第148話 揺さぶり

◆◇◆◇◆


◇伊賀国 名張

 百地屋敷


 楓が使者として訪れた翌日。早朝から集まった猛者達は、口々に織田へ斬り込むべしと口を揃えた。

 だが、一度休息を挟み、夕刻に集まると状況が変わった。


「屋敷を枕に討死しよう」


 そう言った意見がちらほらと出始めたのである。


 原因は女達にあった。


 楓が着物や小物を自慢がてら、自分が織田からの降伏勧告の使者を務めていると触れて回ったのだ。特に伊藤から指示を受けたわけではないが、自慢ついでに喋ったまでである。

 百地丹波の娘にして、百地三太夫の妹が「降伏しろ」と言うのだ。そんな話を聞けば、到底防ぎようのない織田の総攻撃を前に、降伏したほうが良いのではないか、と思う女達が出始める。


 女という生き物は実に上手く男を操る。


 ある妻は夫に「織田軍に蹂躙されるのは嫌だから、打って出るならば自分を殺してから行ってくれ」と懇願した。


 いざ行くとなれば、望み通り妻を手に駆けるつもりではいたが、本人から言われてしまうと心が揺らぐものだ。流石に妻を手に駆けるのは気が引ける。

 となれば、どのみち死ぬのだから、何も打って出る事などせず、ここで皆で果てれば良い。妻の命を絶ち、そのすぐ近くで自分も織田兵を道連れに。そんな想いを抱き始める者が現れたのだ。


 そのため、夕刻の軍議は紛糾した。


 薄暗くなった空の下、百地屋敷の広間は徒ならぬ殺気で満ちていたが、場の中心である三太夫だけはこの状況を良しと捉えている。僅かながら、針が降伏に向いたと睨んだのだ。


(だが、まだ温い。もそっとどうにかならんものかの)


 男達の殺気であふれる広間に、楓が姿を見せたのはもうすっかり日が落ちてからだった。


「まったくなんじゃ、殺気立ちおって。皆腹が減って苛立っておるのだろう。夕餉じゃ、ここへ運ぶぞ」


 楓の指図で女達が次々と夕餉を運び入れ、男達の前に置いて行く。


「打って出るにせよ、ここで死ぬにせよ、降伏するにせよ、オレは最後まで付き合うからな。男衆、しっかり話し合ってくれよ」


 そんな言葉と笑顔を残して楓が立ち去った後、広場は妙に無言の中で夕餉を食する音だけが響いた。田舎育ちの伊賀侍や伊賀忍者達が五十人も集まって食事を取れば、それはもう上品とは程遠い異世界の音が響く。


 そして、品の無い音を掻き消す凄まじい轟音が、百地屋敷を包み込んだ。




 ――バリバリバリバリ





「――んなっ、何じゃ!?」

「ゲホッ、ゲホッ」

「おうい、水っ、水! 熊太郎が咽につまらせたぞ!」


 そんな声が響くなか、数名が弾丸のように凄まじい速度で広間を飛び出した。


「どこからじゃ! 凄まじい量じゃぞありゃ!」

「おーうい、皆無事か!? 見張りの中で弾が当たった者はおらんか!?」


 次々と土塁によじ登り、外の様子に目をこらす。


 例の如く篝火で照らされた百地屋敷周辺は昼の様に明るく、屋敷の南方に三百騎程度の塊が接近している事に気付いた。


「て、敵襲!」

「織田じゃ! 織田が攻めてきたぞ!」


 屋敷は騒然となった。

 広間では夕餉が散乱し、男達は武具を取りに行く者、腰の物だけで防衛に回ろうとする者、慌てふためく者とで完全に浮き足立っていた。


(おのれ、謀ったか!)


 三太夫は自らの懐に常用の装備品がある事を確認し、槍を取って土塁へとよじ登った。


(油断させておいて押しつぶす腹づもりだったか!)


 怒りに顔を赤らめた三太夫の眼前に、昼間と見まがう程に明るく照らされた田畑が広がっている。


「若様、あれを!」


 駆け寄ってきた佐権次が指さした方向には、三百騎程度の徒歩兵がある。攻め寄せてくる様子も無いが、明らかに接近していた。目を細めて監視していると、二人の武者が何やら言い合いをしながらゆったりとこちらに向って歩き出しているのが見て取れる。


「何事じゃ、兄者、どうしたのだ!」


 まだ自慢の着物を身に纏っている楓が土塁の下から兄を見上げて声を荒げていた。どうやら着物に土がつくのを嫌い、登ってくる気は無いらしい。


(ふん、少しは女子らしゅうなったではないか)


 緊迫した状況の中そのような事を思った三太夫に、楓は矢継ぎ早に言葉を並べ立てた。


「兄者、織田が寄せてくる筈はない。伊藤様が三日後にと申して居ったのじゃ。種子島の訓練でもしておるんじゃろう」


 三太夫のみならず、その言葉を聞いた男衆にしてみれば「そんな馬鹿な」と言いいたいところだ。


(かように薄暗い中、しかも敵の屋敷に向けて射撃訓練などするわけがない)


