第81話 傲慢な書状
◆◇◆◇◆
◇1567年 8月4日
美濃国
稲葉山城 織田軍
この日、織田信長の元に一通の書状が届いた。
書状の送り主は、郡上北西の地を治める木越城主遠藤胤俊である。
「読んだか」
書状に目を通し終えた信長は、この書状の中身を確認したかどうかを問う。
「ハッ」
問われた丹羽長秀は、一言で返答すると口を閉じた。
この時代の臣下は、主に見せるべき書状かどうかを、大抵の場合は一度目を通して確認している。
それは同時に、臣下の力が強くなれば、届くべき書状さえも届かなくなると言う事であり、稲葉良通から遠藤に宛てた書状が届かなかった理由は正にそこにある。
丹羽長秀の返事を確認すると、信長はその書状を火にかけた。ゆっくりと燃えていく書状を、信長は全て灰になるまで見つめていた。
「誰を向ける」
書状が燃え尽きると、信長は再び丹羽長秀に問う。
この問は、丹羽長秀には意外な物であった。
(てっきり「捨ておけ」と申されると思うておったがな)
稲葉山城の包囲を完了してから既に三日が過ぎた。しかし、城は未だに落ちる気配がない。
(苛立っておられても不思議は無いのだが……)
その稲葉山攻略に手こずる中、郡上から寄せられた書状に対し、こちらも手を打てと言うのである。
丹羽長秀は少し思案すると、三名の人物が頭に浮かんだ。
「恐れながら、美濃三人衆を向かわせるのがよろしいかと」
信長はその言葉に小さく頷くも、自分の考えている事と少しばかり食い違っている点について訂正せねばならなかった。
「
「御意」
丹羽長秀は信長の意向を確認すると、すぐにその準備に取り掛かった。
信長の言う『大垣』とは、東美濃に位置する
美濃三人衆の中では最大勢力を誇り、美濃の三分の一を治めるとまで噂された人物である。斎藤家が崩壊している今、美濃で動員可能な兵力の大半を、その氏家直元が抱えている事になるのだ。
本陣を出た丹羽長秀は配下の者を呼び寄せると、氏家を除く美濃三人衆、稲葉良道と安藤守就を呼び付けるように指示を出した。
(金田健二郎、不思議な男よ)
主が欲するその男に、交渉窓口になっている丹羽長秀本人も魅力を感じている。
「申し上げます。稲葉様、安藤様、参られました」
部下の報告に小さく頷く。
「応、参ろう」
丹羽長秀も織田信長も、無意識のうちに金田の身を安じていた。
郡上の遠藤胤俊から織田信長に宛てられた書状は、世の流れを読む事の出来ない人物が記した哀れな物であった。
そこには、いかに古くから遠藤氏一族が郡上の権力者であったかが記されており、次いで記されていたのは、遠藤氏が斎藤道三、斎藤義龍、斎藤龍興の三代に渡り、郡上の支配を認められている事。次の美濃国主になる織田信長もそれを認めるべきであり、認めてくれるのであれば相応の働きはするとの事。
織田の名を偽った飛騨の軍勢が侵攻してきた事、その軍勢に郡上八幡城の遠藤慶隆は情けない事に降伏しようとした事。
更に、それらを全て打ち負かし、今は自分が郡上全体を支配下に置いている事。
斎藤家の重臣、長井道利を討ち取った事。
文章全体から溢れる自信と傲慢さは、織田信長にこの書状の送り主を「討て」と命ずるに至らせた。
その実行に白羽の矢が立った二人が、呼び出された丹羽長秀の陣に到着していた。
「お引き受け致そう。然れど郡上へ入るならば関を抑えねばならんな」
元々、遠藤慶隆の身を案じていた稲葉良道はこの命令に些かの不満もなく、今すぐにでも郡上へ走り出したい気持ちであった。稲葉のその言葉に、安藤はこれ幸いと一つの提案を持ちかける。
「ならば、関の抑えは我らが受け持とう。長井殿が居られぬのであれば然程の事はあるまい」
(この期に及んでまだ、娘を助けたくないと言うのか)
稲葉には、自身より年上の安藤の言葉が理解出来ずにいる。
(了見の狭き事よ)
決して頭の悪い男ではない。稲葉は安藤の事をそう思っている。一族郎党の結束も硬く、配下にはあの竹中半兵衛を抱えている。安藤という人物は決して凡人ではない。
「なれば
「応、なれば儂も向かうとしようか」
この二名が特に異存なく作戦に当たる事を了承した事で、丹羽長秀の役目は一旦終わりを迎える。
「御両名、しかとお頼み申しましたぞ」
丹羽長秀は、この郡上侵攻の成否が今後の両名に大きな影響を及ぼすであろうと睨んでいる。それは同時に、この郡上侵攻を差配した己の今後にも影響してくるはずである。
(こちらも忙しいというのに、難儀な事よ)
稲葉山城攻略でも手柄を立てなければならない、郡上でも信長の納得が得られる結果を出さなければならないのだ。
そして、その信長の納得を得るためには、どうしても必要な人物がいる。
(金田殿、生きておれよ)
主の望みを叶えたいのか、己の身を案じてなのか、それとも丹羽自身が金田の無事を祈っているのか。
本人にも分からずにいた。
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