第三百九十六話 『……やってやるさ』

 ――その場にあった全てが“停止”していた。


 全て。なにもかも。


 中庭の端でパチパチと音を立てていた炎も、噴水から噴き出した水の一滴一滴も、ミルクレープの刃も、身体も、全てが凍ってしまったかのように動かない。もちろん、私の身体もだった。呼吸はできる、眼球も動く、しかし身体をよじろうとしてもビクともせず、指一本動かせなかった。


 ……誰の仕業か? そんなものは決まっている。

 こんなことをやってのける魔法使いは、私の知っている限りでは一人しかいない。


 この“止まった”空間の中であっても、悠々と歩いているのがその証拠だった。


「ヨシュア……!」

「とっくの昔に授業は終わっていますよ。やれやれ、こんなに壊してしまって……」


 悠然ゆうぜんと、したる問題も無かったかのように歩を進める様子は、周りの者たちに“魔法使い”としての格の違いを見せつけているようにも思えた。


 “魔法使い”どころか、“神”なのだから、格が違うのは当たり前。なのだが、その真実を知らない生徒たちからは、さぞかし尊敬の眼差しを送られることだろうな……。


 これ以上は被害が拡大してしまう、という判断もあったのだろうが――この騒ぎでさえも、“学園長”としての立場を強調するために利用しているようにしか思えない。


「ほらほら、次の授業がある生徒もいるでしょう。早く教室に移動しないと、先生方に怒られてしまいますよ」


 …………。

 ヨシュアがそう言うも、この場から離れていく生徒は一人もいない。

 それもそうだろう。この空間は未だに“止まって”いた。


「……そんなこと言って、戻す気ないですよね?」

「いえいえ、すぐに戻しますとも。少しだけ待ってくれるかな」


 怪訝そうに言うテイルに、ヨシュアは『少々、事情がありましてね』と、仮面のような笑みを顔に貼りつけたまま答える。そうしてゆっくりとミルクレープの方へと近づいていくのだが、私のそばを通り過ぎる際に何も言おうとしない。


 この状況で、何か一つぐらいは私に言うことがあるんじゃないのか?


「――おい……! あのミルクレープは――」

「あなたのよく知るミルクレープで、間違いはありませんよ」


 テイルにも聞こえないぐらいに声を抑えてヨシュアを呼び止めようとすると、こちらが言い終わる前に向こうは答えた。同じぐらいに小さい声で、周りに悟らせもしない程度に歩を緩めて。


 それ故に、伝えられた情報もそう多くはなかったが、それでも十分だった。


「ただ――修理の際に、一部の記憶が欠損してしまったようです。工房の方でも手を尽くしていると聞いてはいましたが……残念ながら。学園に来る前の記憶も、学園にいた頃の記憶も、断片的に残っている程度でしょう」


「それは……」


 ――十分すぎるほど、私に衝撃を与えた。


 身動きを封じられていなければ、きっと膝から崩れ落ちていただろう。

 それだけの絶望感が、私を襲っていた。


 冗談だと……言ってくれよ。ミルクレープ……!


 ほんの数秒程度のやり取りだけで、言葉を発することもできなくなった私に視線を向けることなく、ヨシュアは離れていく。目だけでその背中を追うも、視界がどうにもハッキリしない。段々と暗くなっていく。


 そうして、ヨシュアはミルクレープのそばで立ち止まり、にこやかに語り掛ける。


「――おかえり、ミルクレープ。君はいつだって騒がしいですね。どうでしょう、久しぶりの再会なのですから、食堂でゆっくりと話でもしようじゃありませんか」


「…………あぁ。今日はこれぐらいにしとくか」


 ――――。


 ヨシュアが名前を呼んでも、これといって怒りを見せる様子もない。……つまり、ヨシュアのことは憶えているらしい。工房に送られたついでに都合よく記憶を改変されたのでは、と一瞬疑いもしたが見て分かるものでもないし――むしろ目の前にいるのが“普段通り”のミルクレープだと感じてしまっているのが、私の頭の中で更なる混乱を生んでいた。


 パチン、とヨシュアが指が鳴らすと、身体の拘束が解かれる感覚があった。


 流石にその場で倒れるようなことはなかったが、それでもまだ、呆然と立っていることしかできない。中庭の周辺にいた生徒たちは既に興味を失い始め、ヨシュアに言われた通りにそれぞれの棟や寮へと戻っていく。


「なーんだ、学園長の知り合いかぁ……」

「止めるならさっさと止めに来てくれればよかったのによ」


「申し訳ありませんね、みなさん。この件については、後日に全校集会で説明をいたします。――だぁ、もうすぐチャイムも鳴ります。中庭は修繕が済むまでは立ち入り禁止、瓦礫を踏んで怪我をしてもいけませんから」


