第三百九十話 『触れるな』

「試合前のハルシュに接触したのは……ヤーン先輩?」


 名前が挙がった。あまり憶えのない名だった。


「……ヤーン?」


 ヤーン・ライルズ。どんな奴なのか尋ねてみると、どうやら魂使魔法科コンダクターの“研究生”であり、【真実の羽根】という学内の情報を発信する活動を行っているグループの副部長であるとのこと。


 “研究生”、学園での教育課程を終えても卒業せずに残っている生徒。つまりは、私がたまに見かけては焼いてをしていた“糸”の犯人として、ずっと同一人物であった可能性は高い。


 ……気に入らないな。


 特に印象に残るような生徒ではないのだろう。

 まさしく、“これ”をやっている犯人がむやみに目立つ行動をとるとも考えにくい。


 それだけでは犯人と断定する根拠は薄いのだが、決して当てずっぽうで口に出したのではないと、テイルの瞳が語っていた。


 学園にずっと在籍している魂使魔法師コンダクター

 学生大会のときに被害に遭った生徒と直前に面識がある。

 なにより――レースの運営に深く関わっていた。


 ……確定だな。


「――くそっ。【真実の羽根】へ急ぐぞ!!」


 目的地が決まり、テイルが駆け出す――が、ちょっと焦り過ぎだ。

 目の前を抜けていく瞬間に、その襟首を掴んで引き留めた。


「ぐぇっ!?」

「おいおい。慌てるにしても、手ぶらで行くこたぁないだろう?」


 便。たとえ顔見知りの相手であろうと、己の為ならば平気で牙を剥いてくる奴は少なからずいる。信頼からくる一瞬の油断が、取り返しのつかない結果に繋がる場合だってあるのだから。


「全員、ちゃんと装備は整えておけよ? ――ほぉら」


 テイルとヒューゴの武器を、ソファの脇から拾い上げて投げ渡す。


「わっと!?」

「危ねっ!」


 突然のことに一瞬慌てる素振りを見せるも、そこは流石に自分の愛用する獲物である。二人は目を白黒させながらも、難なくキャッチしていた。


「で、でも……」

「……【真実の羽根】に行くんすよね?」


 魔物狩りに行くでもない。敵の元へ向かうでもない。

 言外にそういった感情がにじみ出ているのが分かる。


「“これだけのこと”をしでかしている奴に――って、ヒューゴたちは見えていないだろうが……。とにかく、丸腰で対応すべきじゃあないんだよ。私の経験上、相手が知り合いだとか、そういうのは関係ないんだ」


 これまでいろいろ世話になった。

 人畜無害で、大人しい先輩。


 そういうのは、

 ――と言ったところで、すんなりとは納得できないだろう。


『むしろ、相手が怖気づいてくれれば万々歳。だろう?』と笑いかけてやる。冗談と受け取ったのか、少しだけテイルたちの表情も緩む。


 ……冗談で済めばいいんだがな。


「――テイル。少しキツいだろうが、その魔法は解くなよ?」

「マジですか……。これ……チカチカして、わりと限界――先輩っ!!」


 突然に目の前でテイルが声を上げた。……いや、正確には突然でもないか。

 背後で糸の束がうごめいているのは、魔力の流れから既に感じ取っていた。


 ……嫌な魔力だよなぁ。どことなく、


「触れるな」

「うわっ!?」


 私目掛けて迫ってきた糸の束を、迷うことなく魔法で焼き払った。


 危険を感じたら即発動するようにしていた自己防衛用の魔法。テイルたちが火傷しないよう、火力は低めにしていたが――それでも焼き払える程度のものだったらしい。


 糸自体は魔力で覆われているものの、魔法に対しての耐性を持たせているわけではなさそうだ。もともと焼き払われることを想定していないのか、単純に覆っている魔力が微量すぎて意味を成していないのか。どちらにせよ、厄介ごとが減っていい。


「……今の私は寝起きなんだよにゃあ。身体も怠いし、機嫌が良くないんだ」


「自分たちはなんともなかったのに……」

「私が赤い髪をしているからか? おいおい、それを言うならヒューゴもだろうに。……ははっ、向こうもどうやら焦っているらしいな?」


 やはりテイルに聞いた話からも、“赤髪”の“女生徒”だけが標的らしい。

 どうやって判別しているのか? どういう理由で?


