第134話 三路行軍
織田の軍勢が自領を通過する事になった伊勢の小勢力は、織田に立ち向かうか降参するかの二択を迫られる事になる。
遠巻きに眺めてやり過ごす事が出来ないよう、わざわざ三つのルートに分かれて手当たり次第に威圧しながら南下しているのだ。
合流地点は木造さんが立て篭もる
北畠さんが木造城を攻略する前に、どうにかして助けないといけないわけだが、周辺の状況が不安定ではそれも危険である。
森さんと滝川さんの隊に比べると、俺の隊が通るルートが最も木造城へ行きやすい。途中の小勢力が既に織田方になっているからだ。
「申し上げます! 木造城へ向かった物見が北畠の前哨と小競り合いを開始しております!」
次から次へと舞い込んでくる報告が、こづくりこづくりと連呼する。木造城が近くなると、自軍の周囲に展開していた偵察隊が敵と接触し始めた。
「物見はなるべく戦闘を避け、素早く退いて下さい。本隊はこのまま木造城を目指します!」
「ハッ!」
特に陣幕等を張り巡らせている訳ではないが、一先ず行軍を停止させて周囲への警戒を行っている。本陣となっているこの場所は、大草原になっている高台である。
俺達の時代の日本では、こんな大草原は牧場にでも行かない限り見られない。狭い島国でも、この時代はまだ未開の地が多いようだ。
この小高い場所を中心に、現在約五千騎を展開している。郡上の兵1千。信長さんから借り受けた三千。伊勢の小勢力から参加している方々が約千。
木造城を包囲している北畠さんの軍勢が凡そ四千と聞いているので、このまま南下して睨み合うのも悪くないと思っている所だ。
滝川さんの隊も、森さんの隊も、別方面から木造城を目指しており、そう遠くない距離まで来てくれている。
今日の夕方には織田信長様の本隊もここへ到着するであろうから、出来る事ならその前に木造城の安全を確保しておきたい。
「慶胤くん、伊藤さんの所へひとっ走りお願いします」
「ハッ」
馬から降りて小休止している俺は、このまま進むべきか否かの判断を伊藤さんにアドバイスしてもらうつもりである。
実はここまでの道中、伊藤さんは一切口出しをしていない。よほどまずい事があれば言ってくれるそうだが、それまでは基本的に任せてくれているのだ。
「このまま滝川様と森様の隊を待たずに木造城へ向かいます。そう伝えて下さい!」
「ハハッ!」
先程まで晴れていた空は薄暗く、まだ朝なのに周囲は暗くなってきてしまった。
伊藤さんから戻ってきた返事は「ゆっくりと進むのであれば」という物だった。
「急ぐなって事ね、了解」
伊藤さんは馬に跨ってあっちへ行ったりこっちへ行ったり大忙しである。
借りてきた兵隊さんを上手く扱うのは大変なのだ。彼等が受けてきた訓練に合せて上手に指示を出していかないと不平不満を生みかねない。
伊藤さんが一足先に岐阜に入った理由は、彼等の訓練状況を指揮官の人達と打ち合わせする為だったのだ。そのお蔭で、石島隊は実に順調に隊を乱す事なく進軍出来てる。
伊藤さんには本当に頭が下がりっぱなしになる。
「これより木造城の救援に向かいます! 各隊戦闘準備を整えて前進して下さい!」
総大将という仕事は大きなプレッシャーもあるが、とても楽ちんなお仕事でもある。
やりたい事を指示すれば、大抵の事は大原兄弟と遠藤慶胤くんが更に細かい指示に変換して号令をかけてくれる。そしてそれを実行してくれるのが吉田くんを筆頭とする足軽組頭の皆さん。
現場は大変そうであるが、本陣は比較的悠々自適だ。
