江南部では山岳地帯でゲリラ戦のような状態になっているらしい。


 そこで白羽の矢が立ったのが俺、というか伊藤さん。

 南近江甲賀の地を中心にゲリラ活動を展開中の六角さんには、当然ながらそれを支える支援者がいる。それが甲賀の村々と思われる訳だが、甲賀と言えば忍者だ。


 伊賀に比べると規模は小さいが、伊賀よりも外の世界に対して割とオープンな場所だとか。忍者村みたいな物か。

 その忍者村に対し、同じく忍びを抱える伊賀を使ってどうにかしてこいと言われたのが俺だ。


 俺は大急ぎで郡上八幡へ戻ると直に出発の準備に取り掛かる。


「隊は兵糧輸送する人だけで大丈夫です。あ、あと楓ちゃんを連れていきます」


 せっかくなので俺が直接輸送隊を率いて伊賀へ米を運ぶ事にした。そこにホームシックでめそめそしている楓ちゃんを連れて行ってあげる事にしたのだが。


「ずるい!」

「そうですよ、ズルいです!」


 なんともタイミングの悪い事に、まだ大原に戻っていなかった優理と瑠依ちゃんにばっちり聞かれてしまったのだ。そして話はあらぬ方向へと流れていく。

 言い出したのは美紀さん。


「ん~。輸送隊に混ざって伊賀に行ってみるのもいいんじゃないかな? 特に危険はないのでしょう?」

「ハッ。伊勢路を通り鈴鹿峠を越えますので、特に危険は御座いません」


 正直に答えちゃった十五くんが恨めしいが、この子達と一緒に伊賀へ遊びに行くのも楽しそうっちゃ楽しそうである。


「一月程度で戻れば政務に差支えもありませんね」


 ペラペラと帳面をめくりながら、唯ちゃんが援護射撃。これで女の子達は全員揃って行く気である。もちろん、陽も。


「それでは仕度をせねばなりませんね。伊賀の皆様に何か土産を考えなくては……」


 陽の両目は分かりやすくルンルンである。


(まいったなぁ、連れて行ったら伊藤さんに怒られないかな)


 当たり前だが遊びに行くわけではない。とは言っても、伊賀は俺の領地だし、行くのに誰の許可が必要という訳でもない。実に悩ましい。


(一月で戻るって事は、滞在は二週間程度か)


 一応、信長様に陽を連れていく事は許可を取ろう。美紀さん達はその侍女として同行してもらえばいい。

 郡上の備えは十三くんと慶胤くんに任せるとして、輸送隊は十五くんと吉田くん辺りに率いて貰えば、六角さんとの合戦においても指揮官として活躍してくれるだろう。


「わかりました。それでは、みんなで行きますか!」

「やったー!」


 相変わらず全身で感情を表現する瑠依ちゃんを筆頭に、皆本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。この子達の素敵な笑顔に癒される。


 そして同時に、伊藤さんのラスボスクラスのモテっぷりも再認識させられた。香さんという奥様がいるというのに、このモテっぷりは絶対に反則である。

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