第三百九十二話 『それもまた、実現はしない』

 そのことの起こりは一瞬だった。


『それを君が――』というヤーンの言葉を遮るようにして、テイルが机へと飛び乗りヌイグルミたちをナイフで細切れにしたのだ。それに合わせて唱えられたのは、ヒューゴによる妖精魔法。


 詠唱の終了と共に、熱波が背中に吹き付けられ、この部屋全体に広がる。恐らくは【知識の樹】の前で見せた私の魔法を真似したのだろう。それは見事にアリエスたちを捕らえていた糸を焼き払いはしたのだが――


「きゃっ!?」


 恐らくはハナだろう。小さな悲鳴があがった。


 どうやら火力の調整を間違えたようで。私にとっては何のことはない程度だったのだが、それ以外の者にとってはなかなかに熱かったらしい。振り向いて確認することもできないが、肌が焦げていないことを祈るばかりだ。


「――テイルっ!」

「アリエス、走れ! ルルル先輩もっ!!」


 ……おっ? やけに動きがいいな?


 人質たちの反応が早い。もしや、何かしらの手段で示し合わせていたか。


 本人たちがあらかじめ捕まることを想定していたはずもない。ということは、捕まってから今の瞬間までの間に、即興で息を合わせてここまでやってみせたということだ。私の目には魔法を使った様子も映らなかった。どうやったんだ?


「――――」


 すれ違いざまにテイルへ向けて『上手くいったね』と語りかけたのは、アルル・ルードだった。なるほど、こいつが何かしらの“仕掛け”を施したらしい。私を観察していたときといい、なかなかの切れ者のようだった。


 ――なにはともあれ、だ。


 糸に捕らえられ人質になっていた二人は、今や私の背後まで逃げていた。

 ここまでくれば安全安心。糸の一本でさえ通すつもりはない。


 あとは奴を叩き潰せば万事解決――なのだが、目の前では異様な光景が広がっていた。テイルたちが息を呑んだのが分かる。


「先輩……その腕……!?」


 ヤーン・ライルズの身体に火が点き、左腕を中心に燃え上がっていたのだ。


 あの程度の熱で人体が発火するとは考えにくい。現に至近距離にいたテイルとハナには殆ど影響が出ていなかった。となると、奴の身体の方が異質なのだと考えるのが妥当だろう。それこそ――糸で形作られていると。


 炎は消える様子もなく、遂には

 あまりに衝撃的な光景に、誰かが小さく悲鳴を上げていた。……またハナか?


 ――だが、私の目からはその人型の姿が偽物であるのが筒抜けである以上、驚きは特になかった。本人も、己の身体に火が点いているにも関わらずあの落ち着きようだ。


 慌てふためくでもなく、消火しようという動きも微塵みじんにも見せず。

 ただただ立ち尽くして、半身が焼け崩れようとも悲鳴の一つもない。


「“ヒト”じゃ……ない?」

んだろう? お前……この魔導書で何をした?」


 上半身の半分を失った奴の、その中身は空洞だった。


 中に詰まっていたのが魔力だけだったのは予想外だったが――これで決まりだ。

 ヒト族グランデでも、亜人族デミグランデでもない。

 ましてや、機石人形グランディールでもない。


 ヒトとしての意識を持ち、会話も出来るが――もはや魔族や魔物に近いなにかだ。

 “魔界”との関わりのある魔導書。おおかた自身を魔物化させたか。


 そんなことが本当にあり得るのかは疑問だが、事実として起こっている以上はあるものとして認識せざるを得ないだろう。


 となれば、これ以上暴れられないように――叩きのめす!


「ぐっ……!」


 間髪入れずに前に出て、その身体に蹴りを入れた。手応えはあった。

 奴の身体を壁に叩きつけ、聞こえてきたのは――くぐもったうめき声と金属音。


 衝撃で跳ねたのか、中から腕輪が幾つか飛び出し、床へと落ちる。

 硬質的なキンッという音が幾つも鳴る。


「腕輪がっ!?」


 やはり擬態の中に隠し持っていたか。動かぬ証拠だ。

 ここまでやっておいて、証拠もクソもないが。


「やっぱりその腕輪も……」

「がっ……じ……持続的に……魔法を使い続けるにも……限界があるんだよ」


 糸で出来た身体でもダメージはあるのか、力なく、ずるずると床に腰を下ろす。

 