郡上での攻防戦の時とは規模が違う。5千騎もの軍勢を手足の様に動かすのはきっとすごく難しい事なのだろう。俺は沢山の優秀な家臣さんに頼りっぱなしなので全く実感が沸かない。
しばらく進むと、前方で散発的に鉄砲の音が響き始めた。報告によれば、別に戦闘状態に突入したという訳でもなく、ちょろちょろと現れる敵さんに対して威嚇射撃をしている程度だとか。
「申し上げます! 北畠勢は木造城の包囲を解いて撤退を開始している模様です!」
「分かりました。逆襲に転じてくる可能性もありますので引き続き幅広く警戒を続けて下さい!」
「ハッ!」
陣を敷いての睨み合いになるかと思っていたが、状況の不利を悟った北畠さんの手勢は撤退を開始。
俺達は特に戦闘に入る事もなく、当初の目的であった木造城の救援に成功したのだ。
(一安心だな……あ~怖かった)
一応は気合を入れて頑張ってきたが、正直言うと不安で不安で仕方がなかった。なんせ伊藤さんが「自分でやって下さい」とか笑顔で言うものだから、頼れる人がいなくて大変だったのだ。
北畠さんの手勢が引き上げた木造城へ、俺が到着したのは昼前である。
「こりゃ酷いな」
既に大激戦が行われていた木造城では、城壁の辺りや堀に沢山の人が倒れている。周囲は血の匂いが漂っていた。
◆◇◆◇◆
◇1569年 8月23日
伊勢国
白子 織田軍本隊
現在の鈴鹿市白子にあたるこの場所に、織田軍五万が着陣したのは前日の事である。既に北伊勢を完全に手中に入れた織田軍は、無人の野を進むが如く順調に進んでいる。
「申し上げます! 先鋒隊、安濃を抜け木造へ向かうとの事!」
先駆けている先鋒隊が順調に行軍しているとの報告が入ったこの日の昼過ぎ、織田軍は更に南下し木造城を目指すべく発進した。
「小一郎や、此度はとことんやるぞ!」
猿面に気合をみなぎらせ、弟の肩を思いっ切り叩いた木下藤吉郎は、この戦でも当然ながら軍功第一位を狙っている。
「兄者、そう焦る物でもない。やる時はやらねばならんし、やる時でなければ焦るだけ無駄という物ぞ」
常に冷静沈着である事が、この弟の勤めでもある。
「まっこと面白ゅうないやつじゃの、こんな時はこう申すのじゃ。『兄者! やってやろうぞ!』とかな?」
――同日 同所
動き始めた織田軍の本隊に、須藤の姿ある。
信長本隊に置かれた美濃三人衆は、木下隊等に少し遅れて白子を発った。
「剛左衛門よ。その方、実に良くやってくれておる」
唐突にそう言いだした稲葉良通に対し、須藤はその心中を察しかてねている。そんな須藤をよそに、稲葉良通は言葉を続けた。
「そう怪訝な顔をするな剛左衛門。此度はな、功を焦るでないぞ。国司を討つというのは生半可な事ではないのだ。ましてや伊勢の国司は歴史が長い。この戦、勝つには勝つがな、どう勝つかという話よ」
「はぁ……」
須藤にはさっぱり分からない会話になってしまっていた。
「まあ良い、功を焦るな。ただそれだけじゃ」
「ハッ!」
雲行きの怪しい空の下、織田軍は悠々と伊勢路を南下。同日夕刻には先鋒隊の活躍によって安全が確保された木造城に着陣。
織田信長は北畠当主である北畠具教の居城を攻略すべく、後方の安全確保に取り掛かるため周辺諸城の攻略を命じた。
しかし、どうにか持ち堪えていた天はここへ来て大いにその機嫌を損ね、出陣を見送る程の雨を降らせた。
雨は翌日も続き、一向にやむ気配を見せず、さらにその翌日まで続いた。
この雨が、北畠、織田の両軍に与えた影響は実に大きい。
それは同時に、両軍の将に様々な現実を突き付けるに至るのである。
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