第88話 北伊勢へ
◆◇◆◇◆
◇1567年 8月15日
美濃国
稲葉山城 織田軍
この日、ついに美濃斉藤家が滅亡する。
木下藤吉郎の手勢が稲葉山城の西側、百曲口という険しい斜面を一気に駆け上がると電撃的な奇襲攻撃を仕掛けた。その対応に追われた斉藤軍の乱れを付く形で、柴田勝家が大手門に攻撃を仕掛けこれを突破。
如何に頑強な堅城と言えど、一旦城内に侵入されてはそう撃退しきれる物ではない。当主斉藤龍興は、僅かな近習を伴って脱出し逃亡、ここに美濃斉藤家は滅亡を迎えたのである。
主を失った稲葉山城内は、地獄と見まがう状況となった。
斎藤の敗残兵は城内に取り残された侍女達を襲い始め、金品財宝や女を掻っ攫って城から抜け出そうと躍起になった。
その無法地帯に雪崩れ込んだ織田軍は、斎藤の敗残兵をなぎ倒しながら、欲望の赴くままに女を犯し、金品を奪った。
織田軍による包囲開始から僅か十四日。
難攻不落の堅城も、それを守る人が整っていなければ役に立たない物であると、世間に証明するような戦となった。
夕刻、手に入れた稲葉山城に入った信長は、凄惨を極める敵将の処断についての取決めをある程度をこなすと、残りを柴田勝家に任せて席を立った。
信長の目は、既に北勢に向いている。
夕日を浴びる稲葉山の頂上付近に立ち、遥か南西の地を見つめていた。
(早う伊勢を手にせねばならぬ)
信長の構想では、美濃攻略よりも前に済ませておくべき事柄であった。
豊富な人、利便性の高い港、平氏発祥の地という思い入れ、それらはどれも信長には魅力的な物ばかりである。
(京か……義輝公よ)
義輝というのは、二年前に京都で殺害された室町幕府の将軍、足利義輝を指す。信長は一度、僅かな供回りを連れて上洛し、当時将軍であった義輝に謁見した事があるのだ。
西の空に沈もうとする夕日は、信長の目には京都に沈み込むようにさえ見えた。
「思うておったよりも遠い、なかなかに行けぬわ」
信長は吐き捨てるように小さく独り言を漏らすと、その手にあった二通の書状を強く握りしめた。
(残るは伊勢)
少し離れた位置で待機していた近習に声をかける。
「行くぞ」
「ハッ」
この時、近習は信長の発した「行くぞ」の意味を察しきれていなかった。
それは、本陣に戻ると言う意味ではなく。このまま伊勢へ入り、北伊勢地方を平らげに行くとの意味であった。
信長が本陣に戻ると、既に敵将の処断は粗方済んでいた。
凄惨な血の海に首の無い遺体が山積みとなっているのだが、それを信長が目にする事は無い。
本陣に入ると、上座に回込んで腰を下ろす。それを合図とするように、一度は立ち上がり一礼をした家臣達も腰を下ろした。
「禿鼠、でかした」
「ハッ!」
真っ先に褒められたのは木下藤吉郎であった。
(積年の努力が実ったわい、勲功第一は俺だな、やったぞ!)
