第三百九十四話 『一年なんてあっという間だぞ』

 あれから数日が経って――


 学園の中で“糸”を見かけることはなくなり、何事もなかったかのように日常が戻って来た。私の身体から常に吸い上げられていた魔力もすっかりと止まって、何もかもが元通り。


「あーあー。やっと調子が戻って来た」


 とはいえ、あくまで“戻って来た”どまりであって。テイルを守ったりヤーンを吹き飛ばすため、あれやこれやと魔法を使ったということもあり、まだまだ本調子とはいかない。


 ウィルベルの薬を飲めば、魔力もあっという間に回復するだろうが――今回は“魔神”との戦いで消耗したわけでもない。あまりがぶがぶと飲んでも、身体に負担がかかると学園長に注意されたこともあって、ここぞというとき以外には控えていた。


 それに、いつ怪しまれて薬棚の管理が厳しくなるやも、という問題もある。体力に余裕があり、時間もたっぷりとあるのなら、ゆっくりと回復していけばいい。後輩たちの元気な顔さえ見られれば、自ずと活力も湧いてくるというもの。


「すっきり目が覚めたよ。皆の衆、おはよう!」

「お、おはよう……ございます」


 …………。

 ……元気がないな?


 溌剌はつらつとした私の挨拶とは逆に、テイルの覇気のない返事が返ってくる。その表情は浮かなく、やはり数日前の事件のことを引きずっているのだろうか。


 捕らえられていた生徒も全員無事解放されたらしいし、怪我人も一人を除いていない。ただ、無事に解決したとはいっても、犯人はこれまで関わりのあった生徒だったのだ。少なからずもショックを受けてしまうのも仕方のないことだろう。


 ……そりゃあ、私のその時の態度も良いものとはいえなかった。もしかしたら、少し怖がらせてしまったかもしれない。だから不自然なまでに明るく振る舞ってみたのだけれど――


「先輩! あの時は助けてくれて、本当にありがとうございましたっ!」

「いーのいーの。後輩を助けるのは先輩の義務だしさぁ。あっはっは!」


 私の顔を見つけるなり、勢いよく頭を下げて礼を言うヒューゴ。真っ直ぐさと明るさはいつもと変わらず。こういう所は長所なのだと思う。


 アリエスとハナも少なくとも表面上は、いつもの日常を楽しんでいるようだった。ハナはソファに座って落ち着いた様子で本を読み、アリエスがそこに後ろから覗き込む形で仲が良い。


 テイルはテイルで、先ほどと変わらず小難しいような表情をしていたが、部屋の隅の方に座り込んで武器の手入れを始めていた。いつも通りといえばいつも通りだ。


「えーっと……先輩。あの魔法……教えてもらえねぇっすか」

「あの魔法?」


「あー……先輩が廊下で糸を焼いたやつです」


 なるほど、ヒューゴが【真実の羽根】で失敗していた魔法か。なんとか対象を焼くことはできていたが、使う度に仲間の毛まで焼いてちゃ世話ないものな。


 ……残るのは、なにも心の傷だけじゃない。

 次への成長の糧にする者だっているのだ。


「おーおー、いいぞ。まずは燃やしたい対象だけを指定してだなぁ……」

「あの! ここじゃなくて“下”でやってくれませんかね!!」


 魔法陣を空中に出すとすぐさま注意の声が飛んでくる。

 ……うん、いつも通りだな!






 そして日も沈み始め、後輩たちは寮へと帰っていく。


 体調は戻り始めたとはいえ、まだ病み上がりの範疇はんちゅうを出ていない私の身体は休息を欲しがっていた。眠るにはちょっと早い時間だったけれども、これといって片付けるべき用事も無い。


 溜まっていた疲労感に抗うことはせず、即座に眠りに落ちていたのだが――


 ――――。


「ヴァレリア先輩……」


 私を現実へと引き戻す声がした。

 扉の外から、若干の躊躇ためらいの色を含んだ声だ。


 ……テイルだな。一人でまた、何の用事だろうか。


 熟睡とまではいかなかったが、ある程度の深い眠りに入りかけていたため、寝ぼけているような感じが若干していた。頭の中をかき回すようにワシワシと掻きながら、ゆっくりと扉に近づいていく。


