第89話 悔しさと報酬

■1567年 8月15日夜

 飛騨国

 大原村 石島屋敷


「何故ですか、同行させて下さい!」


 優理が涙目になって懇願した。

 俺達は今、重苦しい雰囲気の中で一つの交渉に挑んでいる。


「女! 何度無理だと申せば良いのだ。これ以上申すのであれば斬り捨てるぞ!」


 こちらがあまりにも食い下がるもので、ついに前田さんがブチ切れた。


 一同が急に殺気立つ。


 この場には、俺と金田さん、そして優理と美紀さんがいる。

 交渉相手は織田信長さんの家来で、前田利家さんというお侍さん。いかにも強そうな雰囲気の人だ。


 前田さんは当然一人ではなく、そのご家来衆が数名同行している。その前田さんの怒気に晒された優理は、ついに泣き崩れてしまった。


 金田さんはずっと目を閉じたままで無言を貫いている。


(金田さんも援護してくれればいいのに!)


 泣き崩れた優理に変わって、俺が前田さんに言葉をかけた。


「伊藤さんは当家にとって最も大切な重臣です。一人の同行も許されないようでは納得が行きません!」


 立場上、俺は石島の当主であるわけなので、前田さんも「斬り捨てる」などとは言えないだろう。


 前田さんは困り果てた表情で、何やら腹を括った様子だ。


「なれば、この前田利家、この場にて腹を切らせて頂くより他にない!」


 前田さんのご家来衆がざわつく。


(困ったなぁ)


 前田さんは織田信長さんの使者としてこの屋敷を訪れると、同盟国である武田さんの領国にいる名医永田徳本ながたとくほんさんの所へ伊藤さんを連れて行くと言い出した。

 しかも、その旅路に同行は認められず、織田家から世話役を出すので伊藤さんだけを指し出せと言うのだ。


 優理の肩を抱く美紀さんが、前田さんに言葉をかけた。


「前田様、せめて同行できない理由を教えては頂けぬのですか?」


 これも、もう何度も聞いている事だが、明確な答えは聞けていない。

 前田さんは心底嫌そうな顔で答えた。


「まっこと頑固よの、俺も命懸けなのだ。分かってくれ」


 そう言いながらも、流石に疲れ切った様子で、ついに同行出来ない理由を少し話してくれた。


「この俺もよう知らんのだが、どうも殿が武田信玄殿に医師の診察を受けさせたいと頼んだ様子なのだ。だがな、武田の領国に入る以上、妙に疑われるような事があってはならん、絶対にならんのだ!」


 その言葉を聞いた金田さんが、突然床に両手を付くと、前田さんに深々と頭を下げた。


「前田様、お時間を取らせて申し訳ありませんでした」


 下げた頭を戻し、前田さんをしっかりと見据えて言葉を続ける。


「伊藤殿の体力も限りがございます故、急がねばならぬのは当方も十分承知しております。上総介様のご厚意、謹んで受け取らせて頂きますので、どうか伊藤殿を宜しくお願い致します」


「金田さん、なんで……」


 涙声の優理が問いかけるが、金田さんは見向きもせず、俺に向って『何も言うな』とでも言いたそうな顔で、無言の圧力をかけている。


(なんでだよ……同行くらいいいじゃないか)


 金田さんの言葉に大きく頷いた前田さんは、俺に向き直ると言葉を発した。


「石島殿、宜しいですな。これは織田家当主、織田上総介様からの命令なのです」


 前田さんは言いながら立ち上がると、ご家来衆に伊藤さんを運び出す様に指示を出し、こちらに向って言葉を続けた。


「お伺いを立てに来たわけでも、お願いに上がったわけでもない。命令を伝えに来たのだ、勘違いをされては困る」


 ちょっと冷たい言い方で俺を突き放すと、懐から一枚の紙を取り出した。


「織田上総介からの命である、心して聞け!」


 紙を両手に持って広げ、そのまま俺達の上座に移動した。


「ハッ」


 金田さんは両手を付いて軽く頭を下げながら、前田さんの言葉を待っている。

 当然、俺にもそうしろと目で訴えてきた。


(納得が行かない事が多すぎる……くそう)


 とは言え、これ以上文句を言ってもどうしようもなさそうだ。

 俺は仕方なく、金田さんと同じ体制で前田さんの言葉を待った。そんな俺達を確認すると、前田さんはその紙に書かれた事を読み上げ始めた。


「此度の働き、見事成。石島洋太郎に郡上八幡城並びに郡上一帯を知行地として与える」


 悔しさと遣る瀬無さが心を満たしていた。予定通り郡上を貰えるようだが、ここまでに払った犠牲は大きすぎる。


「金田健二郎召し抱えの義、知行一千貫、即刻出仕致すべし!」

「ハッ!」


(こっちも予定通りか……金田さん、織田信長の家来になっちゃうのかよ)


 なんだか見捨てられるような、そんな悲しい気持ちになってきた。


「尚、須藤剛左衛門は以後、稲葉良道の与力とする」

「ちょ?」


 俺はたまらず声を上げてしまった。

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