第147話 降伏勧告
■伊賀国 名張
織田軍 石島本陣
朝日が昇ると同時に、伊藤さんがやってきた。
一緒に連れてきたのは、昨日俺の命を狙って散々な目にあってしまった楓ちゃんである。
「これより、この者に降伏の使者を務めさせます」
伊藤さんはそう言うが、正直ちょっと反対だ。なんせ滝川さんの送り込んだ使者さんが首から下だけになって帰ってきたと聞いたからである。
「伊藤さん、流石にそれは」
楓ちゃんは伊藤さんが用意した綺麗な和装に身を包み、昨日の粗末な服装でホコリまみれだった時とは別人のようになっていた。
(こんな美少女を危ない目には会わせられないよ!)
反対の動機が不純かどうかは別にして、とにかく女の子にそんな事はさせられないと思った。
俺の反対に伊藤さんは少し考え込むような素振りを見せたが、その様子に楓ちゃんが口を開いた。
「石島の殿、オレからも頼む。行かせてくれ」
(……え?)
行かせてくれ、ではない。
(オレっ娘!?)
驚愕だ。
この戦国時代にオレっ娘が存在しているなど、いったいどんな歴史学者が想像しただろうか。
なんて思ったりしたが、後で聞いた話ではそれほど珍しい事ではないらしい。なんて素敵なんだろう戦国時代。
「いや、ですけどね?」
更に反対意見を述べようと思ったが、楓ちゃんから矢継ぎ早に言葉が発せられ、俺の口を封鎖する。
「行かせてくれ。伊藤様が兄者を助けてくれると申された。兄者だけでなく、屋敷におる者全てを助けてくれると申された。しかし猶予は今日を入れて三日じゃ。オレがやらねばならんのじゃ! こんな所で愚図愚図しておれん。行かせてくれ石島の殿」
こんな可愛い美少女に何度も「いかせてくれ」と頼まれて、行かせてあげられないようでは男として失格である。
というのは言い訳で、単純に説得されてしまった俺は、伊藤さんの提案通り楓ちゃんを降伏勧告の使者として百地屋敷に送り込む事に同意してしまった。
流石に三太夫さんの妹さんというだけあって、百地屋敷の人はすんなりと楓ちゃんを屋敷に招き入れた。
「どうなりますかね」
独り言は風に流れ、すぐ近くにいる伊藤さんからの返事は無い。
俺達は伊藤さんの部隊が作った櫓に登り、高い位置からそれを眺めている。物のついでなので、昨夜考えていた事を伊藤さんに話してみた。
「滝川さんが送った使者さん、ご家族がいるそうなので総大将として何か労ってあげたいと思うんですけど、どう思います?」
戦死者や負傷者の遺族に対する報奨は、当然ながら上司である滝川さんが行うので心配する必要など無い。
けれど、降伏を勧める使者というのは命を捨てる覚悟で務めるそうで、そんな勇気ある人に対して総大将としても何かしてあげたいと思ったのだ。
伊藤さんはしばらく百地屋敷を眺め無言でいたが、俺が焦れ始めるころにようやく口を開いた。
「いいんじゃないですか。でも気を付けてくださいね。滝川さんの顔を潰すような事はなさらないようにして下さい。そこさえ気を付ければ問題ないと思いますよ」
伊藤さんの敬語がむず痒い。
とりあえず許可は得たので、何をしてあげようか考える事にしよう。
俺もようやく人の上に立つという事がどれだけ大変か理解し始めている。甘く見られてはダメだけれど、厳しすぎても人は付いてこない。絶妙なさじ加減ってヤツが必要なんだと思う。
十月も中旬、伊賀の野原に吹きすさぶ風は若干肌寒かった。
「お~うい、洋太郎。碁でもやらんか」
櫓の下から九郎様の声が俺を呼んだ。
「あ、はい。いいですよ、今日は負けませんからね!」
チラッと伊藤さんの顔を見たら、笑顔で小さく頷いてくれていた。という訳で今日は九郎様と囲碁でもやりながら時間を潰す事にしよう。なんせ降伏するかどうかは、遅ければあと三日は返事が来ないのだ。
(まぁ、たった三日って感じか)
伊勢の北畠さんとの戦いを考えれば、この三日なんて大した話ではない。伊賀に入ってまだ十日と経ってないのである。
「そうだ九郎様、後程ご相談が」
「ほう、俺に相談とはな。珍しき事よ。ハッハッハ」
俺は九郎様に亡くなった使者さんのご遺族への報償をどうするか相談する事に決め、本陣への道を並んでゆったりと歩いた。
◆◇◆◇◆
◇同刻
伊賀国名張 百地屋敷
「兄者、久しいな」
「こりゃまた見違えたな。中身のほうは相変わらずじゃが」
