第四百六話 【……後は頼んだ】

 周囲ではメラメラと炎が燃えていた。まだ完全には絶命していないが故、“魔神”の身体は消えず、そこに残った炎が燃え盛っている。


「熱い――」


 ――だが、この熱は、炎によるものではなかった。


 胸元を押さえていた手のひらを見ると、血がべったりと付いていた。

 斬られた傷が、熱を持っており、焼けるように熱かった。


「いったい何なんだ、あいつは……!」






 それは、クロエが去ってからのこと。あれから、どれほどの時間が経っただろう。1時間は流石に経ってないとは思いたい。その間に、何体の“魔神”を屠ったことか。数える気もなく、ただただ学園への被害を最小限に抑えようと必死だった。


 地上にいるものに対しては、魔法を使うのは抑えて剣で迎撃した。“門”から溢れ出てくる“魔神”はそれこそ無尽蔵。魔力がいくらあっても足りないと直感したからである。


 しかし、こちらに脇目も振らず飛んでいくものに対しては背に腹は変えられず、範囲を限定した魔法で正確に撃ち落としていく。


 ただ、私一人では限界があるのも事実だった。


 魔法も届かない距離を飛んで、学園内部に通じる穴へと入っていく個体。本当ならば追って片付けたいが、そうしている間にも新たな“魔神”は出てくる。それらを放置していれば、更に事態は悪化するだろう。ずっと歯を食いしばっていた。


 唯一の希望は、刻一刻と“門”が薄くなっていくこと。


 あと少し、このまま耐え続ければ、消えてくれると信じるしかなかった。一定の期間ごとに“門”から漏れ出ていることにも意味はあったのだろう。これまでになかった“魔神”の大量発生に、“門”自体が耐えきれないのだ、と。


 そうして――幾十もの“魔神”を屠り続けた結果――“門”が奇妙な輝きを持ち始めていることに気がついた。それに合わせて、出てくる“魔神”の数も減ってきている気がする。


 あと少しだ。あと少しで――私の戦いが終わる。

 そう願いながら、魔法の詠唱を絶やすことなく、剣も振り続けた。


 もはや汗なのか、“魔神”の蒸発する前の体液なのかも分からないぐらいにドロドロになって。シュウシュウと揮発していく魔素も、どれだけ吸い込んでしまったのか分からない。今の身体の状態も不確かで、前後不覚になりながらも戦い――“門”の輝きは一層強くなっていく。


 そして一瞬、爆発するかのように強く輝き――そして、消えた。


 ……消えた?


 どれだけ宙を見上げても、そこにはもう“門”は無い。

 念のため、周囲や地面を見下ろしてみても、どこにも見当たらなかった。


「はは……終わった……! やっと終わった……!!」


 “魔神”も、もう出てはこない。残っている個体はまだ大量にいたものの、明確な終わりが見えてきただけでも全然違う。一気に身体に活力が戻ってきた気さえした。


 ――そんな時だった。


『ズッ……』と“門”のあった空間から、何かが突き出てきた。

 巨大な金属の板……? いいや、切っ先がある。


 およそヒトが扱えるとは思えないほど巨大な剣が、空間を切り裂いていた。


「――――」


 嫌な汗が頬を伝う。


 剣だけが勝手に動くはずもなく。つまりはその剣の“使い手”もいるということ。ここから何が起こるのか、想像には難くない。するりと剣が引っ込んだかと思った次の瞬間には、その正体がこちらに足を踏み入れ始めていた。


 始めにずるりと現れたのは――竜の頭。


 まるで裂けたのかというぐらい不自然に大きく開かれたあぎとに、その脇から大きく伸びた真っ赤な髭。しかし、私が知っている竜とは頭以外が似ても似つかない。これもある意味では異形というべきか。


 長い首はそこにはなく、その途中から不自然にヒトの胴体が生えていた。大きさは異常ではあるものの、手足の造形は完全にヒトのもので。その腰元には先程見た剣を提げていたことから、道具を使用するだけの知性があるのは明らかだった。


 その異様な相貌そうぼうだけでも、十分な圧力を感じさせる。だけなら良かったのだが、その実力も見た目と同じかそれ異常だという直感があった。


 これまで対峙した“魔神”の中でも――いや、もしかしたらヨシュアに匹敵するほどに強い。先程までの有象無象と比べるなんてもってのほか。“魔神”という枠に収めていいのか、それほどまでに他が霞んでいた。


 震えてる……まさか、私が?


