第152話 織田の将

 農繁期。


 半農半兵が当たり前となりつつあった戦国時代、大名は戦を仕掛ける事が難しい時期である。兵を集めたくとも集まりが悪く、無理に集めてしまえば肝心の米の収穫に影響が出る。これでは食うに事欠く話になりかねない。

 そんな農繁期、織田軍は特に好んで兵を動かした。

 延々と続く織田軍は、水田で田植え作業に励む農民を眺めながらの行軍となっている。


 だが、兵として常時人を雇い入れておくのには莫大な費用が必要となる。その莫大な費用は、京を抑えた織田信長の経済政策によって実に円滑に回っていた。


 既得権益を主張する旧態勢力を追いつめ、広く解放された経済市場で新たに利益を出す者から織田家が税を徴収する。たったこれだけの発想を、この時代の大名の多くが持てずにいた。


 既得権益を主張する多くの旧態勢力により、市場は縦に横に細分化されて掌握する事が出来ない。そればかりか、其々の勢力が其々に税を取ろうとするため商いは進まず、民は潤わず、市場経済が停滞する。

 停滞した市場経済から、広く税を取ろうとしても当然ながら纏まった経済力を得る事は出来ない。


 織田信長は、その事をシンプルに改善しただけであるが、その合理性や旧態に拘らない柔軟な思考こそ、彼の最も優れた武器であった。


 四月二十五日。

 若狭へ入った織田軍に対し、武藤氏は抵抗を諦め逃走。

 それを受けて進路を越前方面へと向けた織田軍は、織田方に協力的であった若狭武田家の家老職を務める栗屋勝久の居城国吉城を中継し、そのままこの日、ついに朝倉領へと足を踏み入れた。


 日本海側の商業港の中心地点として栄え、越前朝倉家の庇護を受けて発展した敦賀港は、日本海交易と陸路で京を結ぶ要所である。

 更には九州を中継される形で日宋貿易も行われており、古くから渡来品を扱う商家が多い地でもあった。


 この日、敦賀へ入った織田信長は敦賀港に立ち、しばらく日本海を眺めていたと言われている。


 敦賀郡を守っていた朝倉勢は、織田があまりの大軍で寄せてきた為に戦意を保てず逃走。朝倉家の防衛線は越前の玄関口である天筒山城と、その山の麓から海に張り出した金ヶ崎城となった。


「押しつぶせ!」


 最前線で号令をかけた織田信長は、直接的な指揮は前線の兵を率いる柴田勝家と丹羽長秀に任せ、本陣へと戻った。

 本陣で忙しく報告を受けていた老将が、低い背を更に低く身をかがめ、戻ってきた信長へ報告を上げる。


「金ヶ崎方面へも徐々に押しております。夕刻には包囲が完了するかと」

「ふんっ」


 鼻を鳴らす様に答えた信長は、そのままどっかりと自席へと腰を下ろす。


「弾正忠様、金ヶ崎攻め、この久秀にお命じ下され」


 先程報告を上げた老将、松永久秀である。


「金田を連れて行け」


 信長の言う「金田」とは、金田健二郎正利を指すだけでなく、その傘下として参戦している摂津三守護の一人、池田勝正を含む。

 織田家内では新参の彼等にも、活躍の場を与えねばならないという信長の気遣いでもあった。


「ハッ」


 松永久秀は小さく一礼すると本陣を後にした。

 松永にしてみれば「自分の手勢だけのほうが扱いやすい」という思いではあるが、連れて行けと言われて断るわけにもいかない。


(面倒な連中を押しつけられたわい)