百地屋敷の広間では、降伏勧告の使者として三太夫の妹がやって来たと知らせを受けた主だった面々が顔を揃えていた。
その上座に鎮座する三太夫の目の前に腰を下ろした楓は、三太夫の褒め言葉に素直な喜びを見せる。
「織田のな、石島の伊藤様にもろうたのじゃ。食うた事のない膳もな、実に美味かった」
「楓、そなたもう十五であろう。そろそろ女子らしく振る舞え。なんじゃその言葉使いは……それとな、大股を広げて座るな」
三太夫の指摘通り、楓は床に足を投げ出して実にだらしのない格好で座っている。
「良いではないか兄者。それより見てくれこの櫛。京の職人が拵えた物だそうでな、金箔が施してあるのじゃぞ」
その楓の言葉に、百地家の面々は「おお」と声を上げて楓の周りに群がった。そんな面々に、楓は得意げに昨晩の料理の話や、貰った小物や着物の刺繍を見せびらかしては得意げに自慢していた。
(……まったく、何をしに来たのやら)
久しぶりに会う可愛い妹だが、用向きは降伏勧告であると聞いている以上、織田軍総大将を務める石島洋太郎長綱の降伏勧告を持参している筈である。
そして三太夫はこの降伏勧告を受ける気でいる。
ただ、集まった面々がそれで納得するかどうかは別だ。皆、死ぬつもりでここに残った者ばかりである。降伏するならさっさとしてしまっていたであろう。そうしていないという事は、降伏するつもりなど無い気骨ある者ばかりだ。
(伊藤修一郎長重、如何様な奇策を楓に授けたか……)
伊賀忍の諜報活動は、当然ながら織田家の内情を掴んでいる。
織田信長が態々養女を取ってまで一門に招き入れた伊藤という人物に三太夫は強い警戒心を抱いており、当然、今回の伊賀攻めで見せた奇想天外な戦の仕方も伊藤の差配であろうと睨んでいた。
(さて、どうやって皆を纏めて降伏に決するかだな。俺の独断だけでは上手くいかぬぞ)
自分の責任でこうなっている以上、三太夫は最後まで責任を取るつもりでいる。
「皆、控えよ。楓、用向きを申せ。無駄話はその後にいたせ」
頃合いを見て場に静寂を戻した三太夫は、楓から降伏勧告の内容を聞く事にした。
「用向きという程の事ではないわ。全員助ける。三日後に返答されたし。これだけじゃ。……そうじゃ佐権次、お角殿は息災か? しばらく会うてないからな、お角殿にこの着物を見せてやろう」
お角とは、佐権次の妻である。佐権次と共に三太夫と最後を共にするために百地屋敷に入っていた。
「あ、姫様……」
佐権次の返答を待たず、楓は疾風の如く広間を飛び出して屋敷の奥へと向かった。生まれ育った屋敷である。降伏勧告の使者としての遠慮など微塵も無かった。
その様子に広間は唖然となったが、三太夫だけは深いため息ひとつでこの状況で良しとした。
「……まったくのう。困ったやつじゃ。皆聞いたであろう、三日後に返答せねばならん。今日はもう終いじゃ。明日の朝、其々の存念を聞くとしよう」
「何を申される! 織田など恐るるに値わず、斬り込んで伊藤修一郎共々、石島洋太郎の首を揚げてくれようぞ!」
「そうじゃそうじゃ、忍びを侮ってただで済むと思わせてはならん。目にもの見せてくれようぞ!」
「おう、そうじゃそうじゃ!」
(やはり、いかん、か)
場はどうにも降伏の方向へ動きそうもない。
「各々、覚悟の程はよう分かっておる。だがそう死に急ぐ事はない。時間を稼ぎ、三好や武田が動けば織田は退かざるを得んであろう。尻尾を巻いて逃げる織田を散々に討ち散らすのだ。だがな、それには今少し時を要する」
三太夫は立ち上がり、次の一言を最後に広間を出るつもりでいた。
「織田方から三日の時を獲得したのだ。無駄にはすまい。その後の事は明日から考えようぞ。まずはこの三日、我等は時間を稼ぐ事に成功したのじゃ。緩々と過ごせ、よいな!」
「応、まぁ、そういう事であるならば」
まだ昼前。
明日の朝、改めて其々の意見を聞くという事で幕を下ろした軍議は、その後は座談会のような場となった。
自分ならどうやって石島洋太郎の首を取るとか、どうやって伊藤修一郎の首を取るとか、ひいては織田信長の首を取ると言い出す者まであり、いつの間にか酒まで運び込まれて宴会の様相を呈していた。
そんな男達を余所に、楓は集まった女達に着物や小物を自慢して回っていた。
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