 ……というのは、考えるだけ無駄だろう。少なくとも、今この場では。


「……“あいつ”は傍観を決め込んでいるらしい。あーあー、嫌だ嫌だ。小間使いだなんて、性に合わないったらありゃしない」


 学園内部にこれだけの異変が起きていても、その対処は私任せってことだ。恐らくは、その前兆の段階から気が付いてはいたんだろうな。下手をすると、数年前からずっと。今回のことに対して、私がどう動くのかひっそりと観察しているに違いない。


「“あいつ”……?」

「いや、まぁ、いいんだ。とにかく、その【真実の羽根】に向かうんだろう?」


 しっかりと武器を手にしたことを再度確認して、今度こそ犯人のいるであろうグループ室へと全員で向かうことにした。






「――見えたっ!」


 そう離れた場所にあるわけでもなく、時間にすれば一、二分といったところか。

 テイルが、目的の部屋の扉を目にしたのか声を上げる。


 テイル一人だったら、全速力で走れば一瞬だっただろう。が、ハナや私たちを置いていくわけにもいかないと判断したのか、少しだけ速度を落としていた。


 こういうときに誰かが孤立するのは避けるべきだ。

 焦っているように見えても、なかなか冷静に動けているじゃないか。


「テイル、見えるか?」

「【真実の羽根】の扉……」


 魔力を帯びた糸が、糸の隙間からこれでもかと広がっていた。

 決定的だな。……犯人はこの中にいる。


 中で何が起きているか分からない以上、不用意に声は上げない。

 テイルが突入の最終確認のため、こちらに目配せをした。


 ――いいぞ。突撃だ。


「アリエスっ!!」


 テイルが一息に扉を押し開ける。中はそれはもう酷い状況――などではなく、『――へ?』という間の抜けたようなアリエスの声がした。


「……みんなどうしたの? そんなに慌てて」

「い、いらっしゃい! 今日は遅かったね、ヒューゴ君が寝坊した?」


 呑気にテーブルを挟んでの談笑。異変の中心地ともいえる【知識の樹】とやらは平和そのもの。――なわけがなかった。


「……へぇ。ほぉお。ふーん。こりゃあ酷いな」


 糸の多さが廊下の比ではない。壁も、天井も、床も、全てが糸に覆われており、その魔力もより濃くなっていて目に痛いほどだった。まるで蜘蛛の巣の中に立っているかのよう。


 アリエス……は、無事みたいだな、うん。


「ここが例の【真実の羽根】かぁ、初めて来たよ。どーもどーも。ウチの可愛い後輩をこき使ってるんだっけ? んん?」


「ちょ、ちょっと、ヴァレリア先輩……!」


 目の前の女生徒は……違う。こいつじゃない。

 茶色い髪を揺らしながら大きな目元を見開いて。


 この一瞬の間にこちらを観察して、状況を把握しようとしている聡明さが感じ取れる。だが、そこに悪意などは無く、純粋な好奇心に溢れていた。


 ……まぁ、そんなことを確認するまでもなく、糸の中心にいる奴が犯人なんだが。全身に不自然に帯びた魔力と、全身から伸ばされた糸。それによって消費する魔力は膨大なもののはずで。予想では例の腕輪をじゃらじゃらと付けていると思ったが……怪しまれずにこうして話しているのは理屈に合わない。


 怪しいと踏んで目を凝らすと――ただでさえ全身魔力光まみれなのだが、その内部で一際に魔力が濃くなっているのが分かる。……


「なるほどなぁ……。気持ち悪いな、お前」


 こうして表面上に見せている人物像は、擬態している皮に過ぎない。やっていることは、知能の高い魔物のそれだ。そんな奴が、ずっと学園にいたなんて。自分の間抜けさに心底うんざりする。


「…………」


 気持ち悪いというのは本心半分、挑発半分だったのだが、感情を露わにすることはない。昆虫の方がまだ分かりやすい。


 とはいえ、向こうも私を敵と認識したのだろう。

 指一本動かさないままに、数本の糸がこちらに飛んできたのだが――


「先輩っ!!」


 テイルが飛び出して、抜いていたナイフでそれを切り裂いた。先輩を守るために前に飛び出して守ってくれる。なーんて可愛い後輩なんだろうなぁ。


 これでテイルたちも、こいつを敵と認めたらしい。

 背後で空気がピシッとしたのを強く感じる。


 動いたのは――なにも知らないと思われる女生徒だった。テイルが名前を呼んでいたな。確か……アルル・ルードだったか。突然に乗り込んで武器を乗り込んだテイルに恐怖を感じた――のではない。むしろ、私たちに向けて逃げるようにうながしたのだ。


「みんな逃げて!」


 それと同時に、男の背後の糸がぞわりと蠢いた。


「全員下さが――」

「いや、いい。下がる必要なんてないさ」


 テイルたちは慌てて後ろへ飛び退いたが……安心しろ。

 私がいる以上は、後輩たちに危害は加えさせない……!


 妖精にはすでに魔法を発動させている。

 ――指先に、小さく魔法陣が浮かんだ。

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