 自陣に戻った松永は、自隊に仕度を急がせながら、金田と池田への使者として一人の男を呼び出した。


「弥八郎、連れては行くがな、手出しはさせとうない。上手く言いくるめて最後尾に付かせろ」

「畏まった」


 松永の命を受け、長身の男が金田の陣へと向かった。

 本多弥八郎正信。


 元は三河松平家、現徳川家に仕えていた将であるが、三河一向一揆に加担して放浪。現在は大和信貴山城で松永久秀に出仕している。


 後年、徳川家に帰参を果たし、家康から「友」と呼ばれるまでになる人物で、その狡猾な智謀は家康の強力な武器となり天下統一を助けた。

 この時は松永久秀の配下として、その冴えわたる頭脳を多少の食い扶持に利用していたに過ぎない。



――同刻

 越前国 天筒山 山麓

 織田軍 木下隊


 天筒山城への攻撃開始を皮切りに、織田軍は各所で猛攻を仕掛けていた。


「つまらん! おもしゅうない!」


 木下隊は遊軍として各所へ放火、警戒中の朝倉側の兵と何度か接触したものの、特段これといった戦になる事はなかった。


「これでは野盗の真似事ではないか!」


 信長の方針が尾張や摂津の将を中心に攻める事になっている以上、美濃墨俣に小領地を与えられている木下藤吉郎秀吉に目立った活躍の場はそうそう巡ってこない。


「兄者、そう愚痴ばかり申されるな。まだ越前に入ったばかりぞ。これからいくらでも手柄を立てる機会が巡ってくるはずじゃ」

「どうじゃかのう。朝倉のへっぴり腰じゃあ真面な戦は出来んだろうて」


 越前朝倉家。

 先代朝倉孝景の時代に本拠地である一乗谷を中心に大いに繁栄した守護大名である。


 文道を左に、武道を右にした風流太守。

 そう評された見事な統治は、京都から落ちた文化人や貴族が多く集まり、京都さながらの繁栄を見せた。

 幕府や朝廷からも一目置かれる存在として、畿内方面へ政治的影響力を持つまでになっていた越前朝倉家。

 その立役者となったのが、朝倉家軍奉行、朝倉宗滴である。


 彼の行動範囲は実に広く、隣国若狭や近江、山岳地を隔てた美濃。更には幕府や朝廷の依頼を受けて畿内にまで遠征して戦働きを行っている。当時の朝倉家がいかに政治的、軍事的に強い影響力を持っていたかを伺わせる事実であろう。


 その朝倉宗滴の活躍と比例する形で、朝倉家の軍事的組織はその一門衆が受け持つ形で急速に形成され、朝倉家の当主は一乗谷で政務を務める状態が必然的に出来上がっていた。


 そして、その影響が色濃く残ってしまった朝倉家は宗滴の死後、匹敵する名将が排出されないまま、一門衆の間でただいたずらに軍事執行権の序列争いをするという有様となっていたのである。


「なんならこのまま一乗谷へ駆けこんでくれようかの」

「兄者、それは言い過ぎというものだ」


 小一郎は兄を諌めながら、次々ともたらされる報告に的確な指示を飛ばしていた。そんな弟に構う事なく、秀吉は山頂の天筒山城を見上げた。


「こりゃもって三日じゃな」


 既に白煙を上げている天筒山城、金ヶ崎城の両城は、抵抗するだけの戦意を保つ事さえ難しいであろう。


 木下藤吉郎秀吉。この時三十三歳。

 後の天下人も、この時はまだ一隊を率いる程度の侍大将であった。



――翌日

 越前国 天筒山城

 織田軍 明智隊


 織田軍の猛攻に抵抗しきれずに一日で陥落した天筒山城から、包囲中の金ヶ崎城へと視線を送る将の姿がある。

 明智光秀、彼は金ヶ崎城攻めの後詰めとして、寄せ手の支援する予定となっていた。


「殿、万事整いまして御座います」

「うむ。では行くとしよう」


 織田家に出仕してまだ年数の浅い明智光秀は、既に大いに立身出世を果たと言ってよい。そうではあるが、それ故に一つの悩み事を抱えていた。


(実力の程、見せてもらうぞ)


 準備が整った事を知らせに来た部下の背に、熱い視線を送る。


「進め!」


 声を発したその部下は、騎馬に跨り先頭を進む。


 斎藤利三。


 元は西美濃四人衆の一人、稲葉良道の娘婿として大いに活躍していたが、良道と利三の個人的な間柄は良好ではなく、今年に入ってから転仕。その実力を高く買っていた明智光秀の配下となっている。


 この件には稲葉良道から若干の苦情は寄せられていたが、光秀の苦悩を知る織田信長自身が許してしまっていたので、苦情は苦情程度で済んでいた。


 光秀が抱えていた一つの悩みとは、既に兵千余騎を動かす身分となったにも関わらず、実戦経験を積んできた指揮官の数が乏しかった事だ。


 明智隊が金ヶ崎城に接近すると、織田側の寄せが開始された事を告げる一斉射撃が鳴り響いた。


(ゆくかな)


 金ヶ崎城攻めは松永久秀が中心となり、摂津の兵をもって既に外郭に取り付く程となっているが、光秀には一点の突破口が見えていた。


「予定通り北の岸壁から寄せよ!」

「応!」


 光秀の号令の下、既に打合せが行われていた通りに北の海に張り出した岸壁へと迂回を開始。その先頭を進む斎藤利三は、周囲を叱咤しながら勇ましい姿を見せている。


「頼りになりますな」


 光秀の隣でその様子を見ていた将が言葉をこぼした。


「弥平治、しかと見ておけ。あれが武人という物だ」


 三宅弥平治。後に斎藤利三と共に明智軍の双璧となる、明智秀満のこの時の姿である。時に三十四歳。


「見ているだけでは足りませぬな。行ってまいります」


 そう言い残して愛馬に跨ると、味方を追い抜いて先頭を行く斎藤利三と並んだ。


(良きことよ)


 その姿に満足そうな表情を浮かべた明智光秀。

 数年後には羽柴秀吉と並び織田信長の両腕として無類の活躍をする人物であり、後年、その織田信長を本能寺にて討ち果たす人物でもある。


 この時、四十二歳。

 彼が織田家臣として本格的に軍事行動を担うのは、この金ヶ崎城攻めからとなる。

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