「常に魔力を補充しておくことなんて……不可能に近いだろう。こうして……道具を使って……消費を抑えるしかないんだ。……それでも、あまりよろしい状態じゃないけどね」


 そう言いながら、徐々に穴の端から修復が始まっていた。

 相変わらず続く魔力の放出と、それに伴う軽い倦怠感に舌打ちを打つ。


 私の魔力を勝手に拝借してこんなことをしていたのか。


 常に消費されゆく魔力に抗うのならば、方法は3つ。魔力の放出自体を止めること、それが難しいのなら放出の量を抑えること、そして別のどこかから魔力を補うこと。


 これらの大変さを、私は嫌というほど味わっている。

 1年や2年なんてものじゃない。この数年間、ずっと苦しんでいるのだ。


 出来ることなら私がその腕輪を使いたいが、私が魔力を使って私の魔力が抜かれるのだから殆ど意味をなさない。


 学園中に張り巡らせている糸のためか、それともその不気味な身体を維持するためか、どちらにせよ私の魔力を使ってそれをしている時点で不愉快だ。


「……でも、これを使えばこの本の真価を――!」

「それもまた、実現はしない。させない」


 ……自分でも驚くほどに冷たい声だった。

 今や目の前の男は、あの男フェイルと同じ。

 私の恨むべき対象となっていた。


 攻撃の手を緩める気はさらさら無かった。

 奴の喉元を掴み、再び壁に叩きつける。


「ヴァレリア先輩っ!」

「離れてろ」


 まだ何か仕掛けてくるとも限らない。少なくとも私を殺さない限りは逃げられないよう、自分のいる場所を中心にして球状に炎の膜を展開する。


「その本の真価だ? ……諦めろ。それを出した時点で、私の逆鱗げきりんに触れてんだ」


 腕に力を込め、奴の身体を壁に押し付けたまま持ち上げていく。

 首元から、いつでも焼き殺せるぞ、という警告でもあった。


「私の前で“それ”を出すとは、無神経か敵意があるようにしか思えないな。ん?どうなんだ。それも、敬愛する先生から譲り受けたものか?」

「……そうだよ。君に殺された先生が――唯一、僕に残してくれたものだ」


 研究、ないしはその考えを受け継いでいる者がいる。という可能性が無かったのは


「先生の死の瞬間、君はその場にいた筈だ! ――僕は確かに見た。見た筈なんだ!  その琥珀色に輝く瞳と、その燃えるように赤い髪を……!!」


「……なるほど、お前――」


 強烈だった恩師の死と、赤髪とこの瞳を持った女子生徒という断片的な情報、そして魔物と化した身体。それでうろ覚えながらも、あの日のことを忘れずにいられたのか? あの呪いについては分かっていない部分が殆どだった。にわかには信じがたいが、それだけの執念だったのだろう。だが――


「君だけが、のうのうと学園生活を送っていることを、僕は許すことが出来ない! どうして僕だけが! 何もかもを失わなければならないのか!! 分かるだろう……いま僕が考えていることが――」


 その一方的な憶測は的外れもいいところだ。“自分だけが苦しんできた”という、勝手な思い込みを募らせて、私のことを恨んで、そして他の生徒にまで害を出したことを許すつもりはない。


「んなこと知るか。お前が、勝手に私の学園生活を語るな」


 奴が口を開くたびに、苛立ちが募る。

 死と隣り合わせである今の状況にも関わらず、不自然な笑みを浮かべて。


 目元は悲痛なようにも、どこを向いているのか分からない胡乱なようにも見え、それでいて口元はいびつに吊り上がった不気味な笑みだった。


「――君も大切なものを失わないと、帳尻が合わない」

「はぁん?」


 気が付けば、奴の身体から右腕も失われていた。左腕はヒューゴの魔法によって焼け落ちている。しかし、こっち側はなんともなかったはずだ。いつの間に、を考えるより先に、“何故”が浮かんだ。至近距離にいる私の視界からわざと外した意図は?


 ――私の隙を突くためだ。


 私に向かってくるのなら大した問題ではない。この炎の膜の内側は、いつだって炎で充満させることができるのだから。だが――私の予想は外れていた。


 その腕が飛んで向かっていた先には、咄嗟のことで動けないでいるテイルがいた。

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