木下は飛び上がって喜びたい感情を必死で堪えた。
「権六、大義」
「ハハッ!」
次に声をかけられたのは柴田勝家であった。
(遅れを取らなかっただけ良しとするか)
七年前の遅参を未だに気にしていた勝家は、これでその後悔も拭える気がしている。
次に褒められるのは誰か、家臣達が期待を胸に待っていると、信長は唐突に机を強く叩いた。
机を叩いたその手には、二通の書状が握られている。
家臣達は静かに息を飲み、信長が口を開くのを待った。
「北勢へ」
信長の両目から鋭い眼光が発せられた。
信長が手にしている二通の書状。
一方は郡上を攻略した稲葉良通からの物、もう一方は甲斐の武田信玄からの書状である。
織田信長は桶狭間で今川義元を討つ前から、武田信玄への貢物を欠かさず、常に低姿勢でその機嫌を取ってきた。
三年ほど前には、自分の姪を養女とし、武田信玄の四男に嫁がせる事で友好関係の基盤とする程であったが、それはいわば人質として差し出したという事である。
その人質とした姪は目出度く男児を出産したものの、産後の肥立ちが悪く他界してしまった為、信長は次なる友好関係の基盤を模索し続けていた。
最初に機嫌を取り始めてから実に十年近く。
そのひたすらの低姿勢は、ついに一つの結果をもたらした。
武田信玄の実の娘
まだ幼少である二人の婚儀は、二人がもう少し大人になってからという条件と、松姫と交換で信長の実子を人質に差し出すという条件は付いたものの、これは驚きの結果である。
人質を指し出す立場であるにも関わらず、積み重ね続けた信用が、逆に娘を貰い受けるという離れ業をやってのけるに至ったのだ。
そして、この場にあるその書状が、ついに実を結んだ証である。書状を見せられた家臣達は、揃って仰天した。まさか、武田信玄が実の娘を寄こすような話になるとは思ってもみなかったのである。
これには、流石の丹羽長秀も驚愕の想いであった。
「殿の思慮遠謀には……ただただ頭が下がるばかりで御座います」
織田家の領国である尾張と、武田家の領国である甲斐・信濃は国境を接していない。
しかし美濃を攻略した事で信濃と国境を接する事になり、信長が長い年月と財力と投じてきた対武田外交が大きな防波堤となって織田を守る事になった。
「一益、先駆けよ」
「ハッ!」
稲葉山城を落としたばかりだと言うのに、織田軍は北伊勢へ向けての進軍を開始しようとしている。
兵が、馬が、将が、慌ただしく動き回る中、信長は丹羽長秀を呼び付けると一通の書状を手渡した。
それは先程、武田信玄からの書状と合わせて握られていた、稲葉良通からの書状である。
書状には、遠藤胤俊が敗走の上、郡上北西木越城にて切腹した事、稲葉の軍勢が郡上全体を抑える事に成功した事が実にしっかりと要点を纏めて記されている。
更に、信長や丹羽長秀の心中を察してか、大原の事についても記されていた。
石島軍は郡上よりの敗走の後、大原に戻って軍を立て直すと、大原に寄せた遠藤軍を打ち破っては、逆に郡上まで再度進軍して来たと記されており。
その見事な采配を振るったのが金田健二郎という名の将であると明記されていた。
(金田健二郎め、やりおる)
丹羽長秀は、小さくニヤケ顔を浮かべる。
更に書状には、数枚に渡って石島軍の詳細が記されていた。
郡上では、敗走中の姉小路軍を纏めて山麓に伏せ、稲葉良通の郡上侵攻軍と歩調を合わせるように動いては、敵方の鷲見弥平治という賊を討ち取った将がいると記されており。
その石島の将を「剛勇並ぶもの無し」と称賛すると共に、名を須藤剛左衛門と記してあった。
炎上した郡上八幡城から遠藤慶隆を救いだし、囲む敵中のど真ん中を突破して城を出た石島の将の事も記載されていた。
その将は遠藤慶隆に姉小路軍の護衛を付けると、南下させて郡上を脱出させ、自身は囮となるように僅かな手勢を連れて山間部を通り、途中で何度と無く激戦を繰り広げながらも大原に帰還したと記されており。
その将こそが、此度の石島の全てを差配した人物であり、名を伊藤修一郎と言うが、明日をも知れぬ容態であると記されていた。伊藤修一郎は今後必ず役に立つので、今直ぐにでも名医に見させるべきであり、飛騨のような田舎で死なせるべきではないと、稲葉の個人的意見で書状は締めくくられている。
(伊藤修一郎か……殿はどうお考えなのか)
その件について丹羽長秀が伺いを立てようとすると、先に信長の方が口を開いた。
「よい」
それだけを言うと、丹羽長秀の手から奪うように書状を取り上げた。
「ハッ」
(既に手を打たれたのか、いやはや分からぬものよ)
丹羽長秀は、主人の石島に対する思い入れを理解できずにいた。
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