第四百三話 【ニハルⅡ カッコいい先輩】

 小さな悲鳴に中庭を見ると、中央棟へ向けて二人の女生徒が走っていた。


 クロエ・ツェリテアとアリューゼ・ラビス。黒い翼が特徴的な二人だったが、《特待生》であるが故にニハルとは全くといっていいほど面識が無かった。


「あの二人も避難に失敗して……!?」


 背後には“魔神”たちの影。

 ニハルが遭遇したものとは別個体のようだった。


 二人共すでに疲労困憊、クロエにいたっては手持ちの人型ゴゥレムが残り二体だけな始末。アリューゼが独特な魔法光をまといながら剣を振るうも、徐々に“魔神”が数を増やしていく。


「いま助けに行きますよォ!!」


 爆破魔法を連発して、“魔神”を蹴散らすニハル。

 なんとか二人と合流し、その腕の中にいる妖精を見たところで状況を察する。


「なるほど、転移魔法を発動することができなかったんですね……」

「転移魔法……?」


 続けて四、五体ほど“魔神”を吹き飛ばしたところで、ようやく波が収まり会話をする余裕ができる。大火力の魔法をこれでもかと扱えるニハル、その魔力量は一般生徒の数倍はあるものの、いつかは限界が訪れてしまうと焦っていた。


「さっきの魔物たちが学園のそこら中に湧いてきています。恐らくローザ先生は、その妖精を使って生徒たちを避難させているのでしょう。運悪くそこから漏れてしまったのがボクたちということです」


「ということは――」


 クロエがホッと安堵のため息を吐いた。


 ――よかった。あの生徒の妖精が、ちゃんとローザ先生の元に辿り着いたんだ。

 ……あれ? “あの生徒”って……男子だったっけ? 女子だったっけ?


「早く、ボクたちも図書館に避難しましょう!」


 妖精たちを寄越したのだから、ローザは間違いなく起きている。そして、きっと図書室にいるであろうことは想像に難くはない。だからこそ、全力で走ればすぐそこにある図書室に辿り着きさえすれば先生が身の安全を保証してくれるだろう。と、ニハルは考える。


 間違いなく、この状況でとれる最善の判断だった。だが――


「……駄目」

「……へ?」


 クロエは首を横に振った。逃げることはできない、と。


 そんな馬鹿なことがあるかと、ニハルは呆けた声を上げたあとに半ば狂ったようにキイキイとわめいた。自身の命がかかっているのだから当然のことだった。


「何言ってんですか! 今の魔物たちを見たでしょう! このままここにいれば、冗談抜きで死んでしまうんですよっ!」


 “魔神”たちに慈悲などあるはずがない。獣と同じで、目の前の獲物を狩るのに全力で襲ってくるだろう。それは、自身や妖精が襲われている様を見てきたクロエたちも重々に承知してる。


「でも――まだ一人で戦ってる生徒がいるの! 学園地下の深い場所だから、絶対に避難できていない。そこで学園を守るために必死に戦ってる人が――」


 地下で見た“門”のことをニハルに伝える。


 いざなわれるようにして辿り着いた扉の先にあった広い空間。そこに浮かぶ大きな裂け目と、中から出てきた“魔神”。そして、それらを魔法で叩き落としながら、学園の生徒たちを守るためにと妖精を託した生徒。


 先ほどあったばかりのことなのに、段々と記憶が薄れていくことに恐怖を覚えながらも、なぜだか感じる既視感が『助けないと』とクロエの心に訴えかける。


「あなた怖くないんですか!? まずは自分の命が大切でしょう!?」

「怖いけどっ……! !!」


 青い顔をしながらも、頑として譲らないその瞳には涙が浮かんでいた。


「わ、私も……クロエちゃんと同じ気持ちです」

「なにを馬鹿なことを……正気じゃない……」


 ――ニハルは逡巡しゅんじゅんする。


 彼女が嘘を言っているとは思えない。しかしながら、そんな状況で生徒がたった一人で生きていられるのだろうか。“魔神”の力は強大で、一体を片付けるだけでも消耗する。既に死んでいるかもしれないその生徒のために、自分たちの命を危険に晒すべきなのか。


