第四百八話 【シエット 抜け穴】
ヒューゴがマクメイズに到着したのは、ようやく日が昇り始め、あたりが明るくなってきた頃だった。街の入り口近くの広場、予定よりもかなり早い、しかも道中で睡眠を十分にとれたので元気いっぱい。
「ふぁぁ……よく寝たぁ……」
荷台から飛び降りて、大きく伸びをするヒューゴ。
身体の
「ありがとな! 親父の妖精だし大丈夫だとは思うけど、気をつけて帰れよ!」
妖精はすでに元の姿に戻っており、ふわふわと大きく左右に振れることで返事をしていた。ここから先はヒューゴ一人。帰りの足が用意されない以上、必ず飛空艇を確保しなければならない。
善は急げと、最短でここまで来たのだから、自然と移動も駆け足となる。目指すはシエットの住んでいる屋敷。貴族の住まいはマクメイズの中でも奥まった地域のため、それでも数分は走り続ける必要があった。
(この街も、だいぶ雰囲気が変わったよなぁ……)
――ヒューゴだって、その理由についてはいろいろ聞いている。最も有力な噂は、領主であるマクメイズ公の力が弱まったからだ、というものだった。本来ならば領主というものは力があって当然であり、でなければ統治もままならないのは当然のこと。
だが、マクメイズ公ことエルクリード・ペンブローグは“暴君”として領地内外で有名であり、それによりピリピリとした空気がかつては支配していたのである。
しかしながら、そこにエルクリードの独裁の姿勢を崩す者が現れた。息子であるグレナカート・ペンブローグが魔法学園で実力をつけて帰ってきたのだ。ヒューゴには政治の話はよく分からないが、その影響はダリオンにある彼の実家でも実感はしている。
他の街でも、人々の笑顔を見かけるようになった。それだけでも十分だった。
少なくとも、頼み事をするにあたって、話ぐらいは聞いてくれるだろう。
そう思えるぐらいには、“貴族”に対しての認識も変わっていた。
「いつ見てもデケェよなぁ」
――とはいえ、流石にペンブローグ家ともなると、そう簡単に会って話なんてできるわけがない。まずは話をし易い方に会って手伝ってもらおう、というのがヒューゴの魂胆である。
学園を卒業してからというもの、不思議とシエットとの交流が増えていた。
彼女の家であるエーテレイン家も、小さいながら貴族の家であり、それ相応の役目を担っている。立ち位置としては、領主であるペンブローグ家の下につき、
シエットの父親は頼りなく、彼女が当主となる日も近いために、責任は重くのしかかってくる。そこに、同年代の、よく知る顔があるというのは、都合が良いというものだろう。
そこにあったのは、決してメリット・デメリットの話だけには限らないのだが――ヒューゴの中では『頼りになりそうだから、迷わず頼るぜ』という単純な考えだった。
「すいませーん!」
小さな
一度二度叩いたが反応はなく、少しだけ待ってからもう一度――と拳を振り上げたところで、ゆっくりと扉が開いた。
「おや、ヒューゴさまではありませんか。何やら慌てた様子ですが、こんな時間からお嬢様に何の御用ですかな」
内側からするりと顔を覗かせたのは、老齢の紳士。
エーテレイン家の執事であり、ヒューゴも顔見知りだった。
「すんませんっ、ちょっと今、かなり急いでて……! すぐにでも学園に行かなきゃなんねぇんだけど、それには飛空艇が必要で……」
と、一方的に説明をするヒューゴだったが、前提の話を知らない執事にはさっぱりである。『まずは、落ち着いて』と宥めようとしたところで、玄関口から見える階段からメイドのルナが降りてくるのが見えた。
「――あらっ?」
「お、ルナ――」
「お嬢様ー! ヒューゴさんが遊びに来てますよー!!」
次の瞬間、ガタンッと屋敷の2階の一部屋から、大きな音が。
ヒューゴが気になって覗き込もうとするも、執事は一歩前へ出てそれを遮った。
「…………?」
「準備が整うまで、しばしお待ち下さい」
後ろ手に静かに扉を閉める。有無を言わさぬ圧力があった。
…………。
5分経過。
「……もう、いいかな」
「まだです」
…………。
10分経過。
「…………!」
次第に苛立ち始めるヒューゴ。
それを見るも、執事は動じない。
「レディの支度というものは、時間がかかるものです」
…………。
15分経過。
「このままじゃ日が暮れちまうぜっ!?」
「紳士たるもの、黙って待つのが美徳というものですぞ」
窘めるような言葉に、ヒューゴが反論しようとしたのだが――執事の背後で固く閉じられていた扉が、勢いよく開かれた。
「別に俺は紳士になんて――」
「いま何時だと思っていますの!?」
ぜーはーと息を荒げて出てきたシエット。彼女なりの全速力だったのだろう。頑張って身だしなみを整えた彼女だったが――それを迎えるヒューゴの表情は『やっとかよ……』と呆れたものだった。
「お嬢様……。今は早朝でございます。屋外で大きな声を出すのは控えられては」
静かに窘められたシエット。その表情は、とてもバツが悪そうなものだった。
それを誤魔化すように、低い声で彼女は尋ねる。
「……で、何の用ですの」
「かくかくしかじかで……」
