第102話 出来る男
伊藤さんは城に入ると、女の子達を強引に引き離して直に仕事に取り掛かった。
それは俺がやろうとしていた仕事とはかけ離れており、やっぱり伊藤さんが必要なんだと実感する物だった。
広間で伊藤さんから仕事の概要説明を受けている時、郡上の寺から来たと言う尼僧さんが、伊藤さん宛に訪れてきたと報告が入る。伊藤さんは尼僧さんを別室で待機させるように伝えると、香さんに遠藤慶隆さんの弟さんを呼ぶよう指示を出した。
香さんが広間に戻ってきたの頃には、もう夕方近かっただろうか。
「伊藤様、三郎太殿をお連れ致しました」
伊藤さんは香さんを笑顔で労うと、自分の目の前に三郎太くんを座らせた。
この二人は初対面ではない。
郡上からの撤退戦で、遠藤さんのご家族を救出したのは伊藤さんなのだ。
「三郎太殿、おいくつになられる」
「ハッ、十四にございます」
「剣術は上達なされたか」
「ハッ。十三様に毎日鍛えて頂いておりますが、まだまだ未熟者でございます」
「然様ですか。書は嗜んでおられますか」
「ハッ、毎晩のように。香様より頂いた書物に目を通しております」
次々と問いかける伊藤さんに対し、三郎太くんはしっかりとした受け答えを出来ていた。俺が十四歳の時と比べたらすごい差だ。
「ならば問題ありませんね。慶隆殿の御葬儀の前に元服の義を執り行いましょう」
そう言った伊藤さんの目は、優しさに満ち溢れていた。
「遠藤家を蔑には出来ません。三郎太殿の元服が終わり次第、葬儀の仕度に取り掛かりましょう」
そこで伊藤さんは、別室で待たせていた尼僧さんを呼ぶ。
「失礼を致します」
その尼僧さんが一礼し、俺達の前に座った時である。
「は、母……上?」
「三郎太」
(味な計らいをするもんだな)
俺は伊藤さんとアイコンタクトを取ると、陽と目を合わせて頷き合った。伊藤さんが次に話しを終えたタイミングが、俺達の退散する時だろう。
「三郎太殿、慶隆殿の御葬儀に寺が必要でしょうから、郡上の城下で偶然知り合った尼僧を紹介させて頂きます。今宵はゆるりと葬儀の打ち合わせをなされるがよろしい」
こういう時の伊藤さんは、仏様のように慈愛に満ちている。もう人間ではないのかもしれない。
(ここで俺が締めくくって解散だな!)
「それでは、皆様方はお仕事に戻ってください。俺も用事があるので行きますね」
皆様と言っても、大原兄弟と香さんと伊藤さんしかいないのだが。一応、皆が俺の言葉に頷いて席を立つ。俺も最後に、三郎太くんに声をかける事にした。
「兄上殿の葬儀が済みましたら、当家へ仕官なされるのがよろしいでしょう。その時は特別扱いをせず、一人前の武士として召し抱えますよ」
尼僧さんはハラハラと涙を流し、俺に深々と頭を下げた。
それからの数日間は、本当に目が回るような忙しさとなった。
俺が立案した郡上運営計画は、伊藤さんによって大幅なテコ入れがなされ、とてもシンプルに大変貌を遂げた。
まず、病院と職安が廃止され、学校だけが作られる事になった。学校では簡単な応急処置のみで、その後は城下の医者へ回す事になった。要するに保健室があればそれでいいという結論になったわけだ。
更に、ある程度の学問や武術を修めた者にはそのまま職を斡旋するというオマケを付ける。
これで、わざわざ職安みたいな物を用意する必要が無くなった。
独立した三つの組織を単独で運営するような能力が、今の俺達に備わっていない事を思い知らされたし、伊藤さんが言うには学校一つの運営も怪しいそうだ。
早い話、俺は急ぎ過ぎたって感じだろう。
伊藤さんは計画の変更をやりながら、香さんのお仕事にも大きく関与していく。特に庄屋さんとの交渉事については、既に伊藤さんが窓口で差支えない程になっている。
年貢の徴集に当たって最も重要なキーパーソンとなる庄屋さん。この人達との関係性をどうするかによっては、プチ反乱が起きても不思議ではないそうだ。
