第80話 敗走

 伊藤が頷いた直後の事。

 ドタバタと廊下を激走する音が響き渡る。


「殿、大事! だいじ~!」


 音に続いて聞こえてきた声に、遠藤が飛び跳ねるた。


「何事か!」


 遠藤の問に、息を切らせた家臣が跪くのも忘れて報告を入れる。


「わ、鷲見弥平治、謀反! 最勝寺にて挙兵、その数、凡そ五百!」

「くっ、おのれ」


 遠藤は、自分の心配事が的中した事への落胆と同時に、今しがた伊藤に懇願しておいて正解だったと実感していた。

 家臣の報告はこれだけではなかった。


「それにばかりか、城を出た連中が続々と鷲見の元に集まろうとしている様子。更に、木越の胤俊様が挙兵、兵六百を以って南下中との知らせが入りました!」

「新右衛門……おのれ! 新右衛門!」


 従兄弟の不義理に怒りが沸々と沸いてきたが、既に遠藤本人に戦う力は無く、僅かな兵と共に城を枕に討死するか、もしくは城を捨てて逃げるしかない。


「伊藤様!」


 その家臣の方から、石島家臣の大原綱忠が駆けてきた。


「綱忠、直に城を出る準備を致せ!」


 伊藤の命令に、綱忠は顔を青くして応えた。


「そ、それが、既に城下の至る所で火の手が上がっております。既に鷲見弥平治の兵が乱入しているかと!」

「なんじゃと」


 反応したのは遠藤であった。


「なんという事を。皆の無事を願っての事であろう、何故わからぬ」


 遠藤は膝から倒れるように崩れ落ちると、小さく蹲った。


「儂が何をしたと言うのだ。儂が、儂がいったい何をしたと言うのだ!」


 独り叫ぶと、とたんに立ち上がる。


「ううああああ!」


 遠藤は奇声を上げ、報告に来た家臣を引きずるようにして歩き始めた。


「具足を持て! 弥平治と差し違えてくれるわ!」


 ドタバタと広間を出ていく遠藤を、家臣が走って追っていく。


 その間、伊藤は綱忠に指示を出していた。

 既に敵兵が乱入している城下町を抜けるとなれば、それ相応の戦闘に備えなくてはならない。


 指示を出し終えた伊藤は、傍らにじっと立っている香を見つめ「参りますか?」と声をかけた。


「はい、足手まといであればお捨てになって頂いて結構で御座います。どうかお供をお許しください」


 伊藤は小さく頷く。


 香は「すぐに仕度をして参ります」と告げると、小走りに自室へ向かった。






■1567年 8月2日夜

 美濃国

 郡上八幡城 石島軍


 闇夜は明るく照らされて、煌々と光る郡上八幡城は既に火達磨になっていた。

 俺は、単身でも郡上八幡城に入ろうと思っている。どこか抜け道なり何なりがあるはずだ。とにかく行くしかない。俺が生き残ってても、伊藤さんがいなければこの先どうにもならないのだ。


 陽や、優理や、唯ちゃん瑠依ちゃん美紀さん。

 あの子達を守ろうと思ったら、必要なのは俺じゃなくて伊藤さんだ。


「申し上げます、別府四郎殿の軍勢が退却中!」

「何で!」


 俺達の軍勢は、右翼と中央を頼綱さんの兵が、左翼を別府さんの兵が担っている。

 郡上八幡城に攻撃を仕掛けている鷲見弥平治に対し、俺達は猛攻を仕掛けているが、どうにも攻めきれないらしい。

 その原因の一つが、別府さんの消極的な動きだった。


 かなり遠い距離で銃声が響き渡っている。

 人の叫び声が、怒号が、馬の嘶きが、鉄砲の音が、この戦場に渦巻いていた。


 もう、伝令さんにも余裕がない。

 俺の問いに応える事無く、直に走り去ってしまった。


 みんなが命がけなのだ。

 しばらくすると、また別の伝令さんが飛び込んできた。


「伝令! 申し上げます、南西より新手!」

「新手……この状況で?」


 戦場を渦巻く怒号は一層激しくなり、俺を絶望に落とし込んでいく。更に悪いことに、現れた新手の敵は、別府さんが陣を引いた箇所に突っ込んで来たらしい。


 時折、この本陣に敵兵さんが飛び込んできては、俺の護衛をしてくれている頼綱さんの家臣に打倒されていた。

 おじさん侍、矢島さんである。


「石島の殿も少しは武芸の鍛錬をなされたほうがよろしい!」


 もう何度言われた事か、本当に情けない。

 そして同時に、頼りになるおじさんである。



 ――バリバリバリバリ



 今度はかなり近い距離で鉄砲が放たれたらしい。


 俺の心臓は今にも口から飛び出しそうだった。

 

