第146話 三太夫の意地

◆◇◆◇◆


◇1569年10月

 伊賀国 名張

 百地家屋敷


 織田軍にすっぽりと包囲された百地屋敷の周辺は、夜だと言うのに無数の篝火によって昼のような明るさとなっていた。


 その屋敷の広間には、苦虫を噛み潰したような表情のまま思案を巡らせる百地三太夫の姿がある。その傍らには、三太夫が友と慕う佐権次という名の中忍が身じろぎもせずに控えていた。

 そんな二人の重苦しい雰囲気を余所に、一人の大男が暗がりから音もせずに現れた。広間の鴨居はその男には低すぎるため、頭を屈めてくぐる様にして入ってくる。


「いやいやマイッタな……若様、失礼しますぜ」


 その言葉には、表現以上に品性の欠片も無い荒々しさだけがあり、言葉の主に教養が皆無である事を物語る。


「文吾、控えよ」


 佐権次の静止を無視するように音も無く三太夫の目の前まで進み、向き合うように腰を下ろした文吾は、先程まで静寂に満ちていた部屋に似つかわしくない大きな声で語りかけた。


「よいではないか佐権次殿。のう若様、どうするんじゃ、打って出るのか?」


 三太夫は、今しがた入って来たこの文吾という大男があまり好きではない。父丹波の小間使いとして雇われた無駄に背の高い文吾は、忍びとしての才覚は実に優秀で、既に多くの技法を体得していた。

 そんな文吾の欠点は、如何にも薄情そうな薄笑いと、見境のない女好きという事である。


「文吾よ、うぬの目は節穴か」


 三太夫はそれだけを言うと再び思案に戻る。


「節穴とはなんじゃ節穴とは。屋敷に籠るだけ籠ったっきり、ただボーっとしとる若様のお考えを聞きに来たのではないか」


 無礼な物言いは今に始まった事ではない。そのため特段気に留めるでもなかったが、現状に対する理解度の低さに三太夫はため息をついた。


(無礼な上に阿呆。父上は何故にこのような無頼漢を雇うたのじゃ)

 

 三太夫のため息に、普段は無口な佐権次がたまらずに口を挟む。


「文吾、屋敷を囲う織田兵の数を見たか? 見たならば打って出る等とよう言えたものよ」


 見たか、と聞かれれば見たに決まっている。佐権次の言いように文吾は無性に腹が立った。


「見たに決まっておろう! ありゃ三千は下らんな。そんな事は分かっていた事であろう」

「それは見たうちに入らんぞ文吾。鉄砲の数を見たか、軍馬の数を見たか、こちらが打って出てもな、敵に辿り着く前に粉々になるわ」


 佐権次の指摘通り、織田軍は包囲の前線に大量の鉄砲と軍馬を押し並べている。無論、見せびらかして威圧しているわけだが、百地屋敷にしてみれば十分な効果があった。


 文吾は尚も面白くない。そんな事で萎縮するくらいであるならば、最初から立て籠もるなどと言わなければいいのだとさえ思う。

 そして思ったら口に出さずにはいられいない性分であった。


「俺に言わせれば佐権次殿も若様もその目は節穴よ。織田の軍容など分かっていた事ではないか。それでも『やる』と言うたのは若様ぞ、故に儂等はここに残ったのじゃ!」

「文吾っ!」


 佐権次の怒気が発せられるのと同時に、文吾が腰の物に手を掛けた。

 その二人の一触即発の状態に、また一つため息を付いた三太夫が短い言葉を発した。


「……やめい」


 鋭かったのは言葉以上にその眼光と殺気。肌に突き刺さるような三太夫の殺気に、流石の文吾も肝を冷やした。


「……文吾、ね」

「へっ」


 三太夫の退出命令に不満こそあれど、刃向う気にはなれなかった文吾は巨体を小さくして退室していった。


 その文吾の姿が見えなくなってから、思案にふけっていた三太夫が肩の力を抜いた。ようやく答えに辿り着いたのか、ひとつ大きな深呼吸をしてから口を開く。


「全く以って文吾の申す通りよ。それにしてもたった五十騎程度とはな、俺は己の人望を過大評価しておったようだ」


 百地屋敷は、屋敷と呼ばれてはいるが伊賀上忍三家の拠点である。簡単ながら堀に囲まれ、土塁を高く積み、一般的には『城』と呼ばれるに相当する防御設備を整えていた。

 その上、忍び特有の技法を以って様々な防備が施されており、兵五百もあれば十分に戦える場所である。


「思惑はあった。狙いも悪くなかった。だが、俺の人望が無かった。それだけの事よ」


 三太夫の思惑では、この屋敷に百地の精鋭五百騎程が集まる算段でいた。


 織田の伊賀侵攻は驚異的な速度で進んでいるが、裏を返せば早すぎるという弱点がある。周辺諸国が伊賀平定を黙って見過ごしているという訳ではなく、動く隙を与えない程に迅速に進んでいるという事だ。

