幕間 ~テイル 里帰り~
いつかは足を運ばないと、と思って約一年。
学園にいたときに比べれば、自分だって成長しているはずだ。
あんまり自画自賛もできないけれども、そこは自信を持っていいとリーヴ王からもイリス王妃からも太鼓判を押された。ミル姐さんも口には出してくれないが、一人前と認めてくれているのはひしひしと感じていた。
だから――今なら、大丈夫。
夜闇が広がり、暗い暗い
ガーメントという都市のすぐそばに広がっている大森林。
そこが自分の故郷だった。
大森林とまでいうのだから、それはもう膨大な土地に広がっており、その中で様々な種族が散らばって暮らしていた。その殆どが
文化から隔絶した生活を強いられはしているものの、自然は豊かで生活していく上ではそう不便もない。外敵もそう簡単には入ってこられない以上、安寧の地となっているのだ。
――その中で、
幼い頃の自分では理解できなかったが、今ならその存在の意味を少しは分かる。
この里帰りに一つ問題があるとすれば――その一族がヒト族以外に敵意を持っている唯一の存在が自分だということぐらいだろうか。
――――。
「テイルっ……! テメェ、どのツラ下げて帰ってきた……!」
父とは違い、兄たちは縄張りの中の動きには、特に敏感だった。
森の中に足を踏み入れて十数分、そろそろかと思った矢先に2つの人影。
一番上の兄であるアスト・ブロンクスと――
自分すぐ上の兄であるエクター・ブロンクスだった。
自分は四人兄弟の末っ子、次男であるエイシッド兄さんは来ていないらしい。
「別に……兄さんたちに用があるわけじゃない。母さんに顔を見せに来たんだ」
『それぐらい、別にいいだろ?』と尋ねただけで、エクター兄さんの目つきが険しいものに変わっていく。……こうしてタメ口で話したことなんて、殆ど無かったからな。ただでさえボロボロに返り討ちした過去が二度ほどあるため、完全に敵として認識されているのは間違いなかった。
「お前……本当にテイルなのか……?」
対して、アスト兄さんの方は少しだけ驚いた様子を見せていた。そりゃあまぁ、エクター兄さん以外は、暴力に怯えビクビクと隅で身体を縮こませていることしか出来なかった自分しか知らないからだ。
「…………」
返事はせず、小さく頷いた。
そんな落ち着いた様子が
「おい! 今までお前が無事でいられたのは、親父が『放っておけ』と言ったからなんだぜ? だがこうしてノコノコと現れた以上は、無視をするわけにはいかねぇ。お前はもう、この家とは関係のない“外敵”なんだからなぁ!」
――警告だった。
ここで素直に
「……敵意はない、分かるだろ? ちょっと挨拶したら、直ぐに帰るからさ」
一歩、足を踏み出す。
「一度や二度、たまたま運よく俺に勝てたぐらいで偉そうにしやがって……! 元々どっちが上だったのか、すっかり忘れちまったようだなぁ! 通さねぇって言ってんだよ!!」
「エクター……!」
眼の前に立ち塞がり、ナイフを抜くエクター。
「……どけよ」
「――っ! 調子に乗ってんじゃねぇ――!!」
――勝負は一瞬だった。
数年前、自分を追ってきたエクターをなんとか返り討ちにしてやったものの、それは辛勝という他にないほどに自分もボロボロになっていた。だからこそ、今回もそう簡単には負けないと踏んでいたのだろう。だが――
自分はもう、あの時の弱かった頃とは全く違う。
「――――っ」
「い、いつの間に……」
エクターの首筋に添わせた刃が、きらりと月の光を反射させる。完全に自分が背後を取っていた。音も無く、気配も無い。既に自分と兄たちとでは立っているステージが違うのだ。単純な速度とは別の領域にいる自分を、止められるはずもなかった。
「……所詮あんたらは“影”止まりさ。俺は違う……もう“影”なんかじゃない」
――兄たちを超えた。それを今、実感することができた。
しかし……この人はどうだろうか。
「……開放してやれ」
「父さん……」
自分の背後にある木々の間から、父であるアジート・ブロンクスが姿を現した。
かつて見ていた父親の背中。
今の自分の能力は、この人に届くところまで来れたのだろうか。
「…………」
エクターを開放して、父さんと向かい合う形で対峙する。
向こうは腕組みをしているが、一瞬たりとも気を抜くことはできない。
……試すのか? 今、ここで? ……いや、それは無謀すぎる。向こうから仕掛けてきたのならともかく、自分からだなんてあり得ない。
下手に動けば死に直結する。兄たちとは比べ物にならないプレッシャーに、冷や汗が頬を伝っていく。しばらく、黙ったままでいたが――先に口を開いたのは父の方だった。
「通してやれ。構うんじゃない」
それは、兄たちに対して向けられたものだった。
「復讐に来たわけではないのなら、拒む理由もない。
――――。
「……母さん」
「テイル――!」
4年振りに帰った実家には、母親の姿しかなかった。エイシッド兄さんは出ているのだろうか。他の者の目も無いためか、母は驚いたような顔をして立ち上がると――駆け寄ってきて、自分を抱きしめた。
母さんは昔から線が細く、力も無かった。そうでなくとも、一族は男尊女卑で成り立っている。家での決定権など持っておらず、か弱い存在だったのだ。
どれだけ力を込めて抱きしめられようと、ちっとも痛くない。胸元に強く、強く押し付けられても、なされるがままにしていた。
「あの時、突然に事故で死んだなんて言われて、とても信じられなかった。森の中をどれだけ探しても、ちっとも見つからなくて……それでだいぶ後に生きていると聞かされてビックリしたのよ。手紙の一つも無いし、ずっと……心配していたんだから」
『今まで何をしていたの』
『食事は? 寝る所はどうしていたの?』
『本当に身体は大丈夫なの?』
――と、次々に質問してくる。
「……俺、この家から逃げたかったんだ。身体も弱かったし、考え方も全く違っていたし……とてもじゃないけど、一族の者として生きていく自信がなかった」
……厳しい父親や、意地悪な兄たちとは違って、母親はとても優しかった。手当たり次第になんでも恨んでいた幼少期であっても、母親だけは例外だった。この家に生まれてきたことは今でも不幸だったと思っているけど、母さんには罪はない。
「母さんに、せめて一度だけでも顔を見せようと思ってた」
「私だって、ずっと顔を見たかったわ」
自分の中では、前世の母親が“本当の母さん”ではあるけど――この世界での母親も、紛れもない俺の母さんだ。
「心配してくれてありがとう、母さん」
「……いいのよ。元気でいてくれれば、それで」
またここで一緒に暮らすのかと尋ねられたが、それはきっぱりと断っておいた。ここに来たのは、幼少期までの人生と決別するためであったし、何より兄たちが許さないだろうから。
「……
「学園で出会った人たちのおかげだよ」
先生。先輩。同級生。
みんながいなかったら、今の自分はいなかっただろう。
これが自分の望んだ形なのかは分からないけれど、少なくとも満足はしている。
「じゃあな、母さん」
――最後に、もう一度ハグをして家を出た。
「……これから、どうするつもりだ」
「さぁ……」
背後から、声がした。
父親の声に敵意はなく、だからこそ振り向かずに答える。
「――でも、一つだけはっきりした。“やりたくないこと”が分かった分、これから“どう生きるか”を決めていくことにする。……俺は、この世界には戻らない」
「……そうか。家を出たお前を止めはしない。好きに生きるがいい」
『――大きくなったな』
最後に呟かれたその言葉だけは、聞こえない振りをして。
深い深い森の中に飛び込み、別れを告げた。
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