第三百八十九話 『私にゃあ分からんよ』

 さぁて、私が眠っていた間に何が起きたんだ?


 とりあえず――テイルたちは“これ”には気づかなかったのだろうか。

 まさか、私が知らないだけでこれが普通だなんてことはあるまい。


「テイルー? こっち来てみ?」


 ちょいちょいとテイルを呼びつけてみる。

 テイルなら、魔法で魔力を感知することもできるからな。

 ……って、こっちは急いでるってのに、何をまごついているんだ。


「早くー! 駆け足だ!」

「は、はい? なんなんですか、いったい」


 言われた通りに小走りで寄ってきたテイルをがっしりと腕で捕らえ、ちょっと魔法を使ってみろとそっと指示をする。


「テイル。たしか魔力感知の魔法が使えたよな? ちょっと全開にして使ってみ?」


「あれ使ってると、ジンジンと目の奥が痛くなるんですけど……」

「いいから、ほら」


 問答無用だ。そんな現象、私の方が山程味わっているんだからな。


『〈レント〉、……〈ブラス〉』と、おずおずと魔法を発動するテイル。


 目を閉じ、集中して、そして呪文を唱える。

 そしてゆっくりと開いた眼が――次の瞬間には驚きにかっ開かれていた。


「なんだよ、これ……」


 やっぱり、テイルにとっても異常事態らしい。

 廊下――いや、恐らくは学園中に張り巡らされているに違いない。

 テイルが感知魔法を全開で使用してやっと気づくレベルだ。


 その青白い魔法光自体は強く輝くものではないが、それが廊下を覆っているのは異常事態としか言いようがないだろう。たしか、これまでにも似たようなものは見たことがあった。ただ、そのときはたかだか一本の糸かそこらだったし、ここまで酷くなるとは誰が予想できただろうか。


「……どうだ、テイル。なにか気がつくことはあるか?」

「…………」


 混乱しているのか、口をパクパクさせているが言葉が出てきていない。それどころか、私の声も耳に届いていないんじゃないだろうか。


 ――仕方ない。


「テイル、テェイル! テェェェイル!!」

「っ!?」


 ちと荒療治だが、耳元で大声を出して正気に戻してやった。


「混乱するのは勝手だが、黙るな。急にここまで酷くなったのには、何かしら理由があるはずだよな? そうだろう?」


「でも、いきなりこんなもの見せられて……“急に”?」


「前から、学園のあちこちには糸が伸びていたって言っているんだ。どうせ誰かの悪趣味なイタズラだろうと避けて歩いてきたけどさぁ。流石にこれほどになると、もう看過かんかするわけにもいかんだろ」


『な、なぁ……!』と、この光景を見ることのできないヒューゴが、辛抱たまらず声をかけてくる。これは……力の強い妖精なら気づくこともあるだろうが、自発的にそれを伝えるかどうかは性格によるからな……。


「廊下中に……糸が張り巡らされてんだよ」

「……糸が?」

「私達には変わりなく見えますけど……。どういうことでしょう?」


 この光景が見える見えないじゃ、受ける脅威度が違うからな。

 現に、テイルは混乱し、焦っていた。


「あー、まいったまいった。だぁれがやってんのか、突き止めるぐらいはしとけばよかったなぁ」


 この数年間は殆どいっていいほど動きはなかったわけだし。だからこそ、生徒のイタズラだと思って放置していた。たかだか魔力を帯びた糸に何ができるのか、と。しかしながら、流石にこれは度を越している。


「……なぁ、テイル。前々から妙な不安感に囚われていたんじゃないのか?」


 ここから犯人を探し回るのはいささか現実的ではない。

 それなら、できるだけ情報を多く持っている奴に任せて動いた方がいい。


「頭の中で考えが渦巻いているってことは、何かしらの手がかりは掴んでいるんだろう? さぁ、それを今、すぐに、正しく並べ直せ」


「そんな無茶な……」


 明らかな異常事態が始まったのは間違いなく学生大会のあの瞬間だ。偶然なのか、何かの意味があってのことなのか、“何かが起きている”という違和感の大半がテイルの回りに起きているというのなら、そこから見えてくるものもあるだろう。


