4-3-3 最終章

第四百七話 【ヒューゴ 蘇る記憶】

 学園が謎の幕に覆われたのとほぼ同時刻――遠く離れたダリオンの村では、とても小さな異変が起きていた。気づいたのはその場にいた、ただ一人。ヒューゴ・オルランドのみ。


「……なんだ?」


 それは深夜に自主練を終え、仕事場の片付けを済ませた時のこと。彼の視線は、目の高さよりも更に少し上へと向けられていた。


 大事に置かれていた紅い金属塊インゴットは壁掛け棚から無くなって、そこには卒業記念に貰った花のみが残っている。まさしく、その花が――急速に枯れ始めていた。


 ラッパのように大きく広がった花弁が、色を失っていく。先ほどまでの、野に咲いた状態のような鮮やかな色彩が幻想だったかのように。ヒューゴがポカンと口を開けている間に、みるみるうちにしおれ、そしてぐったりとこうべを垂れる。


「――っ!?」


 ――直後、大きな衝撃がヒューゴの脳を揺さぶった。


 とてつもない情報量。まるで間欠泉のように、ヴァレリアに関係する記憶が蘇ってくる。学園で過ごした3年間のところどころで抜けていた記憶が一度に流れ込んできたために、たまらずその場で膝をついた。


 入学してすぐの頃、意地の悪い上級生に絡まれたところを助けてもらった。

 学生大会に向けて、妖精魔法を使いこなせるように修行をつけてもらった。


 一度や二度ではない。自分を支えてくれた先輩。

 自分の妖精魔法師としての目標だった先輩のことを――


「どうして……こんな大事なことを忘れてたんだ……!?」


 自分が胸を張れるような魔法使いになれたのは、ヴァレリア先輩のおかげと言っても過言ではない。それぐらいに大事なことだったのに。


 長い年月のうちに薄れていって、ということはあり得ない。自分でも知らないうちに、ヴァレリアに関しての記憶がすっぽりと消えていた。あまりの信じられなさにショックを受けていた。


 そして自然と、どうしてそれを思い出したのだろう。という疑問に行きつく。


「あの花は、卒業前に先輩がくれたものだ……」


 魔法によって枯れることのない花が、今になって急に枯れた。それはただの偶然なのだろうか。ヒューゴの中では嫌な胸騒ぎがずっとしていた。


「いますぐ学園に行かねぇと……」


 自分たちが入学する前からずっと学園にいたという話は何度も聞いていた。そこから急に学園からいなくなるということも考えづらい。そう考えると、居ても立っても居られなかった。


「馬車はこの時間には出てねぇし、朝までまって、そこから学園に向かうと――って、何日かかるんだ!? いまから走って行く……いや、絶対に無理だろ。もっと時間がかかっちまう。出来ることなら飛んで行きてぇけど、そう都合よくアリエスが遊びに来るわけもねぇし――あぁっ!!」


 手段は限られていた。

 一番効率がいいのは、乗り物を使うことだ。


 しかしながら、そう都合よく乗り込めるものも簡単には思いつかない。個人で所有しているものならまだ希望はあるが、その持ち主だって知り合いの中では限られている。


 飛空艇を飛ばせるような金持ちに、心当たりがあるにはあった。

 ……頼れるものは何でも使うしかない。断られたらその時だ、と覚悟を決める。


 すぐさま出発の準備を整えていく。


「数日は……戻れない……かもしれない……っと。これでいいな」


 朝になって自分が姿を消したことに家族が驚くことも容易に想像できるため、テーブルの上に書き置きを残しておいた。


「よし、そんじゃ忘れ物は――おっと、あぶねぇ」


 慌てて、仕事場の壁に飾っていた剣を手に取った。






 我が家の家宝でもあった紅い金属塊インゴットで打った細剣レイピア。自分の出せる実力を全て出し切ったその一本に、ヒューゴは視線を下ろす。


 学園を卒業してからというもの、ひたすらに剣を打ち続けた。

 何千回、何万回と、愛用の鎚を振り下ろして。


 時が過ぎていくにつれ、己の理想に現実が追い付いてきた実感があった。実力もある程度認められ、自身の打った剣を店に並べてもらうことが誇らしかった。


 それでも慢心せず、鍛錬を続けていく。親は『これをしろ』と指示を出すタイプではなかったので、そういう時に何を打つかは自由だった。剣だけではなく、斧など様々な武器を打ったりもした。その中で、なんとなく細剣レイピアを打つことが多かったことに自分でも不思議だったのだ。


