第2話

この想区は代々、「カラバ侯爵」が王となり治める平和な想区だった。


粉挽き小屋の三男がカラバ侯爵となり、粉ひき小屋の三男をカラバ侯爵に仕立て上げるのが猫の役割だった。


「故に、粉挽き小屋で3人男が生まれれば、猫を飼う」


そうして飼われた猫は粉挽き小屋の主が死んだ時、三男に託され、家を出るのだと言う。


そうやって世界は循環し、これからも循環する筈だった。


「最初の異変が何だったのか、吾輩にはわからぬ。何せ生まれて間も無く、右も左も大してわからぬ子猫であったからな」


それでも猫は粉ひき小屋で飼われていたのだと言う。


猫にとっての最初の異変は唐突だった。


飼われた家の主人が突然、黒い靄に呑まれたかと思うと、黒き異形に変じ、家族を襲い出した。


阿鼻叫喚と化した屋内が瞬く間に黒き異形の跋扈する場に変わるのに、然程時間は掛からなかった。


男は女を襲い、女は我が子を襲い、その度に黒き異形が増えていった。


飛び出した先でも人々は黒い異形へと変わっていき、変じた異形は猫を片端から襲いだした。


そしてとうとう、猫を最も可愛がっていた少年すらも黒い異形と成り果て、猫を襲いだしたのだ。


子猫の小さかった体躯故か、命からがら逃げ延びた猫は、たまたま通りがかった一人の「旅人」に拾われた。



「旅人?」


レイナが訝し気に眉を顰める。


「吾輩はそれ以外にその者を何と呼ぶかは知らぬ。その旅人は吾輩を別のソウクと呼ばれるセカイへと逃がしてくれた」


ぱちり、と焚火が小さく爆ぜた。


「その旅人とやらは何か言っていなかったか?」


タオの問いにふむ、と猫の金目が虚空を見つめる。


「お前はもはや、運命の書に縛られる事はなくなった。故に自由に生きよ。と」


三人は一様に黙り込んだ。


「それだけでは敵か味方かもわかりませんね」


シェインがぽつりと声に出す


「本当にただの旅人なのか、それとも、奴らの気まぐれか、はたまた陰謀か」


「もっとも、想区を渡る事が出来ている時点で旅人ではないでしょうけどね」


「因みにその人は男の人?それとも女の人?」


「男であった。しかし何分生まれて間もなく小さかった故にそれ以上となると、記憶も曖昧でな」


「そっかぁ……」


エクスはため息を零した。

どの道、これ以上詮索したところで、現状改善の糸口にはつながる事はないだろうし、終わった事でもある。

旅と戦いの疲れもあり、ひとまずその場はお開きとなった。




ぱちり、ぱちり、と火の爆ぜる音が聞こえ、熱が毛皮を炙る。


「猫、お前はお逃げ」


人々が阿鼻叫喚に包まれ、黒い歪みが湧き出る中、少年は小さな子猫を自分より遠くへと押し出した。


なーう、なーう!


子猫は抗い、少年に向かって訴えるように鳴く。


「大丈夫、かくれんぼが得意なお前なら逃げ切れる」


なーう、なーう!


必死に縋ろうとする子猫を少年は押し留める。


「一緒に行きたいのは山々だけど、僕はもうダメなんだ」


そう言った少年の足下から黒い歪みが這い上がる。


「早くお逃げ!」


闇が少年の腰ほどまで這い登り、焦った様子で少年は子猫をつき飛ばした。


ゴロゴロと転がり、壁にぶつかり、ヨロヨロと起き上がる子猫の前に影が差す。

目を開ければ、駆け寄った少年が膝をついて子猫を見下ろしていた。


「早く、お逃げ……」


見上げた子猫からは炎のあかりが逆光となり、少年の顔は影になって見えない。


「でないと……」


ゆらり、と少年が立ち上がる。


子猫は気付いた。


影ではない。


「お前ヲ」


その顔は歪みにより、真っ黒に塗りつぶされていた。


ソコに二本の赤い切れ目が走った。


ギョロリと開いた真っ赤な目《まなこ》に子猫は己の命の危機を悟った。


「オマえヲ消シテしまウよ!」


振り下ろされた黒い手を小さな爪で跳ねのけ、子猫は少年であったソレに背を向けて、一目散に逃げ出した。



くルるるるゥーーーーー



空に甲高い異形の叫びが響いた。




木の隙間から差し込む朝日の眩しさに猫はゆっくりと瞳を開いた。


そこに影が差した。己を覗き込む人の顔。けれど逆行でその顔は猫の目に真っ黒に映り、猫の身体が硬直したのも束の間。


「猫さん、起きた?おはよう」


至極真っ当な人の言葉に我に返り猫は身体を起こす。


猫を覗き込んだ人の顔が朝日に照らされ、いかにも人の好さげな笑顔がこぼれる。


「おはよう、猫さん」


エクスの気負いのない挨拶に猫は動揺を悟られぬよう、その場で猫らしく四つん這いになり、大きく四肢を伸ばし、何気ない挨拶を返した。


「ああ、おはよう」


彼の顔は黒くもなければ、その瞳も赤くはない。

そんな「当たり前」に猫は安堵した。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る