第四百話 【アリューゼ 聖なる力】

 あれだけクロエが傷つけるのに苦労した“魔人”の肉体を、まるでバターのように刃が切り裂いていく。刃先から柄までが激しく発光しており、地下であるはずなのに真昼間かと錯覚するほどに辺りが照らされた。


「クロエちゃん……!! 大丈夫ですかっ!?」


 クロエのピンチを救ったのは、彼女と同じ《特待生》であり、彼女の親友。

 黒い翼を持った天使――アリューゼ・ラビスだった。


「神よ――」


 祈りに合わせ、アリューゼの全身から薄っすらと紋様が浮かび上がる。


 神告魔法師ディーヴァ。教会で様々な儀式を経て魔法式を身体に刻み込み、祈りによって魔法を行使する魔法使い。しかしながら、その能力を生まれながらにして身に付けている種族がいた。


 “神”の御力を宿す者、《寵愛者アンジール》と呼ばれる彼女たちには外見に大きな特徴がある。天使を想起させる白い翼。しかしながら、彼女に限ってはそれは黒く染まっている。


 過去に心無い者によって塗りつぶされてしまったその翼であっても、彼女の力を損なうことは無かった。


 定理魔法よりも遥かに複雑で。妖精魔法より遥かに高位で。信仰する“神”によって、体系が大きく変わってしまう魔法であるが故に、魔法学院であるパンドラ・ガーデンには科が存在しない。


 形式上では定理魔法師マギサとして学園に所属していた彼女だったが――この本来持っていた退魔の力こそが、“魔神”に対して絶大な効果を持っていた。


 優れた剣術を持ってはいたが、魔法使いとしては目立った力も持っておらず、学園の中ではその実力を過小評価されがちだったアリューゼ。


 数年前の“魔神”騒ぎによる被害は、学園がところどころ破壊されたぐらいで後遺症が残るほどに大きな怪我を負う者も、死者もいなかった。その程度に抑えられたのは、アリューゼという存在があったからと言っても過言ではない。


 そんな彼女が、クロエを助けに来たのである。


(この感触……あの時の魔物と同じ――!)


 一撃を入れたその瞬間に、相対する“敵”の性質を感じ取ったアリューゼ。その剣を握る手にも力がこもった。


 片腕を失うも痛みにひるんだ様子も見せずに、標的をクロエから彼女に変えて飛び掛かってきた“魔神”に対して、冷静に対処していく。相手の見た目から脅威となる攻撃がどういったものかを予測し、回避するか受けるか、受けるにしてもどのように受けるかの判断が一瞬で行う。


 残っていた腕が彼女を掴もうと伸ばされるが、華麗に避けられ、その手の内には羽根の一枚も残ることはなく。次の瞬間、叩き下ろすようにして振るわれた刃が、その五指を綺麗に切り落としていた。


 そのまま切り上げと同時に、足に力を込めて前に出るアリューゼ。胸の辺りから肩口までをバッサリと一閃し――切り離された上部が、ぐらりとズレていく。


 勝負は一瞬でついた。


 広げていた翼を折りたたみながら、アリューゼは剣を鞘に戻す。傷一つ付けられることなく、見事“魔神”を倒したが、その表情は今にも泣き出しそうだった。


「いつまで経っても戻ってこないから……私もう、心配で心配で……!」

「……ごめん。でも、今は急がないといけないの」


 クロエは、しゅうしゅうと魔素を撒き散らしながら消えていく“魔神”の死体を見下ろしながら言った。立ち止まったまま説明する時間も惜しいと、アリューゼの手を引いて走り始める。


「あの、クロエちゃん。あれって……」


『あの時の』と言葉にせずとも、視線を交わしただけでお互いの考えを理解して頷く。地上を目指して走りながら、クロエは学園の地下深くで見たものについて話した。


 ――――。


「――そうだ。アリューゼ、妖精見なかった? 炎の妖精なんだけど」

「妖精……? 見ましたよ、ここまで降りてくる前に」


 地上に向かって急いで飛んでいく妖精と、アリューゼはすれ違っていた。クロエの話から、図書室に向かった理由を聞いて、なるほど、と納得する。すれ違ってから経過した時間を考えれば、既に地上に出ていてもおかしくない。


『今からでもその人を助けに言った方が――』とアリューゼが提案するも、頼まれた本人であるクロエは首を縦に振らない。


「……ううん。万が一ってこともあるし、ローザ先生の所に着いたか確認しないと」

「でも……――っ。……クロエちゃん!」


 二人の前方には“魔神”がいた。――が、その様子からは先回りして待ち構えていた、とは少し違うようだった。


「襲われてる……!?」


 クロエたちのいる方とは別の何かへ向けて腕を振り回している。被害にあっている生徒がいる、と血の気が引いたクロエだったが――その視線の先には、どれだけ目を凝らしてもその影はなく。近づいたところで、何やら小さいものがひらりひらりと飛び回っているのが見えた。


「あれは……妖精……!?」

「炎の――じゃないけど、どうしてここに……?」


 なんとか逃げ続けてはいるが、既に何度か攻撃を受けているのか、ボロボロの様子。このまま見捨てることなんて出来なかった。怒りを抑えながらクロエは手持ちの《親衛隊》をすべて展開し、アリューゼは祈りを込めて剣に魔力を付与する。


 動きは見た目に反して俊敏なようだった。――が、完全に不意打ちとなる形で仕掛けることが出来た。数の利はクロエたちが圧倒的に有利。“魔神”が態勢を整える前にゴゥレムで取り囲み、動きを引き付ける。そこからは、懐に飛び込んだアリューゼが気合の入った一撃で一刀両断にした。


「なんで私達よりも上の層に……さっきは影も形もなかったのに……!」

「地中を移動してるのよ。……早くしないと、もう地上に出ている奴もいるかもしれない」


 負傷により弱り地面に落ちていた妖精を、静かに拾い上げるクロエ。やはり、ヴァレリアに預けられた炎の妖精ではなかった。となると、真っ先に浮かび上がった候補はローザの妖精だ。


「やっぱり。どちらにせよ、図書室に行かないといけないみたいね」


 そのまま“魔神”と出会うことなく階段を3つほど上り、ようやく見えてきた地上に繋がる扉。恐る恐るといった様子で、クロエはそれを引き開く。何かあったときは、すぐさま反応できるように、とアリューゼを待機させて。


 …………。


 “裏側”からの出口は中庭に面した廊下に繋がっており、学園の様子が一望できた。あたりで“魔神”が闊歩している様子はない。ヴァレリアを追って地下へと降りる前と変わらない静かな夜のままだった。


「よかった……」


 音を立てないよう慎重に扉をくぐり、ほっと一息ついた二人だったが――


「……っ、クロエちゃんっ!」


 足元に突如浮かび上がった魔法陣。

 周囲には“魔神”の影どころか、生徒や教師といった魔法使いの姿もない。


 あまりに突然のことに、回避することすら忘れていた二人を中心に、魔法陣の端から植物のツタが生え出てきたのだった。

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