第四百四話 【ヨシュア “神”に触れる】

「――さて、状況はそろそろ佳境に入るところでしょうか」


 ヨシュアは図書室前の廊下から、中庭を見下ろしながら呟く。いつか起きるであろう“決壊”の瞬間をこの目で見ようと、数年の月日を経て再び学園へと舞い戻ってきた。


 それまでどこにいたのか。文字通り、世界から姿を消していたのだった。


 ――“神”。


 ゆえにし、。食事を摂る必要もなく、そもそもの時間の感覚からして他の生物とは違うのである。


 目の前で生徒たちが“魔神”に襲われていても、手を差し出すことはない。

 彼のスタンスは“静観”――盤面を用意して、駒が思い通りに動くのを眺めること。


 しかしながら、例外というものはある。


「ヨシュア……!」


 背後からの声に、ゆっくりと振り向く。

 そこにいたのは、ローザ・シャープウッド。


 懐かしの再開――というわけでは決してなく、二人の間の空気はひりついていた。


「あんた、今の状況を理解してんのかい」

「……えぇ、もちろんです」


「そうかい……“神”ってのはここまで高慢なものかね」


 自身の右腕の袖を捲って、そこにあるものを確認する。赤々とした新しい傷跡は『ヴァレリア』『ヨシュア』『神』という文字の並び。彼女自身が、ヴァレリアの妖精の話を聞いて、ものだった。


『まさか、自分の身体に直接書き込むことになるなんてねぇ』と、皮肉交じりに笑うローザ。それとは対象的に、ヨシュアの表情は変わることがない。


「私の記憶から抜け落ちている生徒は《特待生》だね?」

「――素晴らしい。そこまで分かるのですか。記憶との齟齬で精神に負担が出ていないのが不思議ですよ」


 ローザの中で消えずに残り続ける記憶の層は、自然とだけを浮き彫りにしていた。消えてしまったその生徒――ヴァレリアがどんな生徒だったのか、彼女とどのようなやり取りをしたのか、そういった“彼女自身の情報”は無くとも、それ以外の痕跡からある程度の素性などは割り出すことはできる。


『やはり、貴女は賢すぎる』とヨシュアは呟く。

 それはもはや、“答え”といっても差支えがなかった。


「貴女には、ここから動いて欲しくないのですよ」


 既にヴァレリアのことに勘づき始めている。『彼女に関しての記憶が無い』というハンデを抱えてもなお、いずれ“門”へと辿り着くであろうことは想像に難くなかった。それは、ヨシュアの想定した筋書きとは微妙に異なる。


 想定した通りに動かない駒は、早々に盤上からどけるか、動けないようにするに限る。となれば、ぶつかるのは必至だった。


 パチンッとヨシュアが指を鳴らすと同時に、地面から光の剣が次々と生えてくる。数年前、テイルたちを手にかけようとしたヨシュアに反抗し、剣を向けたヴァレリアの四肢を貫いたものと同じ魔法だった。


 ヴァレリアに比べれば、遥かに年老いたローザでは、あっという間に餌食になるかと思いきや――直前で高く跳躍して、まるで一枚の葉のようにひらりと舞い上がっていた。その両腕には植物のつるがしっかりとからみつき、それが妖精の魔法によるものだということは明らかだった。


 ローザ・シャープウッド。齢300を優に超えた、魔法使いの中の魔法使い。


 戦い続きの一生ではなくとも、妖精と共に過ごし続けたその経験は妖精魔法師ウィスパーにとっては何よりも代えがたいもの。なにより、彼女が管理していた図書室は目と鼻の先であり、そこにいた大量の妖精たちは与えられた使命を遂行し既に戻りつつあった。


 卓越した妖精魔法師ウィスパーが使役する妖精ならば、一匹で並の魔法使い

を超える働きをする。――それが数十。数の利だけを見れば、ローザの方が優勢だった。


 つるから手を離し、落下している間にも、いつの間にかヨシュアを取り囲んだ妖精たちは魔法発動していた。一斉に魔法陣から荒々しく伸びた枝が飛び出していく。対象を突き刺さんと迫っていくが――どれ一つとして、ヨシュアには