 そんな時、頼綱さんが本陣に駆け込んできた。

 頼綱さんは額から血を流していたが、それ以外は特に外傷はなさそうだった。


「洋太郎殿、これは無理だ、引くぞ!」


(え?)


 俺は返事を出来ずにいた。

 退却の命令は既に姉小路軍に行渡らせていたようで、前線に出ていたつーくんと金田さんも戻ってきた。


「ゲホッゲホッ、ダメだ、こりゃだめだ」


 金田さんは大いに負傷している様子で、つーくんに肩を抱えられながら歩いている。


「伊藤さんは? どうするんですか? 諦めるんですか?」


 俺のその問に、つーくんが悔しそうに呟いた。


「どうにもなんないんだよ」


 それは分かっているつもりだ、どうにかなるなら、どうにかしてくれているだろう。分かってはいるけど、納得なんて出来るわけがない。


「伝令! 申し上げます、別府四郎の軍勢が攻めかかって参りました!」


「んなっ? おのれ別府!」

「あちゃ~」

「あのおっさん」


 皆は別府さんの裏切りを嘆いているが、俺には伊藤さんを置き去りにする事のほうが何百倍も嘆かわしい。


「行きましょう! 郡上八幡へ特攻しましょう!」


 俺は覚悟を腹に決め、本気で行くつもりだ。


 次の瞬間。




 ――バリバリバリバリ




 かなり至近距離で鉄砲が撃たれた。



 足元や陣内の物が壊れた音がしたので、どうやらこの本陣に向けて撃ち込まれたらしい。



 俺は、右肩に鈍い痛みを感じていた。


 いや、右肩だけじゃない。


 左の太ももにも。



「あ……れ?」



 その鈍い痛みは一瞬で激痛に変わる。



「洋太郎殿!」

「やばい、剛左衛門、運ぶよ!」

「はい!」


 俺は立っている事が出来なくなりそのまま崩れ落ちたが、直に皆に抱えられるようにして本陣を運び出された。


「矢島、退却じゃ! 殿しんがりをいたせ!」


 頼綱さんの声が聞こえる。

 俺の視界は、星の綺麗な夜空だけを捉えている。


「応! お任せあれ!」


 俺を守ってくれていた矢島さんの声だ。


(矢島さん大丈夫かな。他の皆は鉄砲当たってないかな)


「若、今生の別れで御座る。立派な飛騨守護におなりなされ!」

「じい……済まぬ!」

「はっはっは、じいとはまた、久しく呼ばれておりませんでしたな! はっはっは!」


(矢島さんってそんな歳でもないような……)



「剛左衛門!」


 金田さんの声が聞こえた。


「須藤殿!」


(つーくん? どうしたの?)


「引け! 殿しんがりは矢島の手勢で受けよ! 退け!」



(頼綱さん、つーくんどうしたの?)



「逃げるぞ! 退けええ!」


(金田さん、つーくんどうしたの? なんで皆無視すんだよ……)


「思いっきり走れよ、この俊足金田は最後でいいからな! お前ら全力で大原まで走り抜け!」


 遠く鉄砲の音が響く。


「走れ走れ! 俺より後ろにいるな! この金田健二郎の前を走れ!」


 金田さんの声はずっときこえている。


「走れ! 諦めるな走れ! 生きてもど…………






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…………


……




「それじゃ、転送するね」



(駄目だよ、優理も一緒に帰らないと駄目だ、皆の覚悟が……)



……


…………


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「ダメだ!」


 叫んだ瞬間、激痛が走った。


(痛っ!?)


 どうやら夢を見ていたらしい。自分の右肩と、左の足に激痛が走る。


(どうしたんだろう)


 俺は額に手を当て、ぼんやりする頭で記憶を辿った。

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