 言葉に耳を貸す素振りを見せない男衆に対し、楓は尚も言葉を続ける。


「そう怖い顔をするな。慌てる事も無い、皆の衆、塀を降りよ、織田は寄せてこんぞ!」


 そうこうしているうちに、織田側から歩き出していた二人の武者が顔を見て取れる位置まで接近してきた。


「百地屋敷の皆様方に申し上げる!」


 前を歩いてた男が、それは見事な大音声を発した。


「拙者、石島洋太郎長綱が臣、大原十三綱義、これに控えるは弟、十五綱忠である! 先程は我隊の射撃訓練で驚かせてしまい、誠に申し訳ない!」


 その口上に、土塁に集まった百地家の面々は俄にざわつきを見せた。


(本当に射撃訓練だったと言うのか)


 目を丸くして驚いている者が見守る中、大原綱義は口上を続けた。


「伊賀に入ってより真面な戦をしておらぬ故、士気がたるんでおりましてな。今宵は射撃訓練を行わせて頂く! 少々騒がしくなりますが、空撃ち故、間違っても弾が当たる事はない。ご案じ召されるな! 然らば、御免!」


 くるりと踵を返して戻って行く大原綱義の後を追う大原綱忠は、一度振り向いて百地屋敷を強く睨み据えた。


「凛として冴えわたる殺気を放ちよる。あの弟、手強いな」

「はい」


 次々と土塁を降りる男衆に構わず、三太夫と佐権次はしばらく大原兄弟の後ろ姿を見つめていた。


 帰りも何やら言い合いを始めた大原兄弟は、この口上にあたって弟綱忠が護衛に付くと申しでた件についてである。

 弟にまで万が一の事があっては石島軍全体に関わるとして、一人で行くと弟を跳ね除けた兄綱義に、弟綱忠は兄に何かあっては困るので自分が盾になると言い出して聞かなかった。


 結局最後まで言い合いをしながら、二人は三百騎の中に姿を消した。


 ひと騒ぎあった後の百地屋敷は、すっかり静まりかえっていた。

 返答の期限は明日である。三太夫は皆に明日の朝、最終の決論を出す軍議を開く事を通達し、この日は寝所へ入った。


 しかし、この夜。



 ――バリバリバリバリ



 少しの間を置いては織田の斉射が鳴り響く。

 それは等間隔ではなく、不定期に行われた。一度鳴り響いては忘れた頃にまた響き、今度は一向に鳴りやむ事無く鳴り響いては、ぴたりと止まってしばらく空き、また忘れた頃に鳴り響く。


 百地屋敷に籠った面々は誰一人として眠れぬ夜を過ごしていた。


 そんな屋敷の一角に、暗闇に蠢く二つの影がある。

 普段は食料倉庫として使われるその場所で、蠢く影は互いの素肌を激しくぶつけ合い、逢瀬を終えたところであった。


「文吾、本当に?」

「ああ、その前にあんたを苦しめたヤツを懲らしめてやろう」


 ニヤリと笑みを浮かべた文吾は、今しがた欲情をぶつけ合った女に、一人の女を呼び出すように言い含めた。

 その女の使いの者が呼び出したのは、百地三太夫の愛妾である。


「奥方様、このような夜更けにいったい……」


 呼ばれた女にしてみれば、陰湿な間柄である三太夫の妻に呼ばれた事が不思議でならない。しかもこんな夜更けにである。


「夜更けなればこそじゃ」


 それだけを言うと、三太夫の妻は背を向けてしまった。

 言葉の意味を理解出来ずにいた愛妾の背後に、巨大な影が迫る。


「悪く思うな」


 その巨体は言うまでも無く文吾であった。


「っ!?」


 後ろから首を締め上げられた愛妾は声を発する事さえできず、足が宙に浮く程に持ち上げられ、ものの数秒で意識を失った。


「井戸にでも放り込んでやろう」


 ぐったりとした愛妾の身体を、文吾はまるで粗大ごみでも投げ捨てるような形で井戸へと放り込んだ。水しぶきが上がった音は、織田軍の鉄砲の轟音に比べれば些細な音である。


「さぁ行こう。この俺を馬鹿にした事を後悔するといいさ」


 文吾は三太夫の妻の手をとって抜け穴へと入り、織田軍が封鎖している出口へと接近した。


「文吾、この先は織田軍がおるのでしょう? どうやって抜けるのです」

「心配いりませんよ。俺は石川村の文吾ですぜ、出来ない事なんてない」


 そう言いながら、文吾は三太夫の妻を抱くように引き寄せた。そして言い終わると同時に、文吾の右手に握られていた短刀が三太夫の妻の胸に深々と突き立っていた。


 絶命した三太夫の妻の身体をまさぐり、今後の為にと持ちだしてきた銭袋を奪い自らの懐にしまい込む。その上で、持ち物で金になりそうな物は全てはぎ取った。


「流石は百地三太夫の妻じゃな。こりゃしばらく遊んで暮らせる。悪く思わんでくれな、騙された方が悪いんじゃ」


 言葉とは裏腹に、文吾はにやりと笑って亡骸を担ぎ上げ、織田軍が封鎖している出口へと向かった。

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