 知らずのうちに恐怖を感じているとは考えたくない。これは……やっぱり疲労が限界にきているだけ。きっとそうだ。……それでも十分にマズいけど。


 私が動けないうちに、いつの間にか“竜の魔神”は全身がこちら側に来ていた。


 ずるりと竜の尾が垂れ、幸いにも切り裂かれた空間はすぐに閉じる。


 ――新たな魔神がこれ以上現れることはない。それだけは救いだった。……だが、目の前に現れたたった一体の“魔神”が、だったのが、最大の不幸と言えるだろう。


「だが――あいつさえ倒せば……!」


 向こうがゆるりとあたりを見回し、こちらの存在に気がついた。

 空いていた左手が、右腰に提げられた剣の柄へと伸ばされる。


『――来る』と思った次の瞬間、巨体が視界から消えた。


 ほぼほぼ本能で動いたようなものだった。無意識にこちらも剣を構え、正面からの斬撃に備えたのとほぼ同時に、目の前で赤い刀身がぽっきりと折れるのが見えた。


 遅れてやってくる衝撃、鋭い痛み。――






 ――――。


(深いな……。致命傷か、クソッ……)


 喉元まで血が込み上げて、呼吸もままならなかった。


 全身の力が抜け、その場に崩れ落ちる。自分でも驚くぐらいにあっさりと来られてしまった、その現実を脳がなかなか受け入れられないらしい。


(死ぬのか……このまま……)


「……ゲホッ……!」


 声を出そうとしても、出てきたのは血のみ。……何か喋れたとして、どうする? 呪文を唱えたところで、もうマトモに使える魔法も残っていない。助けを呼んだところで、誰かが来てくれるはずもない。


「くそっ……やっぱり聞いておけばよかったなぁ……」


 自分の命がここで終わることを実感して、徐々に後悔の念が湧き上がってくる。


 ――ずっと、誰にも聞けないことがあった。

 怖くて、聞かないようにしていたことがあった。


「嫌だなぁ……」


 何かをやり残して終わるような人生は嫌だった。


 だからこそ、これまで頑張ってきたのに。目前のところまで頑張った末に、こうして一人で死んでしまうのか、私は。自分が守ってきたものを、振り返ることもできずに――


 ――――。


 “魔神”がこちらに近づいてくるのが見える。ご丁寧にもとどめを刺すつもりだろうか。このまま放っておいても、勝手に死んでいくというのに。


「……っ。なんだ……?」


 ――ゴゥッという音を立て、噴き上がる黒い炎。

 それは私の周囲を覆うように、突如現れた。

 ……私の魔法じゃない。

 こんな魔法は使ったことがないし、黒い炎など見たことがない。


 首も動かせないまま、視線だけを巡らせてみても、誰かが助けに来た様子もなかった。……もしかすると、私が無意識に使ったのかもしれない。これがテイルが昔に言っていた、“火事場の馬鹿力”というやつか。


 そんなことを考えて、乾いた笑いが出た。


 何故だか黒い炎を越えて“魔神”たちが襲い掛かってくる様子はなかった。――が、咄嗟に出てきたこれが、こうやって自分の身を守るためだけのものならば、事態は何も好転してない。


 ……これ以上は、指一本も動かない。

 ゆっくりと瞼を閉じて、やがて訪れる死を待つだけ。


 十分時間は稼げただろうか。きっと、ローザが私の妖精に気づいて、生徒たちを避難させてくれているはずだ。教師たちだってそこらの魔法使いよりもずっと強い。地上にまで浸食してきた“魔神”たちの処理だって、時間はかかるだろうが行ってくれるはず。


 目の前の“アレ”だけは別格だが――それでも、なんとかなるだろう。


 私が出来ることは全部やったんだ。“門”は消えたのだから。

 これで“魔神”さえ駆逐してしまえば、もう学園が脅かされることはない。


「みんな……後は頼んだ」


 黒い炎の勢いが弱くなっていく。

 残された時間がもうないことを悟り、私は目を閉じた。


 徐々に大きくなっていく、地響きの音を聞きながら――

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