第三百九十一話 『幻を追っているんじゃないかと』

 一度焼かれたにもかかわらず、懲りずに再び糸が襲う。

 ――が、今度こそ私の魔法が発動した。


 真っすぐ伸ばした人差し指と中指で横線を引くように空を切ると、それに沿うようにして床から炎の壁が吹き出す。さしずめ、こちらとあちらを区切る境界線。奴の糸ごときでは、この炎は越えることも出来ないのは明らか。だが――


「炎の妖精魔法師ウィスパー……。相性が悪いな、悪すぎる。最悪だ」


 炎に照らされた奴の影がうごめき、その正体があらわになる。


 真っ黒な糸が絨毯用に一枚になっているかと思いきや、質量をもった大きな塊となっていた。こんな量の糸、いったいどこから湧いて出てきてんだか。


 ……そしてその速度も侮れない。


 いつの間にか、炎の壁の向こう側にいたアリエスとアルルが糸に捕らわれていた。両手の自由はきかず、口元は幾重もの糸で塞がれて言葉を発することも出来ない状態にあった。


 ここまでくると、さらさら隠す気はないみたいだ。


「こうして人質を取るのは、好きじゃないんだけどね」


「ルルル先輩!」

「アリエスさん!!」


 ヤツの――目が、開く。

 そこには生命の輝きというものが感じられない、がらんどうの瞳があった。


 雰囲気もがらっと変わり、ようやくこちらへの敵意をチラつかせ始める。


「糸を使う魔法……!」

「……テイル君、それは少し違う」


――僕の目であり、僕の耳であり、そして全てだよ。……これらもゴゥレムというより、僕の分身に近い」


 奴の言葉に反応するように踊り始めるヌイグルミたち。次々に棚から飛び降りて机の上によじ登ってくる。……その数は徐々に増えていき、従来の魂使魔法師コンダクターが操れる数を優に超え始めていた。


 クロエのように特別な能力を持っているのかと思いきや、ヌイグルミが術師と糸で繋がっているわけでもなく。しかしながら、器用に側転したり縄跳びをしたりと細かい動きをしている以上は自律行動をしているとも思えなかった。


「魔法じゃあ……ない?」


「僕にも事情があるのさ。この学園で“探し物”を見つける為に、手段を選ぶわけにはいかなかった。……それでも、今になるまで見つけることができなかったんだけどね」


 私の方をチラリと見てくる。……何も無いうろの瞳で。

 どうやら今度は私とお喋りがしたいらしいな?

 突然に饒舌になったのなら都合がいい。

 できるだけの情報を引き出してやる。


「ヤーンだったな? 学園中に糸を張り巡らせてさぁ。どこにいてもチラチラと視界に入って、鬱陶うっとうしくって仕方がなかったんだよなぁ。避けて歩くのも一苦労だったよ」


「避けて……まさか、“視えて”いたって?」


 私の瞳をじっと見ているような気がした。その目で本当に見えているのだろうか。そして、何かに気づいたかのように声を上げた。


「……そうか、その目だ」


 魔力を見通すことのできる、私の瞳を指しているのだろう。

 私が《特待生》であることを示す、黄金色に輝く特別な瞳。


。ようやく、君にこうして近づくことができたよ……!」


 憶えている……? いいや、あり得ないだろう。

 何らかのハッタリか? それとも何か意図があって?


「はっ。私を探していたのか? 学園中に糸を張って? 熱烈なことだな」


 赤い髪の女子生徒、確かに私は該当するが――それだとおかしいのだ。

 先程の『憶えている』という言葉もあり得ない。

 テイルたち以外で、私のことを憶えていられる者はいないのだから。


「これは……最終手段さ。目的はこれで半分達成だ。ここまで来るのには相当な時間を要したよ。僕は君を探す為に学園中を回った。教員も、生徒も、ある程度なら把握しているつもりだった。……けれど、それでもまだ全てじゃなかった」


 私を見つけること。それが奴の目的の半分だった。

 そのために、何年も情報を集め続けていたと。


「でも、運に助けられたみたいだ。今年になってから、神がかって偶然が重なった。数年前から【真実の羽根】という場所ができたのも……都合が良かった。学園の情報を集めるのに、これ以上に最適なものはなかったよ」


 この場所も、自分のための道具に過ぎない。そんな冷たい言葉に、アルルは責めるような視線を向けていた。いったい何年の間、同じ時を過ごしていたのだろう。その時間に培った信頼などをひっくるめた全てを、この男は裏切ろうとしている。


 ……この執念の正体はなんだ? 何がこの男をここまで突き動かす?

