第145話 篭絡

 そんな俺達のところへ腰を下ろした伊藤さんは「夕餉を用意させた」と言いながら、今後の事についてを話し始めた。

 縛られた美少女を横目に、伊藤さんが今後の事を語る。


「あと三日、待ってダメなら押しつぶしましょう。徹底的に。抵抗するとどうなるか、見せつけてやる事も必要でしょうから」


 珍しく恐ろし事を言った伊藤さんの本心は分からないが、確かにそれはそれで必要な時代なのかもしれない。


「三日、ですか」


 徹底的に押しつぶすという事が何を意味するのかなんて、言われなくても分かる。降参しないのであれば、それはもう全員討ち取ってしまうしかない。

 続けて、伊藤さんから俺と九郎様に向けて伊賀各地の状況報告が行われ、そうこうしているうちに夕餉の仕度が整ったようである。


「失礼いたします」


 運ばれてきた夕餉は予定していた物を遥かに超えていた。質も、量も、想定以上の物が運ばれてきたのである。


「御免、金田健二郎、お招き頂き恐悦至極」

「何言ってるんですか先輩、須藤剛左衛門、入ります」


 夕餉に続いて入って来たのは金田さんとつーくんだ。


「おお、こちらであったか、失礼仕る」

「滝川殿、ささ、こちらへ」


 続いて姿を見せた髭面のお侍さんは、伊勢方面の軍勢を率いて来てくれた滝川さんである。伊藤さんに導かれて九郎様の隣へと腰を下ろした。


 滝川さんに続き、木下藤吉郎さんの弟さんである小一郎さんもやって来た。


「石島様、伊勢ではご家来衆にはだいぶ助けられました。お礼が遅くなって申し訳ありませぬ」

「いえいえ、こちらこそ。京都では挨拶もろくに出来ずに失礼を致しました」


 藤吉郎さんとは岐阜で毎日のように会っていたが、小一郎さんと会うのは京都以来である。


 その他、織田家の主だった将が続々とこの本陣に集まり、総勢十八名にも及ぶ宴会になってしまっていた。


「伊賀平定もあと三日もすれば終わります。此度は陳腐な戦に付き合って頂きました皆様方に、細やかな御礼です。ささ、酒も用意させました故、今宵は存分にお楽しみくだされ」


 伊藤さんの挨拶で始まった宴会は、賑わいを見せる伊賀遠征に同行していた旅芸人さん達まで呼び出され、それはもうどんちゃん騒ぎとなった。

 誰一人として、土間に縛られている少女の事に触れなかったのは、前もってそうするようにと伊藤さんに言い含められていたからである。


 盛り上がる宴会のすぐ横で、冷たい土の上に縛られた美少女。いったいどんな気持ちでいるのだろうと同情せざるを得ない。


 けれど、そこは敢えて触れない事に決めていた。


 伊藤さんは諸将さんの相手をしながらも、常に美少女を気にかけている。きっと、何か考えがあっての事なのだろう。


 宴が終わり、殆どの将兵さん達が本陣を後にした。残ったのは、俺と伊藤さん、十三くんと十五くん。

 そこへやって来たのは、郡上生え抜きの吉田くんだった。


左京進さきょうのしん、どうだった?」


 伊藤さんの問に深く頷いた吉田くんは、まだ二十歳そこそこの割に随分と老け込んだ顔で口を開く。


「間もなくこちらへ。御所望の品も手配出来ております」

「大義、下がって休んでください」

「ハハッ」


 吉田くんが本陣を出ると、伊藤さんは手付かずだった自分の膳を抱えると土間へと移動した。


「さてと、お腹減ったでしょう。食べるかい?」


 わざわざ少女のために手付かずで残しておいたのだろうか、伊藤さんは運んだ膳を少女の前に差し出した。


 この美少女がいったいどこの誰なのかは分からない。だが、目の前に差し出された膳は彼女にしてみれば口にした事のないような物ばかりであろう。

 なんせ、俺にしても豪華であるし、織田の諸将さん達も感嘆の声を上げた程の料理である。冷めてしまっているのが少々勿体無い気もするくらいだ。


 この美少女、可能性としては百地三太夫さんの娘の可能性も否定しきれない。だとしても、この貧しい伊賀では偉い人の御嬢さんですらあまりお目にかかれない料理であろう。


 それに昼過ぎに捕まって以来、水さえ飲ませて貰っていない。


 捕まった後はだんまりを決め込み、視線を伏せたまま身じろぎもしなかった美少女が、若干の反応を見せた。食べ盛りの女の子である。その上空腹であろうし、俺がこの本陣に入った朝には天井裏に潜んでいたとすると、昨晩から天井裏で機会をうかがっていた事になる。


(餌で口を割らせよう作戦か)


