第96話 残像

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『打ったぁ~大きいぞ! これは文句なしか!? 入ったぁぁぁ! タツローの逆転スリーラン!』


(ありゃ? ここどこだ? ああ、辰兄たつにいん家か)


「ひゃっほー」


(ったく、おばさん相変わらず元気だなぁ)


「あれ? あれれ? お兄ちゃんが打ったの? もうちょっと早くお風呂出ればよかったよ、見逃した~」


(彩? 何してんだ? ……って、そりゃそうか)


 風呂上りの彩を見たとたん、なんだか不思議な気分に襲われた。


(なんでこんなに懐かしい気がするんだ)


「ちょっと修ちゃん、なに涙目になってんの? もしかして、私のお風呂上りが魅力的すぎた?」


 Tシャツに短パンで団扇をパタパタしながら笑う。


「よく言うよツルペッタンの癖に」


(あれ? なんだろう……この台詞もやたら懐かしい)


 自分の台詞に強烈な懐かしさを感じた。


「うっさい! 宿題終わったの? 夏休みもうすぐ終わりだよ」


(宿題? ああ、中学生か、俺)


 この景色、この環境、この人達。

 たぶん中学二年の夏休み。


(って事は夢か? 現実だったらいいのに)




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「わりーな、見舞いなんて来てもらっちゃってさ」


 病院のベッドに横たわるのは辰兄だ。


(ああ、この場面も知ってるよ、中三の夏の終わりだ)


「何言ってんだよ辰兄、あんまり心配させんなよな」


 確か、辰兄と真面に話したのは、この時が最後だったと思う。


「お? 言うようになったねぇ、いい男になってきたな!」


(呑気な事言いやがって)


 この時はまだどうって事なかったけど、この後大変だったんだ。


 シーズン中に事故で大怪我、選手生命を絶たれたリーグ首位打者は、最初こそ不運とか言われてたけど。

 事故の原因が自分だったって事が世間に知れてからは、チームへの裏切りだとかファンへの裏切りだとか、自宅にまで嫌がらせの電話や手紙が届く程、家族は酷い目にあったんだ。


(おばさんも彩も毎日泣いてたんだぞ)


「なぁ、修。彩の事……頼むな」


(そうだ、この顔だ、ずっと脳裏に焼き付いて離れなかったんだよ、アンタのその顔が!)



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「ちゃんと探してくれないんですか?」


(おばさん、何怒ってんだ? ここは……ああ、警察署か)


 この年の正月はホント最悪だった。年末に病院を抜け出した辰兄がそのまま行方不明になったんだ。


 警察署にいる間、彩は俺の背中の服を掴んだまま、ずっと俯いて下唇を噛んでいた。


 俺が野球を辞めたのも、確かこの時期だったと思う。




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「変な顔っ! アハハハッ」


(ここは……彩の病院)


 突然の入院に心配して駆けつけた俺に対し、顔を見るなり変な顔だと言いやがったんだ、ちゃんと覚えてる。


「変な顔とは失礼な、これでもモテるんだからな? チョコレート九個ですから! あ、義理チョコ除くで九個ね!」


(俺、ずいぶん懐かしい事言ってるなぁ)


 高校一年の冬、バレンタインデー、彩が最初に入院した時だ。


 この日、彩が学校を休んだ事で、ほんの僅かな期待を胸に秘めていた男連中が分かりやすく落胆していたのを思い出す。


「へ~、一桁じゃ可哀相だね! 仕方がない、私からも一個あげよう」


 満面の笑みでチョコレートをくれた彩、この時だと思うよ、本気でお前の事を好きだって気付いたの。


 それまでの幼馴染の延長じゃなくて。


 男として、彩に惚れてたんだって、気付いたんだよね。




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「見て見て! この写真! 辰兄ぃから届いたの!」


(うわ……この場面強烈に覚えてるわ)


 高校二年の春、突然家に呼ばれたんだ。まあ、呼ばれたと言っても隣の家なんだが。

 それまで行方不明だった辰兄から、彩の元に突然手紙が届いた日の事だと思う。


「相変わらず字がへったくそだよね~」


 その手紙は、辰兄が結婚して子供が生まれたという知らせだった。


「いったい何処で何やってるんだか、お前の兄ちゃんホント自由人だよな」


(こっちは散々苦労したってのに、呑気なもんだよ)


「いいじゃん……生きてたんだしさ! それにしても奥さん綺麗な人だね~、赤ちゃんちょー可愛い!」


 同封されていた写真には、奥さんと、辰兄が腕に抱いている赤ん坊が映っている。


「彩、お前、ついに叔母さんだな、お・ば・さ・ん」

「あら? それなら修ちゃんも私と結婚したら叔父さんだよ? お・じ・さ・ん」

「誰がじゃ! いつ結婚すると言った」

「え~、病気治ったらお嫁さんにしてくれるって言ってたじゃん!」


(言った……かも)


 この時の彩の目は必要以上に真剣だった。


 そんな真剣な彩の目に惹かれるように、十年以上を一緒に過ごしたこの幼馴染と、初めてキスをしたのがこの日だったな。



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「修ちゃん、ごめんね……ご飯とかちゃんと食べれてる?」


(おい、楽しい思い出はすっ飛ばすのかよ。性格の悪い夢だな)


 この間も色々あったはずだ。キャンプとか海とか夏祭りとかクリスマスとか、楽しい思い出は見せてくれないらしい。


 付き合い始めて三年目、大学進学と同時に同棲を始めた俺達は、直に危機的状況に見舞われていた。

 大学一年の夏、彩が二回目の入院をした時だろう。


「おう、心配ない!」

「そうか、ならよろしい、浮気すんじゃねーぞ?」


 この時の彩の顔、ホント具合悪そうだった。


 頑張って作った笑顔もその意味をなさないくらい、本当に具合悪そうだったな。




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『おめでとぉ~』


(まぶしっ……教会?)


 この日の事は生涯忘れない。


(おい、夢よ、どうせなら記憶じゃなくて……ここから先は空想の世界を見させてくれよ)


「彩は幸せ者だね~」

「えへへっ、いいでしょ~!」


 式は家族だけでって話だったのに、大学の同級生やら高校の同級生やら小中学生の頃の友達やらが山ほど集まってくれた。


 お蔭でご祝儀はたんまり手に入ったのだが、そのご祝儀に込められた思いには、何度感謝してもしきれない重みがある。


「おいおい、彩だけじゃねーぞ、俺も幸せだからな? そこんとこよろしく」

「言うね~! ひゅーひゅー」


 俺達は彩の二十歳の誕生日に結婚した。

 その翌日、前々から予約していた式場で、簡単な式だけを挙げた。披露宴はやっていない。


「修ちゃん、一個だけ我儘言っていい?」


(ああ、覚えてる。いいさ、あの程度の我儘なら何回でも、何百回でも、何千回でも何万回でも聞いてやる)


「おう」

「やった! じゃーあ、お家に寄ってから病院に戻ろ?」




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 おい、夢





 くそ夢!





 だめだ





 やめてくれ






 これ以上先に進んだらダメだ





 頼む





 頼むよ……





 これ以上は





 進まないでくれ





 お願いだ





 もう、やめてくれ……

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