おまけ “打ち手”と、“駒”と、
「さて……」
テーブルの上に置かれた物体を見下ろし、ヨシュアが呟く。
ガラス張りの箱――とはいっても四角ではない。その形はおおよそ六角柱のものとなっており、それが鳥かごのように土台に吊るされている。これもヨシュアの所有する魔法具のうちの一つだった。
バグとはいっても、忌むべきものではない。
むしろ、ヨシュアはそれを優先的に蒐集していたのだった。
室内の照明を反射して怪しく煌めくそれは、鳥かごのように、と称されるからには、その用途も鳥かごに近い。つまりは、生き物を中に閉じ込めておくのが役目なのである。
「僕を……どうするつもりだ?」
鏡晶籠の中に閉じ込められている鳥――ではなく、ヤーンが声を発した。鏡晶籠の大きさ自体は人の両手に乗る程度、ヤーンの身体の方がアーティファクトの力によって小さくなっている。
ヤーン・ライルズ。【真実の羽】に所属していた研究生であり、かつて学園にいたフェイル・フォンテルマンを慕っていた魂使魔法科の生徒。
今では人の身体を捨てて魔物となったこの男は、ヴァレリアを取り巻く“魔界”の問題についての情報を持っていた。それは――ヨシュアたち――少なくとも、ヴァレリアにとっては非常に重要な意味を持っている。
「それを、今から決めるのですよ」
そう言いながら、己の処遇を待つヤーンからヨシュアは視線を外す。彼の興味はすでに、問題を起こした生徒ではなく、その者が所有していた魔導書に移っていた。
神とはいえども、この世の全てを知っているわけではない。
ヒトの考えや営み、残したものの一つ一つを覗くことはできない。
しかしながら、その能力は遥かに人を凌駕している。地上の生物風情が残したものなど、ただパラパラと流し見しただけで把握できてしまう。
「なるほど、これが“魔界”に繋がるための魔導書。……ふむ、理解しました。これがあることで、随分と動かしやすくなりますね」
含みのあることを、誰に聞かせるつもりでもなく呟きながらパチンと指を鳴らす。
膨大な魔力。大がかりな儀式。
それら全てを無視して、彼の目の前の空間に亀裂が生まれた。
その光景を目の当たりにして、ヤーンは驚愕する。
「あなたがこれを持っていてくれて助かりました。それでは――」
これまで学園の最奥で、定期的に開いていた“門”の簡易版ながらも、ヨシュアは満足そうにゆっくりと頷く。持っていた魔導書を閉じ、テーブルの上に置いてから、静かにヨシュアに告げる。
「――処分に移りましょう。君にはこの世から消えてもらいます」
「……なんだって?」
自分は元生徒であり、相手は学園長。学園に残ることはできないのは覚悟しており、いつ退学処分を下されても納得して出ていくつもりだった。
しかし、告げられたのは学園という場ではありえない言葉だった。
それもまさか、学園長から告げられたのだ。絶対の命令として。
ヨシュアは『この世から消えてもらう』と言った。それは、『死ね』とヤーンが受け取るのも当然のことで。見上げた先にあるその表情には、いっさいの冗談といった気配もなく、焦りを生み始めていた。
アルル・ルードを始め【知識の樹】の面々もこの件を知っている。だから、自分を殺すわけがない。学園の中で誰かを殺すなんて。それも教師が、生徒をだ。常識で考えれば有り得ない。
そんな考えすらも吹き飛ばしかねないほどに、ヨシュアから発せられる声音は冷たいものだった。
「ま、待て――!」
「安心してください、殺しはしませんよ。私は生徒には優しいですから。なにより、死体を片付けるのは面倒なんですよ」
「運が良ければ生き残ることもできるのではないでしょうか。憧れていた“魔界”の空気を好きなだけ味わってください」
脱出を試みるも中からは魔法の類が一切使えず、かといって力づくでも割れる気配は一切ない。ヨシュアは鏡晶籠をゆっくりと逆さまになるよう傾けた。
そして鏡晶籠の蓋を開き、“魔界”へと繋がる時空の裂け目に寄せていく。
恐怖に慄くヤーンの言葉はヨシュアの耳には届かない。
表情一つ変えることなく、からからと鏡晶籠を傾けていく。内壁にしがみつくヤーンを見下ろす視線は、虫に向ける“それ”と同じだった。
「役目を終えた“駒”は、盤上に残っていてもらっても困りますから」
そうして、ほどなくヤーンにも限界が訪れる。力尽き、自身の身体を支えていた手が、ガラスの内壁から離れた。重力に引かれて落ちていくその先は、別の世界へと繋がる“穴”。もはや――逃れることは叶わない。
空になった鏡晶籠をゆっくりとテーブルに戻す一連の動きの中で、ヨシュアの表情は微塵も変わることがなかった。まるで仮面のように、温和な表情が張り付いたまま。
最後に、無言でパチンと指を鳴らし、“門”を閉じたのを最後に――
しんと静まり返った空気が、学園長室の中に残っただけだった。
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