 しかしながら、目の前にいる生徒たちはニハルに視線を向けているのだ。


『――お願い』と。


「…………」


 視線の先にある学科棟からは、窓から廊下から、“魔神”が湧きだしていた。あれら

全てを屠るのが先か、こちらの魔力が尽きるのが先か。良い方に転ぶ確率は限りなく低い。しかしながら――ニハルは震える声を必死に抑えながら、こう問いかけた。


「……アリューゼさん、あなたの身体から浮かぶ文様、魔法式ですよね?」


 こくりと頷くアリューゼ。震える指先に力を込め、ギュッと杖を握り直す。

 勝算、といえる程のものではないが、現状を打破する鍵をそこに見つけたから。


「ほほう、なるほど……ですか。神告魔法、そういえばそんなモノもありましたね。“神頼み”ということをしないので、あまり関わりはありませんでしたが――それがあの魔物たちの弱点になっていると」


 “魔神”たちが迫っている中、何故か丹念にアリューゼの身体を嘗め回すように観察するニハル。そしてしばらくして頷くと、『わかりました。ありがとうございます』と何やら納得したように杖先を“魔神”へと向けた。


「――っ!」


 十数個の小さな魔法陣が一斉に浮かび上がった。爆破魔法に比べて、とても小さいものだったが、撃ち出された光弾は真っ直ぐに“魔神”へと飛んでいき、その右半身を跡形も無く吹き飛ばした。


 先ほどまでとは雰囲気が変わったニハルに、クロエ達は息を呑む。


 浮かんでいる魔法陣は、彼女たちが今まで見たどの魔法陣よりも複雑なものだったが、そこから発せられる太陽のような魔法光だけは見覚えがあった。


「私の魔法と同じ……?」


 ニハルの背中は杖先から灯る光によって、強く影が落ちていた。


「このボクにかかれば、。まずは目の前のこいつらを倒すとしましょう。じゃないと、地下に向かうことなんて出来ませんからね」


「じゃあ――」

「ボクも……いっしょに行きますよっ……!」


 振り向くことなく、前だけしっかりと見据えたまま叫ぶように声を上げる。


「怖くないわけがない……でも――!」


 それは、ニハルの数年前の記憶。

 今となっては、ほとんど薄れて消えかかっている、


 学園に入学したばかりで、弱々しかった時期。今のような《監督生》ではなく、一般生徒として定理魔法科マギサの授業に出ていた頃、先輩の一人にやたらと絡まれていたような思い出がずっとあった。その生徒の容姿、声はまったく思い出せないけれども、ただそこにあった“憧れ”だけは、胸に強く刻まれていた。


『後輩だってできるだろうし、恰好良い先輩になっていることを期待してるからな』


 強くなりたい。あの“先輩”みたいに。

 誰からも頼られるような、そんな“先輩”に――


『えぇ、なってみせますとも! 学園一の恰好良い先輩に!』


 だからこそ、自身の成長のために学園を一度出て修行を積んだのだ。


「ボクがこの学園で、一番の先輩なんですよ!!! 自分の命惜しさに後輩たちを見捨るなんて……そんなこと……できるわけがないじゃないですかっ!!!」


 一番の先輩、という言葉にクロエが首を傾げるも、今はそんなことは重要ではなかった。『後輩たちに頼られたい』。それこそが皆の“先輩”として、自分がいる意義だと声を張り上げるニハルは、二人の目にとても頼もしく映る。


「いつだって、カッコよくないといけないんですよ!! “先輩”は――!!」


 定理魔法科マギサきっての天才、ニハル・ガナッシュ。

 恐怖による震えを押さえ付けながら、臆病者だった自分との決別を誓う。


 なりたかった自分になるために。


 再び湧き始めた“魔神”を前に、かかってこいと言わんばかりに杖を大きく振った。

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