 外側からテイルの息遣いが感じられるような気がして、ドアノブに手をかけたところで一呼吸置いた。向こうから、また声がする。


「……俺、聞こえてたんです。先輩が誰かを――先生を殺したって」

「――――」


 あの時のヤーンとのやりとりだった。

 聞こえていたのか。流石は亜人デミグランデの聴覚だな。


 ……あの戦闘の中で、そこまで考えが回っていなかった私の落ち度だ。


「はぁ……」


 どうしたものか。一年生といえど、馬鹿なわけじゃない。

 適当なことを言って誤魔化しても、逆に不安を募らせてしまうことだってある。


 もう観念して、洗いざらい喋ってしまおうか。けれど、それでクロエやミルクレープの時と同じことが起きてしまったら? その時に私は……耐えられるのだろうか。


 どうしても悩んでしまう。こうして沈黙を続けるのだって、良くないとわかっているのに。らしくもなく内心では焦っていた。きっと寝起きだからに違いない。


 ――ええい、なんとかなるだろう。


「うわぁ!?」


 私が勢いよく扉を開くと、思っていたよりも近い位置に立っていたようで、テイルが慌てて飛びのいていた。


「…………」


 午前の時と同じだ。神妙な面持ちでこちらを見ている。

 ……あれは、私のことで悩んでいたんだな。


「……私は殺していない」


 ポツリと一言。これだけは信じて欲しい事実だけを伝えた。

 あまりにいろいろなことを喋ってしまうと、本当に全て話してしまいそうだから。


「は、はぁ……」


「嘘はいていない。それだけは断言する。……まぁ、そうしなければならない時が来てしまったら、迷わず手を汚す覚悟はあるがね」


 ――私には護る義務がある。この学園を、生徒たちを。


 今回の件では相手が半魔物のような状態だったが、大切な後輩であるテイルたちに危険が及ぶのなら、たとえ人であっても殺すだろう。それだけの覚悟はあった。


「それなら、詳しい話も――」

「……が、話せるのはここまでだ。これ以上知りたいのなら――」


 もちろん、これだけで納得はできないだろう。テイルが詳しい話を聞きたがるのも想定の範囲内だ。だが――私が話せるのはここまで。


 私の過去も、今の戦いも、知るにはまだ早すぎる。


 できることなら、知らない方がいいんだ。私の大切な後輩たちが、何も知らずに学園で充実した生活を送り、そして卒業していくことが私の望みなのだから。それでもなお、彼らが知りたいというのなら――


「私より、強くなることだ。それじゃあ、また明日な」


 ――私より強く。せめて、肩を並べられるほどの魔法使いになったら。

 私のせいで犠牲になるのではないか、という心配もないほどに強くなったら。

 その時は、頼ってもいいのかもしれない。


 万が一にもそんな時が来てくれたらと、心臓が跳ねる。そんな時なんて来なくていいと、押さえつけるかのような考えが頭の中を埋め尽くす。二つに分かれた意識が自分の身体の中で争っているような感覚がした。


 ……やめよう。

 テイルたちは大切な後輩なのだから。

 私の期待を背負わせるなんてこと、あってはいけない。


「卒業式が終われば、学園も上がる。二年生になるんだろう。ボーっと過ごしていると、一年なんてあっという間だぞ」


 自分の中に芽生えかけた甘えの感情を誤魔化すかのように、テイルを廊下に追い出すことにした。テイルも時間切れを悟ったのか、しぶしぶながら従ってくれた。


 ――そう。


 私が守り切ることができた生徒たちが、外へと巣立っていく大切な日。

 一年の締めくくりとなる、卒業式の日が近づいてきている。


 こうしてまた、長かった一年が幕を閉じ――

 そうしてまた、長い一年の幕が上がっていく。

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