 “神”であるヨシュアを、傷つけることはできない。

 たとえ、それが自然の化生である妖精であっても――


 かつて、何度も繰り返されたこと。ヒトであっても、獣であっても。魔法使いが“魔法使い”の枠にある限りは、“神”であるヨシュアに攻撃が届くことはない。何度も見返した映像を再び見せつけられるかのような退屈さに、『ふぅ』と息を吐くヨシュア。


 それは、明確な隙だった。

『突かれても関係がない』という当然のルールがそうさせていた。


 大量の枝の隙間から鋭く差し込まれるように伸びた“何か”を、ヨシュアは察知する。――瞬間、ただならぬ雰囲気を感じ咄嗟に身を引いたことで、それは頬を掠めるだけに終わった。


「――おや、


 ヨシュアが、攻撃を避けた。僅かながらでも傷を負った。

 それは、彼を知る者にとっては“有り得ない事”だった。


「……神樹しんじゅ、ですか」


 ローザが突き出したのは剣――ではなく、だった。


 普段から杖代わりにしていたその剣の鞘と柄は、神樹を元に削り出して作られたものだった。彼女の“友”からの形見であるそれは“神性”を宿し、故に“神”さえも届く武器となる。


「神に仇なすつもりなんてこれっぽっちも無かったが……まさか、こんなところで役に立つとは分からないもんだねぇ」


「…………」


 血は出ていないものの、赤く擦れたその頬を確かめるように、ヨシュアがそっと指を添える。尚も変わらない表情の奥に生まれているのは、驚きか、怒りか。


 ――間違いなく、ヨシュアは攻撃に出る。先ほどの、こちらを力量を探るようなものではなく、明確に排除するための攻撃に。そんな予感がローザにはあった。


(……他の教師たちはまだだろうね。そも救援に入ったところでこの場が覆ることもないだろう。唯一、“神討ち”にはが――今はまだ駄目だ。……仕方がないね、ここらで踏ん張るとするかい)


「気張りなっ! 相手が“神”だろうと、好きにやらせるわけにはいかないよ!」


 妖精たちを鼓舞し、全身に魔力をみなぎらせるローザ。


 ――ヨシュアの攻撃は苛烈で、一瞬たりとも足を止めることはできなかった。

 時間にしてたった数分程度でも、ローザは激しく消耗していく。


 常に妖精たちの援護により動き回り、近づくタイミングをうかがう。ヨシュアに届くと分かった攻撃も、剣の鞘と柄によるもののみ。妖精たちの魔法はよくても遮蔽物しゃへいぶつとしての活用に制限されてしまう。手の内の殆どを明かしている状況で、勝ちの目は無いに等しかった。


 さらに、図書館前の空間は中庭に面しており――そこで襲われている生徒たちを不意に目にしてしまう。クロエ、アリューゼ、そしてニハル。妖精たちの報告により、避難させそこねていた3人である。


「なっ――」


『助けなければ』という意識が一瞬でも生まれ、それが張り詰めていた集中をほんの少しだけ鈍らせた。


 ドッという光の剣が肉を貫く音。勢いそのままに背後の柱へと叩きつけられる衝撃。肩口に突き刺さった剣は、ローザを中空に縫い留めてしまっていた。


「ぐっ……! なにを……やってんだい――!」


 痛みならば耐えられる。過去にはもっと酷い傷を負ったこともある。だからこそ、ローザは己の不甲斐なさを呪った。次の瞬間には全身を貫こうと光の剣が山ほど飛んでくるに違いない。すぐさま魔法で盾を張り、剣を除去し、体勢を整えなければ。脳内で展開を予想し、動き出そうとしたのも束の間――


 闖入者しんにゅうしゃに両者の動きが止まった。


 学園の中庭に降り立った“それら”は、着地と同時にそれぞれが“魔神”を一瞬で屠る。見た目に統一感などは無く、色とりどりの髪、服装。唯一の共通点は、両手足を見ればはっきりと分かる、球体間接きゅうたいかんせつの数々。


「ヨシュアァァァ!! 出てこォい!!」


 ――ヨシュアでさえ、この再会を予期できただろうか。


 ミルクレープ。

 シュガークラフト。

 テスラコイル。

 ムーンショット。


 そして――アカホシ。


 “魔神”の濃い臭いを察知し、学園の危機に駆け付けたのは――他でもない、ヨシュアが過去に作り出し、廃棄した5体の機石人形グランディールたちだった。

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