 しかしながら、私の後輩たちはミルクレープに興味津々のようで。

『君たちも――』というヨシュアの言葉を遮るように、声を上げた。


「サボりまーす。ね、ハナちゃん」

「わ、私は……今日はもう授業がありませんから」

「俺も暇だからな!」


 …………。


 ……ちらりと、ヨシュアがこちらを見た気がした。

 学園長を前に『サボる』と言える胆力は流石だが、別に私由来のものじゃない。


 本来なら、ここでブレーキ役を務めるのはリーダーであるテイルなのだが――


「テイルももちろん――」

「――詳しく! 話を聞きたいです! 俺たちも!」


 ――と、あんな感じで珍しく乗っていく。

 ヨシュアも特に問題とは考えていないようで、承諾していた。


「…………」


 喜ぶ様子を見せながらも、テイルはこちらに視線を送ってくる。あとは、私はどうするのかと窺うような視線だ。だが……私が同席なんて出来るはずがないだろう。向かう先は学園長室ではなく食堂のようだし、これ以上この姿を他の生徒に晒すのもマズい。


 それに……どんな顔をして、私のことを忘れてしまったミルクレープの前に座っていろというのだろうか。それは、あまりにも残酷なことだった。


「……私は【知識の樹】に戻る。少々疲れた。今日はもうお開きだ」

「……え」


「ふむ、無理はしない方がいい。怪我はありませんでしたか?」

「別に、なにも」


 身体に傷は付いちゃいないが、心はズタズタだ。

 今の私の精神状態では、そう口に出すのが精一杯だった。


 ヨシュアに対してどういう感情を向ければいいのかも整理できていない。ミルクレープがこうして帰って来てくれただけでも感謝しなければならないのか。私のことだけを綺麗さっぱりに忘れてしまった怒りをぶつければいいのか。


 グシャグシャになった頭の中じゃ、正しい答えなんて出せるはずもない。

 そもそも、これに正しい答えなんてあるのだろうか?


 ……ただただ、この場を立ち去ることしかできなかった。






「ミルクレープが私のことを忘れるなんてな……」


 緩やかに椅子に腰かけることもなく、ソファに寝そべることもなく、ベッドに潜り込むこともなく。どれも気が進まずに、私はぼんやりと窓際に腰かけていた。


 遥か遠くに夕日が沈んでいく。


 じっと眺めていても動いているようには見えない。しかしながら、こうして眺めているうちに、いつの間にやら遠くの山に触れるほどに太陽が沈んでいるのが不思議だった。


 ――何だってそうだ。

 動いていないように見えても、実際は少しずつ、確実に動いている。 


「……信じていたんだ。願っていたんだ。学園に――私のところにまた、元気な姿で戻ってきてくれるって。何もかもがあの頃のようになって、また一緒に戦ってくれるって」


 ――しかし、現実は違った。


 最後の友達がいなくなった。

 誰もいなくなってしまった。……誰も。

 あの頃の私を知っている“仲間”は、誰一人いない。


 自分は、薄っすらと希望を抱いていたのだろう。


 私を鍛え上げてくれて、そして、共に戦ってくれた彼女が深手を負ってしまったとき、その絶望感だって相当なものだった。このまま世界が終わるんじゃないかというぐらいに深い悲しみにいた。それでもまだ、きっと彼女なら戻ってきてくれると信じていたのだ。


 この学園ができる前から、私と一緒にいたミルクレープ……。


「――――」


 ふと気づくと、頬に温かいものが伝って落ちていた。


 これは……涙か?


 私が涙をこぼすだなんて、いつ以来のことだろう。

 それこそ、ミルクレープが致命傷を負った時ぐらいだ。


 ――思い出してしまった。大切な人を失うことが、大切な人に忘れられてしまうことが、どれだけ辛いことだったのか。


「――とうとう、お前だけになってしまったなぁ……」


 ふわりと浮かぶ私の妖精半身に、そっと手を触れる。

 お前だけは、何があっても私を忘れないでくれるよな……?


 今のミルクレープはもう、あの時の彼女と違う。……クロエの時と同じだ。私が巻き込みさえしなければ、あんな目には遭わなかったのに。もう私は――同じ悲劇が繰り返されることが怖かった。


 “仲間”を求めることはもうやめよう。こんな思いは、もう二度と御免だ。

 だって別れは、これほどまでに辛いのだから。


 ……涙をこぼすのは、今日で最後だ。


 パンドラ・ガーデンを護るのは私一人だけでいい。

 テイルたちは絶対に卒業させる。それより先の生徒たちだって。

 私が、彼らの学園生活を護り通すのだ。


 なぁに、これまでとそう変わらない。


 誰かに悟られるようなこともなく。誰にも知られることもなく。

 粛々と、“門”から現れる“魔人”をほふっていけばいい。


「……やってやるさ」


 いつか来るであろう、終わりの――その瞬間まで。

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