『また細剣レイピアばかり打っているのか。この辺りの魔物には、そういった細い刃は届きにくい。店に並べてもあまり売れないぞ』


『……ごめん。でも、なんだか気が付くと「これを打とうかな」って思うんだ。仕事のものだって、手を抜かずにやってるけど……やっぱりやめた方がいいかな』


 別に、楽をしたくて細剣レイピアを選んでいるつもりはなかった。父であるライナ・オルランドもそれは理解しているので、咎めるようなことはせずにいた。


『いや、お前の時間だ。お前の好きなものを打っていい』


 何かが見える気がするから、そうしているんだろう。と、少し考えてからそう言ったのが、ヒューゴにとっては印象的だった。


 ――――。


 武器を打つときは、持ち主のことを考えて打つ。


 誰のものになるのか分からないものを打つこともあるが、それだって“未来の持ち主”を想像しながら打つ。様々な武器を打つのは、それぞれの人に合った武器を使って欲しいから。ただ、この“細剣レイピア”だけは、なぜだかぼんやりとしたイメージが湧かなかった。


 軽くて、硬くて、それでいてしなやかさも備わっていて。きっとそれは、力のあまりないひとでも扱える、使い勝手の良い剣になっているはずだ。ただ、求めているのはそうじゃない。


 ずっと見えない“完璧”を目指していたのだ。

 矛盾はしていたけれども、見えない“何か”がヒューゴを突き動かしていた。


『俺の最高の一本は――誰が持ち主になるんだろうな』


 そう考え続けていた答えが、今、






「よし……じゃあ、行くとすっか!」


 まず目指すは、シエットの住んでいる屋敷。シエットが駄目なら、グレナカートに頼むしかない。二人のいるマクメイズまでは、馬車で1日、徒歩ならだいたい2日以上。だけれど、飛空艇に乗りさえすれば1日もせずに学園に着くことができる。


 ここから直接に学園に向かうよりもずっと早い。


 今から休まず走り続ければ、1日は無理でも明日の昼頃にはマクメイズに着くか。途中で運よく馬車に乗ることができれば、もっと早く着くことだって。とりあえず、走りださなければ何も変わらないと、ストレッチをしながら考えていると――


「おう、ヒューゴ。こんな時間からどうした。どこかに出かけるのか?」


 起こさないように静かに閉めていた玄関の扉が開き、父親であるライナが顔を出してきた。これといって怒っている様子もなく、ただ見送りに出たようで。


「親父……ごめん、すぐにマクメイズまで行かなきゃなんねぇんだ。本当は学園に行きたいんだけどよ、こんな時間だし、馬車を乗り継いでたら何日もかかっちまう」


「……大事な用事みたいだな。しっかりと装備まで整えて」


「書き置きはちゃんとしておいた。お袋に親父からも説明を頼むよ。大丈夫、ちゃんと帰ってくるから。……もしかしたら、嫌な予感ってだけで何も無いかもしれねぇし」


「だが、嫌な予感だけじゃ済まない可能性もある。だろう?」


 もしかしたら、自分の恩のある人に何かあったのかもしれない。だから、様子を見にいきたい。ヒューゴの真剣な表情に、ライナは納得したように顎髭を撫でる。


「ふむ……行くならこいつに乗っていくといい。マクメイズまでなら、馬よりもこっちの方が幾分かマシだ。眠っていれば勝手に目的地に着くしな」


 そういって、ライナが手を前に出すと、彼の契約していた妖精が姿を変えていく。ご丁寧に荷台が取り付けられたそれは――巨大な赤いサンショウウオのようにも見えた。


「速さはお墨付きだ。少しだけ貸してやるから、帰りはゆっくりでいいから自分で帰ってこい。こいつがいない間は仕事もろくに出来ないからな」


「ありがとう、親父……」


 予期していなかった協力に、深く頭を下げるヒューゴ。

 珍しい息子の姿に、目を丸くしながらもライナは笑みを見せた。


「……なんだか分からんが、頑張ってこい」

「わかった。行ってくるぜ――!」

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