 そして、今は織田に頭を垂れている伊賀の諸勢力も、状況が一変すれば織田に刃を向ける事さえ容易に想像できる。


「三好が動くまでの時間を稼げると思うたのだが」


 三好だけではない。三太夫の思惑では武田が動くとさえ思っている。事実、百地丹波の元には頻繁に武田の被官が訪れており、何やら徒ならぬ密談を繰り返していたのだ。

 すんなり事が済むと思われた伊賀平定を出来る限り遅延させ、織田家を取り囲む状況が変わりさえすれば、伊賀に駐屯している織田軍は領国の防衛に急ぎ戻らなければならなくなる。

 そうなれば、伊賀は織田を排除し、耕された土地と、大量に受け取った金銀兵糧が伊賀を潤しただけの結果となるであろう。


「それが叶わなかったとしても、せめて大いに奮戦して名を上げてやろうと思うたがな。それもさえも叶うまい」


 例え織田が退かなかったとしても、五百騎を以って立て籠もり、織田が数任せ力任せに押し寄せた場合には全滅するまで戦うつもりでいた。そうなった場合、織田軍は全滅した伊賀忍に倍する痛手を被るはずである。

 しかし、わずか五十騎ではせっかくの防御設備も防衛技法も運用がままならない。瞬く間に屋敷内へ侵入を許し、一方的な殺戮となってしまうだろう。


(死に花も咲かせられぬのかよ)


 その上大きな誤算だったのは、三太夫の人望が思わぬ形で発揮されてしまった事だ。


 残った屈強の精鋭五十騎に加え、ほぼ同数の女が残った。その大半は残った兵の妻である。

 己の夫が敬愛してやまない百地の若様が立ち上がると聞いて、少しでも力になろうと死を覚悟して屋敷に残ったわけだが、一方的に殺戮されるとなれば女など相手にとってはいい鴨となるであろう。


(一方的に女どもが奪われ、犯され、殺されるとあってはな。男連中もろくな働きは出来まいて)


 全ては数が揃わなかった事。

 それを見越せなかった三太夫の失態。


「こうなるのでしたら、あの使者は生かして返すべきでしたな」


 佐権次の言う『使者』とは、滝川一益が送り込んだ降伏を勧める使者の事であった。降伏勧告を跳ね除ける返答としては最上級の返答である「使者の首を跳ねる」とう事をやってしまったのだ。

 今更、降伏したいなどと言えるはずもなく、言いたいとも思わない。だが、このまま戦って犬死するもの面白くない。そんな想いに苛まれている三太夫は、文吾の飾らない無粋な言葉に覚悟が決まった。


「のう佐権次、穴は通れるか」


 百地屋敷の奥の間からは抜け道が掘られており、緊急時に脱出する場合はその抜け道を通って少し離れた山中に出る事が出来る。

 だが、佐権次は小さく首を振った。


「夕暮れ時に行ってみたのですが、出口は既に織田の兵が柵を構え、こちらが抜け道を通ってくるのを待ち構えておりました」


 既に百地家の大半が織田に下っている以上、抜け道の存在が織田方に知られていても不思議ではない。特に当主である百地丹波や、その正妻、側室、抜け道の存在を知る者が多く織田に下っているのだ。

 今この瞬間、抜け道から織田の兵がひょっこり現れても不思議ではない程である。


「それはそうか。最早打つ手なし、か」


 翌朝になっても状況が変わらぬのであれば、主だった者が全員腹を斬ってでも女達の助命を願い出るか、それとも男女共に全員ここで自刃して果てるか。

 生かしてやるか、さもなくば戦うよりも綺麗に死ねる選択を、残った女達にくれてやる事。三太夫に出来るのはもうこれしか無い。


 その女達の中には、自分の妻や愛妾もいる。

 自分が華々しい最期を飾れるならばまだしも、犬死するのに付き合せるのでは申し訳ないと思い、世間の笑いものになろうともどうにかする覚悟決めたのだ。


「佐権次よ、今日はもう休もう。今頃父上はどうしておるかのう。出来の悪い息子に少しは頭を悩ませてくれておると良いがな」


 その言葉に特段返答する事なく両手を付いて頭を下げた佐権次を尻目に、三太夫は暗い廊下に明かりを燈すことなく、するすると音も無く自室に向っていた。

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