「よーく考えろ、テイル? 私だからすぐに気づいたが、他の生徒たちにはいつもと変わらない日常が続いている。そのことが、これは異常事態だということを殊更ことさらに指し示しているんだぞ」


 私の首筋にも、薄っすらと嫌な汗が流れている。

 否が応でも思い出してしまう。

 誰も知らない学園の裏側で“門”を開き、“魔界”の研究をしていた男を。


『糸……』と、はたと気がついたかのように小さく呟くテイル。


「……レースの妨害よりも、持っていた腕輪の方が目的だった?」

「ほう?」


 これだけの規模の魔法、ただ張り続けているだけでも結構な魔力を消費するだろう。……なるほど、あれからずっと続いている魔力の流出の原因はこれか?


「……けれど、誰が、なんのために、これを行った? ――この糸って、何のために張られたんですかね」


「私にゃあ分からんよ。答えを探るのが、今のお前の役目だろう?」


「そもそも! いつから張られたんですか、これ! 先輩、さっき言ってましたよね、『前からあった』って。……いつからあったんですか?」


「……七、八年前ぐらいだな」

「そ、そんなに昔……?」


 逆に言えば、それより前にいなかった者には不可能か……?

 いや、私が知らないだけで、定番のイタズラだったという可能性もある。

 ここから絞ることができないのは、テイルも同じのようだった。


「くそっ。誰がやったのか絞れない……!」

「焦るな。けれど、急いだ方がいい」


(魔力感知の魔法を使わない限りは見えないだろうが)これだけ派手な魔法を長時間発動し続けるとは考えにくい。何かしらのことがきっかけで、ここまでやることに踏み切ったに違いないのだ。


「よーく考えろ。考えろよー。いつから、というのは考えてもあまり意味がない。問題なのは、“今の状況になった”という事実についてだ」


 これが何かのための手段なのか、目的なのか、どちらにせよ悠長にしている暇はないのだ。逆に考えれば、それらを浮き彫りにすることで答えに近づくことができるんじゃないのか?


「先輩……。“これ”が酷くなったのは、レース大会が終わってから?」


「昨日今日は閉じこもって寝てたから、詳しくは知らんがにゃあ。……だが、恐らくはそうだろう、うん。少なくとも、レースが始まるまでは普通だった」


 正直、あの日の朝には“魔神”との戦いで頭がいっぱいだったし、ここに戻ってきたときには死にかけで、あたりを見回す余裕はなかったからよく憶えてないけれど。


「今のこの状況は……『赤い髪の女子生徒を隠すために』『誰かが』『学園中に糸を張った』? そして、その状況を作り出すために『レース中に腕輪を盗んだ』……」


 テイルが情報を整理していく。頭の中の情報と情報を、どうにかして繋ぎ合わせようとしているのだろう。


 ……誰か。……誰かか。


「そいつしか出来ないってことも、あるんじゃないのか?」


「こんな魔法、今までに誰かが使っていたのを見たこともないし……。単純に糸を出すことは、ゴゥレム使いなら出来て当然だし。もっと言えば、魂使魔法師コンダクターだったら誰でも出来るかもしれない。そうじゃなくても、技術さえ持っていれば、他の魔法使いでも――」


「……違う、。なぁ、テイル。理由なんてのはどうだっていい。どうせ他人の頭の中なんて、“たとえ見ることが出来たところで”、その半分も理解はできないもんなんだ。見るなら現実を見ろ。答えはいつだって、そこにしか無いんだよ」


「現実って言ったって――」


「お前が話していただろう? 大量の機石装置リガートには、腕輪を盗んだ瞬間は映っていなかったと。果たして、それは偶然に起こったものなのか?」


「…………」


「森林に大量に設置されている機石装置リガートの視覚を縫って網を張るだなんて! そんなことをできる人がいるわけが――…………っ!」


 テイルの瞳が、大きく揺れた。

 何かのヒントを掴んだのか……?


「――なぁ、テイル」


 テイルの中で答えが出かかっているのなら、あとはそれを後押ししてやるだけだ。


「――誰が。機石装置リガートを設置して。そして回収したんだ?」

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