そんな多忙を極める中、遠藤慶隆さんの葬儀まで取り仕切っている。郡上八幡城の政務処理速度は伊藤さん一人の登場で劇的に上昇。
不思議な物で、業務が速やかに片付いていくと、それまで見えてこなかった問題点がハッキリと浮彫になる。そこに発生する人手不足や経験不足の部署に対し、元遠藤家の使用人さん達を実に上手に配置していき、本当に無駄なく人の雇用も進んだ。
十月に入ると遠藤慶隆さんの葬儀の支度が整い、三郎太くんもその名を改め
葬儀に参列しに来た郡上各地の実力者達の中には、未だに俺の所へ挨拶に来ていない人も散見されたのだが、そこに伊藤さんの厳しい鞭が入る。
一定以上の実力がある者には、遠藤慶胤くんが連名で署名する起請文を書かせた。
その起請文の内容は『石島家に忠誠を誓う』という物である。
慶胤くんは自ら進んでどんどん書いた。
実力者さん達は、旧主の弟が署名したその起請文に、名を連ねて石島に忠誠を誓ったのである。
だが、それを書く事を拒否した人物がいた。
「むしろそれくらい気骨ある人の方が、味方になれば信用できるんですよ」
伊藤さんは「まぁ気長に口説きましょう」とだけ言って気にする素振りを見せない。
そう言われては、俺も言われたとおりにするしかないので、書かなかった人については不問にする事にした。
正に万能な活躍を見せる傍ら、人材の育成にも力を注いでくれた。
綱義くん達と同世代を中心に、次々とお仕事を任せていく。自分がスーパーマンなだけでは終わらない、人に任せる所までやりきってしまう。
この人は本当に出来る男である。
こういう姿を見せられては、男の俺でさえ惚れそうになる。女の子達にしてみれば、正に憧れの的なのだろう。
そんな出来る伊藤さんのお蔭で、俺は陽とゆっくり庭を眺めながらお茶をすする時間を持てるようになってきた。
余裕が出てくると気になるのは、女の子達と出来る伊藤さんの関係。それから、いつも一緒にお仕事をしている香さんと出来る伊藤さんの関係だ。
香さんはお付きの人にぶーぶー言われながらも、平素から動きやすい服装を心がけている様子である。身分の高い方の御嬢さんとは思えない快活さだが、たまに正装で現れるとドキっとさせられる可憐さを持ち合わせていた。
普段からすっぴんの陽と違ってお化粧をする人だったのだが、出来る伊藤さんのアドバイスなのだろうか、そのお化粧が現代のナチュラルメイク風に変わってきた。
美的感覚が出来る伊藤さんの好みになっていくと、もちろん俺から見てもどんどん魅力的になっていく。元々お綺麗な人であったが、今では陽と比較しても遜色のない美人さんである。
いつも出来る伊藤さんの三歩後ろを付いて回るその姿は、もうすっかり奥様のようにも見えた。とは言え、出来る伊藤さんは未だに寝所を綱義くん達と共にしており、足軽組頭に取り立てた四名と男ばかりの七人部屋で雑魚寝状況が続いているのである。
いい加減部屋を持ってくれと陽も散々お願いしているのだが、軽く躱して聞き入れようとしない。香さんとの仲も、もちろん美紀さんとの仲も、優理とも瑠依ちゃんとも進展は無さそうな雰囲気だ。
そんな慌ただしい十月も終わろうとしているこの日の夜、郡上八幡城に金田さんが訪ねてきた。
「まぢっすか? 凄いじゃないですか。真田昌幸かあ、会ってみたいっすね!」
金田さんは俺達への挨拶を早々に済ませると、お酒を持ちだしてすっかり伊藤さんと話し込んでいる。信濃からの帰りに伊藤さんが岐阜へ立ち寄った時、金田さんはちょうど伊勢に行く直前で、ろくに話しが出来なかったそうだ。
「だろ? びっくりしたよ。ちょっと死を覚悟したよね」
「そういう場面多いっすよね。自分なんかもう多すぎて多すぎて、最近ちょっと感覚が麻痺してきちゃったから危ないっす」
金田さんと伊藤さんのやり取りを小耳に挟みながら、俺は綱忠くんと囲碁で対戦中である。
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