第三百九十八話 『――ここから先は、定理魔法師の私だ』
「何が起きているんだ……?」
不吉な音は依然として鳴り続けていた。始めは断続的だったものが、だんだんと間隔も短くなっていく。それは紛れもなく、目の前に浮かんでいる“門”から発せられているものだった。
これまでとは全く違った変化。
少なくとも――これが“良い兆候”であるとは到底思えなかった。
音だけじゃない、ヒビ割れは少しずつ大きくなっていき、それと同時にこれまで見ることのなかった“ブレ”が生じている。心なしか、全体的に薄くなってきてもいるだろうか?
これはどういうことなのだろう。
“門”に異変が起きているのは間違いない。
『今の“門”は、この世界とはズレた位置にある』とヨシュアは言っていた。こちらの世界からは干渉することができなくなっていると。故に、“向こう側”から漏れ出てくる現象を止めることはできないし、“門”が消えるのをひたすらに待ち続けるしかないのだ、と。
もし――もし、このまま“門”が消えるのだとしたら。
私が開放されるときが来る……?
「頼む……このまま消えてくれ……!」
固唾を呑んで行く末を見守る。その時がようやく来たと、希望を抱いた。――だが、私の望み通りに事が運んだことなど、今まであっただろうか。
……現実は非情だ。
パリィンッ、と妙に甲高い音が鳴る。
“臨界点”に達していたのは、門の維持の方ではなかった。
これはマズい。直感でそう思った。最悪だ……!
ここまでの状態になってしまっては、もう“漏れ出てくる”なんて規模じゃなくなる。“魔神”が自由に来訪し放題の勝手口ができてしまったようなものだ。
『あ……』と、ただただ呆然と声を上げるしかできない。
更に最悪なことに――そんな私の背後で、ゆっくりと重たい扉が開く音がした。
「――――っ!?」
驚いて振り向き、全身に怖気が
その時だけは、時間がゆっくりと流れているような感覚だった。
私の視線の先には、つい先刻、見たばかりの姿があったから。
(クロエ……どうしてここに……!?)
偶然に辿り着いたのか? そんな馬鹿なっ!
「――逃げろっ!!!」
私がそう叫ぶのと、“門”から濃い魔素が溢れ出すのは同時だった。
4体、5体――そんなもんじゃない。軽く10を超える数の小型の“魔神”が飛び出してきた。“門”を自力でこじ開けるだけの力は持っていない雑魚だろう。
今はこの場にはクロエがいる。
……どうすればいい?
頭の中で、様々な思考がぐるぐると綯い交ぜになって。取るべき選択肢が次から次へと浮かんでくる。このままでは“魔神”が学園内部に侵入してしまう。ここで“門”から溢れ続けるであろう“魔神”を全部倒すことができるか? そんなことは無理だろう。それに何より――最優先でクロエをここから逃さないと。
私がここでできる最善はなんだ……?
“魔神”が私だけを狙っていたのなら面倒が減ってよかったのだが。一番近くにいた私だけではなく、私を無視して視界に入ったクロエの方へと向かう“魔神”もいた。当然、見過ごせるわけがないだろうが。
「散れぇっ!!」
羽虫同然と言わんばかりに、業火を吹き上がらせて焼き尽くした。
これで少しばかりの時間が稼げるか……。
恐らくは、ミルクレープとの記憶も消え、これが“門”について初めての記憶となっているに違いない。未だに唖然としている様子で、動きだす気配がない。
今のアイツらを見ただろう。この状態ではまだ雑魚ばかりかもしれないが、そのうち私の手に負えない奴も出てくる。お前なんかが敵う相手じゃないんだ。早く。早くここから逃げてくれ。
しかし、そう言って伝わるとは思えない。
それどころか、何を思ったのかゆらりと構え始めたではないか。
……この状況で? まさか、私に加勢するつもりなのか?
《特待生》をまとめる立場として、だけではないだろう。元々、誰かに対して優しくあれる子だった。だから――見ず知らずの私を助けようとしても不思議ではない。
ギリッと奥歯を噛み締める。
――それだけは、させるわけにはいかないだろ……!
「クロエッ!!!」
知り合いでもない私に、突然に名前を呼ばれ――クロエはビクリと身体を震わせる。信じられないという表情をしてはいても、未だに逃げる気配はない。その
……そうなると、この方法しかないか。
「こいつをローザの元に連れて行ってくれ! このままだと学園に被害が
私の半身といえる妖精をクロエのもとに行かせた。ローザなら妖精との意思疎通も問題ないし、この時間でも起きていたはずだ。なんとかローザに今の状況を伝えることさえできれば、きっと対応してくれるに違いない。
「行けぇっ!!」
「――――っ」
まだ
…………。
私は誰の記憶に残ることもできない。クロエがローザの元へと辿り着く可能性はそう高くはない。最悪、妖精だけでも目的は達成され、最悪の事態は免れるとは思うが――クロエには最後まで無事にいてほしい。
“門”から溢れ出る魔素が収まる気配はない。
きっと数十分後には、“魔神”たちを抑えきれなくなるだろう。せめてそうなるまでに、ローザを始めとした教師陣が対処してくれることを祈るしかない。
私がこの場でできるのは、その時が来るまで時間を稼ぎ続けることだけ。
「……さぁて。
他の
「――ここから先は、
不思議なことに、こちらから“門”の向こう側を覗くことはできない。あちらはどうなっているのだろう。この“門”の構造は。前々から思っていたのだが、並んで順番待ちしていたわけじゃないよな?
次に“門”から現れたのは、私の倍ほどの身長がある人型の“魔神”。
両腕がまるでイガ栗のように棘に覆われていた。
私だって学園にいる間、ただ待つばかりの生活を送ってきたわけじゃないぞ。
テイルたちが頑張って学んでいる姿を見て、日々の糧にしていた。私だって成長しなければ、と己を奮い立たせていた。様々なものを失ってばかりだった過去の自分と、今の自分は違うのだ。
声を上げるでもなく飛びかかってくる“魔神”。その頭上に一瞬で魔法陣を展開する。これまでは意識すると同時に発動していた魔法も、魔法陣を空中に浮かび上がらせ、そして発動するという一瞬の遅れが生じてしまう。が、これぐらいなら許容範囲だろう。
使った魔法は、とんと使うこともなかった風の魔法。そこから吹き付ける風の圧が、“魔神”を地面に叩きつけた。テイルが一年生のときに学生大会で戦った相手は重力魔法を使っていたが、使い方次第で同じようなことはできる。
「
ドンッ、という衝撃と共に、地面に軽くヒビが入る。動が一瞬でも止まればこちらのもの。魔力の乗った一撃を叩き込んでやったのだ。
「さぁ――次はどいつだ?」
散り散りに分解され、魔素へと溶けていく死体を足蹴にして、次に出てくる“魔神”を待つ。少しでも生徒たちへの被害を抑えるためにも、私がここから逃げ出すわけにはいかない。
「来いよ。皆殺しにしてやる……!」
きっと、これが最後の戦いになるだろう。
根拠はなくとも――どこか確信があった。
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