 下手に口は挟まない。喋りたいなら好きなだけ喋らせてやる。


「《特待生》についても、噂ばかりで実際に目にすることは無かったからね。きな臭いところに糸を張るにしても、もう少しはっきりとした情報が欲しい。そう思っていたところで……テイル君、キミたちは非常に優秀だった」


 ……学園の七不思議か。


《特待生》たちは他の生徒たちとの接触を避けるため、人目に触れないように動く。学園の裏側から表側へと出てくるのだって、隠された出入り口を利用するのが一般的だ。


 だからこそ、微かに残った痕跡が噂へと変わり、七不思議といった娯楽へと変化するのも自然の流れだろうとは思う。


「そうして学園の裏側にまで糸を伸ばして。それでもなお、自分の探している人物にたどり着くには一歩足りなかったんだけどね。……何年待っても、卒業した生徒の中にはいなかった。新しく入った生徒たちと区別するために、常に情報の収集は欠かさず行ったさ。……でも、見つからないんだ。幻を追っているんじゃないかと、気が狂いそうになった時もあった」


「本格的に動こうと決めた、そのきっかけは学生大会の時だった。本当に驚いたよ。まさか、そこで君を見つけることができるとは、思ってもみなかったからね。顔は兜で隠していたけど、その赤い髪だって忘れられるものじゃない」


「どうやら、アリエスちゃんの知り合いのようだったからね。割に合わないとは分かっていたが、こちらから少し仕掛けさせてもらった。これも確実に炙り出すには必要なことだった。……テイル君、危険に晒して済まなかったね」


「……俺よりも、ハルシュに謝るべきなんじゃないですか」

「そうだね。謝るさ。全部謝ろう。――全てが終わった後に」


 そう言って、ヤーン・ライルスが取り出したのは――本だった。

 黒い革表紙の、ボロボロの一冊の本。


 そこから漏れ出ている魔力が私にはハッキリと見える。

 どす黒く、ドブのように濁ったドロドロの魔力。

 まさに魔神のものと同じ――“魔界”の魔力だ。


 ……ただの生徒がこんなものを持っているわけがない。


 “魔界”に関して何かしていた者など、今までで一人しか知らない。


 ――フェイル・フォンテルマン。


 学園の深部で“魔界”の研究をしていた魂使魔法科コンダクターの教師。機石装置リガートを用いて“門”を作り出し、現在も学園に“魔神”を呼び込む原因を作った張本人。私が“呪い”を受けたのも、全てこの男のせいだった。


 殺しても殺し足りないぐらい憎い男だったが、“門”の向こうにいた何かにより死亡してしまった。残されたのは、呪いと、機石装置リガートが破壊されたにも関わらず維持されて続けている“門”のみ。


 ……関係があるのか? それともただの偶然?


「お前……ただじゃ済まないのは分かってるな? そうかい。事情はともかく、終わらせるのには賛成だ。私に何の恨みがあるのかは知らんがな、さっさと片付けて寝たいんだよ、こっちは」


 どこの誰だか知らない奴にこれ以上暴れられてたまるか。

 ただでさえ面倒事に悩まされているというのに、いらん仕事を増やすなよ。


 しかし……どこかで見覚えがあるような気もしないでもない。


「そうやって飄々ひょうひょうと……そんな君に僕は……」


 向こうは完全に私のことを恨んでいるようだった。

 身体中から湧き出てくる糸の量が、どんどんと増している。

 そう間も置かないうちに仕掛けてくるに違いない。


「僕の日常は……壊されてしまったというのに――!」


 空気が、徐々に張りつめていた。


「僕には敬愛する“先生”がいた……! “先生”が全てを与えてくれた!」


 先生? 先生……。先生か。


 記憶とは奇妙なもので、何がきっかけに蘇るのか、そのときになってみないと分からない。疑惑が確証に変わった瞬間、点と点が繋がったみたいにはっきりと脳裏でその姿が形になった。


 一度だけ、こいつと会ったことがある。

 フェイルの工房の前で、ばったりと出くわしたのだ。


 なるほど……あいつと深い関わりがあった生徒だったか。それなら、魔導書を持っていたことも、私のことを追い続けていた理由も納得ができる。


 記憶に、過去に見放された私を、過去から追い続けてきた男。

 私が叩き潰すには十分すぎるだけの理由があった。


 それならば、あとは人質となってる二人を開放してしまおう。そう思っていたところで――


「ヴァン・イグノート・イン・グリード!!」


 私も予期してないタイミングで、後輩たちが動き始めていた。

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