第四百二話 【ニハルⅠ 臆病な天才】

 ――ニハルは【黄金の夜明け】の部屋の中で眠りこけていた。


 時間も時間のため、周囲に他の生徒はいない。先輩であるニハルを置いて、みんな寮に帰っている。


 テイルの同級生であるキリカ・ミーズィたちが卒業した後も、どんどんと後輩たちは入ってきていた。監督生として、後輩の指導に力を入れようと常に奮起していたニハルだったが、いつだって後輩たちが優秀すぎるが故に空回りしてしまって。


 監督生である自身を置いて、優秀な先輩が優秀な後輩を指導し、その後輩たちが成長したらまた新たな後輩たちを指導する。魔法使いとしての実力は折り紙付き故に尊敬はされているものの、それでは物足りないのがニハルだった。


 もっと“先輩として”尊敬されたい。頼られたい。


 どうにかして後輩たちに頼られないものかと、あれやこれやと考えて。そうしているうちに日は落ち、自然と眠気に襲われてしまって。気がつけば、椅子に座ったまま眠りに就いていたのだった。


 キィィ……。


 扉が、小さく開く。

 気づかれないよう静かに侵入してきたのは一匹の妖精である。


 ローザによって命じられ、学園内に残っている生徒がいないか探し回った末にたどり着いたのがここだった。ニハルの姿を見つけ、周囲に他の生徒がいないかを確認し、そしてゆっくりと眠っている彼に近づいていく。


 生徒を発見した旨を主であるローザに報告。

 ニハルの側で待機してその時を待つ。


「…………」


 物音一つ立たない中、ただただ時間が流れていく。

 そんな状態でも、妖精たちは不満を持ったりはしない。

 ひたすらにローザからの“合図”を待つ。


 完全な信頼関係を結んだ術師と妖精はもはや一心同体。

 図書室の妖精たちは、ローザの手足と言っても過言ではない。


「――――!」


 そうして、ようやく来た“合図”にすぐさま反応する。ローザの魔力を呼び水に、妖精魔法の真髄ともいえる複雑な魔法陣を展開していく。


 不運にも学園に残ってしまったニハルを、“魔神”からの被害に合わないよう、図書室へと転移させて、事が終わるまでの安全を確保する。そのはずだったのだが――


「うぅみゅ……まりょくのけはい……? ――はっ!!」


 何を思ったのか飛び起きたニハル。

 状況の確認もできないままに、咄嗟とっさに発動したのは妨害魔法だった。


「僕の寝込みを襲おうとは、なにやつ……!?」


 ニハルの足元に浮かび上がっていた大きな魔法陣だったが、出てきた植物のツタは一瞬で引っ込んでしまい、そこから先はうんともすんとも言わない。魔法の発動が完全に遮られてしまった。


 突然の状況に困惑したのは妖精の方である。


 ローザの言う通りにしたものの、予想外の反応により任務は失敗。そもそも、ローザ(妖精)の魔法を妨害するなどと、一般生徒が出来ていいことではない。想定していなかった事態に、慌ててローザの元へと戻る決断をした。


『ぴゅーっ』と擬音が鳴らんばかりの勢いで、入るときに開いた扉の隙間から【黄金の夜明け】から飛び出してしまう。


「……妖精? なんで? イタズラですかね……?」


 それにしては複雑な魔法陣だったように思えた。一瞬しか見えなかったものの、その陣の描き方により“目的”はなんとなく理解はできる。という芸当も、一般生徒じゃ出来ない芸当なのだが本人は自覚していない。


「あの魔法陣は……転移魔法? だからなんで? あれだけの魔法を妖精単体が行うとは思えないですし……ローザ先生の妖精だと考えると……ふむ」


 さっぱり分からない。


『いったいなんだったんですか……』とため息を吐くニハル。今から寮に戻るのも面倒だし、硬い椅子では不満は残るものの寝直すしかないと思ったが、今度は何やら振動を感じるではないか。


 今度は何事か、と怒りをあらわにしようとした瞬間――


「――ぎぃええぇぇぇぇぇ!?」


 ボゴンッと地面を突き破って乱入してきた化け物――“魔神”の姿に心臓が飛び出そうになるニハル。眠気など、一瞬で吹き飛んでしまって。


 先ほど妖精に魔法を使われた時とは比較にならないほどの速さで杖を引っ掴み、攻撃魔法を発動していた。それはもう、ニハル史上最速と言っていいほど。魔法陣が魔力で満ちるのは一瞬で、変換されたエネルギーが生み出した盛大な爆発は、轟音と共に背後にあった石造りの壁ごと“魔神”を吹き飛ばす。


「――!? …………。……!?!?」


 びっくり箱さながらの驚かされ方をしたニハルの心臓は、まだバクバクと強く跳ねていた。先ほどの妖精が報復にこんなことをしたのか? いいや、普通に考えてそんなわけはない。ただ、この状況が普通だとは到底思えない。持ち前の超頭脳で考えるも答えは出ない。


 しかしながら、ニハルがゆっくりと思考を巡らせる暇はなかった。


 兎の亜人デミグランデ特有の鋭い聴覚は、学園の各所から起こる様々な音を拾い上げる。小さな地響きや、壁の崩れる音、それらの原因となっているものなど今のニハルには想像に難くない。


「なんでっ!? 取り残されちゃった!? どうしてぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 寝ぼけて妖精の魔法を妨害したニハルの自業自得だった。頭を抱えて嘆くも、脳の片隅では『今すぐここから逃げろ』という警告が発せられている。目指すは――ローザがいるであろう図書室だ。


「痛いのも怖いのも勘弁してくださいよォォォ!!」


 思い出すのは、数年前の“事件”のこと。


 先程と同じような、異様な魔力をまとった凶暴な魔物が、学園に現れて生徒を襲った事件だ。幸いにも死者は出なかったが、命の危険を感じた生徒もいただろう。


 ただの“魔神”相手ならば先程のように圧倒することはできたが、“魔神化”したグレナカートの強さは桁違いだった。咄嗟に防御魔法を使ったが、決して浅くはない傷を受けたニハルは、心にも大きな心的外傷トラウマを植え付けられているのである。


「に、逃げ……早く逃げないと……」


 急いで廊下へと飛び出したニハルだったが――


「――――っ」


 その耳は、小さな悲鳴を中庭の方から拾い上げたのだった。

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