卒業後に貰った花が、昨夜突然に枯れ始めたこと。その原因として、自分たちの先輩がいるであろう学園で何かあったのではないか、と考えたこと。今すぐにでも学園に行きたいが、そのための足がなく、最速を考えれば飛空艇しかないということ。そして――飛空艇を付近で唯一所有している、ペンブローグ家との交渉を、同じ貴族であるシエットに手伝って欲しいということ。
これらを一気に説明し終わったところで、シエットは唸り始める。
「はぁ……そう簡単にいくわけがないでしょう……?」
「でも、やってみねぇとわからないこともあるよな?」
「グレナカート様も、貴族として民から必要とされている人物です。職務を放棄して好き勝手に飛空艇を飛ばすなんてこと、できるわけがないでしょう」
「そこをなんとか……! 頼むよ、一生のお願いだからさぁ!!」
「…………っ!」
ここで望みを絶たれては、にっちもさっちもいかなくなる。必死なヒューゴは思わず、シエットの手をとっていた。突然に両手を握り、拝みこむように懇願され、シエットの心臓が跳ねる。
両手からじんわりと伝わる熱。間近にまで迫った顔。真剣な眼差し。
……先に根負けして、顔を
「オホンッ。……その“一生のお願い”は、もっと別のところにとっておきなさい」
ほのかに赤くなった顔をヒューゴに見えないようにしている主人を見て、ルナは隠れてクスリと笑い、執事は小さく肩を
「じい、少しだけ外出してきます。ルナ、出発の準備をお願い」
「左様でございますか」
「承知しました!」
主人の言葉に、従者たちはそれぞれ頷いた。
「もう、ほぼ城みたいなもんだよな……」
「いつ見ても、塀が空まで届きそうですねぇ」
ペンブローグ家の屋敷は高い塀にぐるりと囲われていた。遠目から見ても目立つため、目的地にして迷うことはまず無いほど。塀の端から端が長すぎて、視界に入らないほど。
「……マクメイズ領を治める領主の住まいなのだから、これぐらいは不思議じゃないでしょう」
正面には大きな門があり、脇には門番が立っていた。
「……門番なんて必要なのか?」
「はぁ……すぐに分かるでしょうね」
マクメイズ公爵の“暴君”という名は伊達ではなく。単騎で軍隊一つと渡り合えると噂される程の実力の持ち主ならば、門番などいなくとも襲撃者を簡単に返り討ちにできるではないか、というヒューゴの疑問も仕方ない。
しかし、シエットの方はその意味を十分に理解していた。
「お引取りください。本日は来客は受け付けておりません」
文字通りの門前払い。
貴族ともなれば、面倒な客はいくらでもやってくる。
一般の者は近づかないにしても、商人や、素性の分からないもの等。そういった者たちを、こうして入り口で追い返すために門番を雇っているのである。なので、アポイントメントも無く突然にやってきた男女2人を通すはずが無い、というのもシエットの予想のうちだった。
「……そうですか。わかりました」
「なんでだよ、シエットだって貴族なんだろ!? 話ぐらい聞いてくれたって――」
「ちょっと!!」
「エーテレイン家のご息女であっても、です」
とはいえ、ヒューゴがここでゴネるのは想定外。相手が自身の素性を分かった上で追い返しているのも知って、恥ずかしさが込み上げてくる。どこからどう見ても、恥を晒している以外の何者でもなく、他にこの状況を見ている者がいないか周囲を見渡すシエット。
「もうっ……! だから時間を考えろと言ったのに! こっちに来て! ルナもボサっとしないで、早く!」
慌ててヒューゴの手を引いて、その場を去ろうとする。一瞬、門番もその不審な様子に眉を
――――。
正面から離れ、長い長い塀伝いに去っていく3人。角を曲がって、完全に門番の視界から外れたところで、ヒューゴが頭を抱える。
「どうすんだよ……中に入れないと、グレナカートと話ができないぞ!?」
「あれが彼の仕事なのだから、仕方がないでしょう!? 無理に居座ったところで迷惑をかけるだけよ。グレナカート様に会って直接に話ができさえすればいいのだから……奥の手を使うしかないですわね」
『付いてきて』と言い、さっさと歩き出すシエット。ヒューゴは後ろを付いていきながらも、なんとか無い知恵を絞って良い案を出そうと頭を捻っていた。そうして、黙って歩き続けるが――次第に建物は数を減らしていき、周囲には荒れ地の部分が増えていく。
「……作戦会議にしちゃあ、やりすぎじゃないか?」
「違うわよっ」
人目を避けるにしても、周囲は申し訳程度の草木と、砂と岩しかない。人通りは少ないかもしれないが逆に目立ってしまうのではないか、というヒューゴの疑問にシエットは首を振った。
「あまり褒められたやり方じゃないですけど……」
「お嬢様、もしかして――!」
ルナは何かを察したように、ワクワクとした表情を見せていた。
ヒューゴはさっぱり予想がつかず、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「ど、どうするんだよ……」
「――――」
シエットが塀の方の茂みを探る。深く生い茂った背の低い木々を掻き分けると――そこには、大の大人が屈んでやっと
「――忍び込みますわ」
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