第101話 ハーレム

 茫然自失の優理の目の前で、美紀さんは伊藤さんに抱き着いて離れようとしなかった。あの瑠依ちゃんが引き離すのを諦めたくらいだ。


(ちゅーしてハグして……密室ならそのままベッドインな雰囲気だな)


「わかったわかった。後でゆっくり話そうな、留守を守ってくれてありがとう」


 伊藤さんの言葉にようやく納得したようで、美紀さんはゆっくりと立ち上がる。いつも気丈な振る舞いを見せる女神様も、伊藤さんの前では可愛らしい女の子に戻ってしまう。


 それは前から分かっていたが、この数週間、きっと美紀さんの心は押しつぶされそうなプレッシャーの中で気を張ってきたのだろう。

 少なくとも美紀さんは、ここに女の子達が存在している事に責任を感じているはずだ。本来は、美紀さんだけしか残らなかったはずなのだから。


 まだ地べたに座り込んで茫然としている優理に向い、女神様はどこかスッキリとした笑顔を向けると、優しく声をかけた。


「優理、お前が欲している人は皆が欲している人だ。ぼやぼやしてるとお前の入る隙間なんて直に無くなるぞ」


(皆が欲してる……か)


 その言葉の深い意味、美紀さんはそれを感じているから言葉にしたに違いない。優理に伝わったかどうかは分からないけど、それは俺も感じているし、正直に言えば不安で仕方がない。


 まず香さんだ。

 遠藤慶隆さんの懇願で、伊藤さんが香さんを貰い受ける事になったという話はもう公然の事実であり、元遠藤家の人達が言いふらしているから収拾のしようがない。

 貰うと言っても嫁にもらうのか、侍女として貰うのか、そこら辺は伊藤さん次第だろうが、普通に考えれば嫁に貰う話になるだろう。となると、伊藤さんは美濃三人衆の一人である、安藤守就さんの娘婿になってしまうのである。


 その地位や活躍の場は、石島家に留まるような話では無くなってしまうかもしれない。俺達の側からいなくなってしまうかもしれない。


 心配なのは香さんだけではない。

 ちょっと意味合いが違うが、織田信長さんだ。

 金田さんからの手紙に、伊藤さんと織田信長さんが会ったと書いてあった。


 ぶっちぎり得票数一位の怪物としてこの時代に舞い降りた伊藤さんの器量は、頼綱さんが惚れ込むレベルだ。織田信長さんがその器量を見ぬき、家臣に欲しいと言い出す可能性は十分にあり得る。


 もしかしたら、信濃で療養中に武田信玄さんとも会っているかもしれない。同じように、武田信玄さんからも家臣になれとか言われている可能性も否定できない。


 金田さんが織田信長さんの家臣となり、つーくんが稲葉良通さんの家臣になった。

 彼等の評価が上がれば、必然的に俺への評判も高まる。そして、俺達が挙げた最高手柄である郡上攻防戦。そのほぼ全てを動かした伊藤さんの存在は、織田家のご家中の方々から見れば光り輝く物かもしれないのだ。


 そんな伊藤さんを欲しいと言い出す実力者が、一人や二人では済まない可能性もある。


 美紀さんは優理の頭をポンポンと軽く撫で、そのまま城門のへ向かって歩き出した。

 晴れやかな表情は、伊藤さんの唇を強引に奪い熱烈なハグをした事なんて忘れてしまったかのような雰囲気である。


「もぉ~、美紀姉ぇ! だからってあんなことする!?」


 優理は思ったよりも元気に立ち上がると、伊藤さんではなく美紀さんの方へ向かって走り出した。


「いいじゃない、減るもんじゃないし」


 美紀さんは歩きながら答え、何だかとても楽しそうだ。


「えー、でもでもでも、流石に目の前でされたら凹むって!」


 優理は美紀さんにくっついて城門へ向って行く。

 俺は一瞬、あの二人が険悪になるのではないかと心配したのだが、そんな薄っぺらな関係性ではないらしい。


「あら、それじゃ目の前じゃなくてこっそり私の部屋でする事にしよう。そのほうが最後まで出来そうだし?」

「へ? 美紀姉ぇ何言ってるの? 本気? ねー本気?」

「さぁ?」

「ダメー! あ~もう。ライバルおおすぎっ!」

「別に減るもんじゃないんだし、見えなきゃいいんだろ?」

「ちがーう、そうじゃない!」


 微笑ましい会話を続けながら歩く美紀さんと優理を眺めていると、背中のほうで何かを警戒する伊藤さんの声が響いた。


「おい、そんな目で見るな、おちつけ? 唯、それ捕獲して!」

「嫌ですよ。瑠依ちゃん、がんばって!」

「がるる~」


 俺が振りかえると同時に瑠依ちゃんが伊藤さんに飛びつく。首にがっちり手を回し、そのまま離れなくなった。


「ちゅーしてくれるまで離れません!」


 美紀さんが見せた強引さは、しっかりと瑠依ちゃんに受け継がれたらしい。


(うらやましー)


「くっそー、美紀ちゃんのせいだな。よーし、このまま持って行っちゃうぞ」

「え? うわっ」


 首に巻き付いて離れなくなった瑠依ちゃんを抱えて立ち上がると、そのまま城門に向って走り出す。


「唯も殿もほらっ、行こう!」


 伊藤さんの笑顔に促され、俺と唯ちゃんも城門へ向かって走り始める。


 俺達が動き出した事に気付いた美紀さんと優理がこちらを振り返った。


「あー! それどうゆう状況? なんで?」


 憧れの王子様(三十五歳)にお姫様抱っこで運ばれている瑠依ちゃんを見て、優理が不満そうな声を上げる。


(あー、やっぱこれだよね、この感じ)


「瑠依はお姫様なので~す」

「降りなさいよ!」


 俺は走りながら、伊藤さんを取り巻くこの感じがすごく懐かしく感じられた。

 本当は、戦国時代とかそういうのどうでもよくて。こんな時間がずっと続いてくれたらいいと思ってる。

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