 目の前に差し出された膳に、布を押し込まれた少女の口は涎であふれかえっている事であろう。


「失礼致します」


 そこへ入って来たのは、中年の女性である。

 その女性の姿に、美少女の表情は明らかな動揺を見せた。


 伊藤さんはその女性を土間へ招き入れると、その少女の前に立たせた。


「どうでしょう」

「間違いございませぬ。百地三太夫殿の妹、楓殿で御座います」


 次の瞬間、美少女の両目から大粒の涙がこぼれ始めた。

 その涙を見た中年の女性は、少女の直傍らに膝を付く。その所作は気品とまでは言えない物の、しっかりとした教育を受けた身の上である事を物語っていた。


「涙を見せるとは……それ程であるならば何故このような真似をしたのです」


 そう呟いた女性は、そのまま俺と伊藤さんに対して深々と頭を下げ、両手を地に付く。


「如何様な処遇とて異論を挟む事は憚られます。なれど、一人の母として申さずにはおれませぬ。何卒良しなにお取り計らいを」


 女性の声は若干震えていた。

 伊藤さんがどうしたいのか聞かされてはいないが、伊藤さんは無言のまま俺の顔を見つめている。俺の言葉を待っているとうい事だ。


(まさか処刑するとか言えないでしょ)


 当然、命を奪うなんて出来っこない。なんせ美少女である。


「無罪放免という訳にはいきませんが、俺の命を狙った事は忘れます。後の事は伊藤さんに任せます。それでいいですか?」


 笑顔で伊藤さんに丸投げしてやった。


「はい。ではそのように致しましょう」


 伊藤さんはその丸投げを笑顔で受け止めてくれたので、後はもうお任せである。


「左京進、これへ」

「ハッ」


 伊藤さんが呼んだ吉田くんは、両手で抱えるようにして葛籠箱を運んで来た。


「楓殿、今宵はここでお休みになってください。明日は用意させました衣服を御召くだされ。お頼みしたい義がありますので」


 言いながら、吉田くんが置いた葛籠箱を開く。

 そこには、京都でしか手に入らないような煌びやかな刺繍が施された着物と、櫛や化粧道具までが揃えられていた。


「ちょうど商人が良い物を取り揃えておりましてな。着物も楓殿に合うように設えさせております」


 優しく言いながら楓ちゃんを縛っていた縄を解き、猿轡を外してあげる。

 長時間に渡った束縛を解かれたが、楓ちゃんの身体は緊張と束縛で硬直気味であった。


 その様子に、伊藤さんは楓ちゃんの口に指を突っ込んで布の塊を取り出してあげると、軽々と楓ちゃんを抱えて板の間へと運んでしまった。


「お母上殿もこちらへ。知らなかった事とは言え、百地丹波殿の御息女に大変な無礼を働きました事、お詫び申し上げる」


 楓ちゃんを座らせ、お母様を招き入れたのと同時に、真新しい膳が二つ運び込まれてきた。


「先程の膳はすっかり冷めてしまいましたので、新しい物を用意させました。どうぞ御ゆるりと」


 まったく憎い演出である。


 捕まった瞬間は死を覚悟していたであろう楓ちゃん。

 散々縛り上げられ、目の前で盛大な宴まで見せつけられ、決して敵わぬ格差という物に打ちのめされたあげく、絶望の淵から一気に拾い上げられたのだ。


 そして目の前には、手にした事の無いであろう可愛い小物と、豪華で煌びやかな着物。豪勢で温かい膳。

 そして娘を心配して駆けつけた母。

 この状況では、正常な思考回路というものは働かないであろう。

 お母様にしても同じである。どうやら百地三太夫さんのお母さんではないらしいが、既に織田に降伏した百地丹波さんの奥様だ。


 義理の息子は未だに抵抗をつづけ、実の娘は織田の総大将である俺の命を狙って囚われの身となった。その事実に生きた心地はしなかってであろう。にも拘らずこの扱いである。完全に度肝を抜かれてしまっていた。


 二人を残して伊藤さんと共に本陣を出た俺は、一つ小さなため息をついた。

 室内からは、すすり泣く少女の声が漏れ聞こえている。


「まったくもう。相変わらず人の心を弄ぶのが上手ですよね伊藤さんは」

「弄ぶって酷くない? あ、そうそう。裏で湯あみの仕度させてますけど、覗き見とかしないで下さいよ? 一応は百地丹波さんの御嬢さんですから。美少女だからって鼻の下を伸ばさないようにして下さい。暗殺されますよ?」


 歩きながら意地悪を言えば、それ相応の意地悪が帰ってくる。

 そんな伊藤さんとの会話もそこそこに、俺は今夜は九郎様の陣所で寝させてもらう事にした。


 伊藤さんが楓ちゃんに何をお願いするのか気にはなったが、それは明日報告を受ければいい事なので、今日はもう休む事にしようと思う。

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