第三百八十八話 『――身体が、重い……』
――身体が重たい。
あの日の消耗が酷かった。
這ってでも動けるようになったのだって、丸一日が経過してのこと。
魔力の消費に関しては予断を許さない状況だったのもあり、ベッドから降りることはなかった。それなら食事はどうしたのかという問題になるが、そこはどこからともなく現れたヨシュアが毎度置いていくのだ。
もちろん、顔を合わせた一発目に腹に据えていた怒りをぶちまけた。
「お前……分かってて、今回のことを仕組んだな?」
「えぇ、その方が盛り上がると思いまして」
「――――っ!」
平然とそんなことを
「今回は参加者を多く募りたかったので。参加できる者の枠を広げるためには、こうするしかありませんでした。でも良かったでしょう?」
「いいわけがあるかっ!! お前のせいでこっちは――」
「――アリエスさんが、見事に優勝しましたよ」
「――――」
……いま、なんて?
「他の生徒たちを押しのけ、アリエス・ネレイトがレース大会を制したと言ったのですよ。接戦でしたが、空中分解している
「優勝……したのか……」
嬉しさが込み上げてくる。そのせいで、ヨシュアへの怒りも少しばかり薄れてしまって。それよりも、とレースの状況を見るための道具は無いのかと催促するのだが、今回に限ってはそういうものはないとのことで、思いっきりに枕を投げつけてやった。
くそったれめ、期待させやがって。
そのまま逃げるように退散していくのを見て、自分もベッドに再び倒れ込む。
少なくとも、餓死で倒れることは回避できたし、体力も少しずつ回復していった。
「――身体が、重い……」
風呂に入るような体力も無く、髪がべたつき始めたところで、人前に出ることを自粛して鍵をかけた。こんな姿をテイルたちに見られたくはないからな。私にだって、先輩の威厳というものがあるのだ。
そこから、なんとか動き回れるようになって。深夜にテイルたちがいないことを確認してから、【知識の樹】の中にある洗い場で軽く身体の汚れを洗い流した。
……だいぶマシにはなっているが、身体の重さは相変わらず。
原因としては、依然として少しずつだが魔力が抜け続けているようだった。
戦いの後遺症か……? それとも、継続的に何かが動いている?
あのときに比べれば微々たるものではあるが、当然ながら気分は良くない。
もう少し体力が回復したらヨシュアに尋ねてみるか、そう思って眠りについた、その翌日――
『――でも――には――し、――――――なぁ』
「…………ん」
なにやら扉の向こう側で声が聞こえて目が覚めた。
窓が無く、外の様子もわからない状態だったが、腹の具合から考えるともう朝なのだろう。となると、テイルたちのうちの誰かの声に違いない。
「ヴァレリア先輩も赤い髪だったな……」
――正解だ、テイルの声だった。
久しぶりに顔を合わせられる嬉しさに、扉から顔を出した。
「――呼んだ?」
「うわっ!?」
驚いて飛び上がるテイル。相変わらず、不意をつかれると耳と尻尾が飛び出してしまうみたいだった。別に隠す必要もないと思うんだけどにゃあ。
「あらあら、先輩。おはようございますー」
「やぁやぁ、ハナさん。お早うお早う」
半分寝ぼけた頭で、ちゃんと挨拶をしてくれたハナにおはようを返す。
「……ふぁーぁー」
焚いていた特濃の香と、長時間の睡眠によって飛び出す大きな欠伸。
寝ぼけ眼を擦りながら、周囲を確認する。
……テイルとハナの二人だけ。
アリエスとヒューゴはまだ来ていないみたいだな。
「……珍しいですね。こんな時間に出てくるなんて」
「そりゃあ可愛い可愛い後輩が、私の名前を呼んだのが聞こえたからねぇ。んふふふ……」
耳と尻尾を収めながら、テイルが呟く。そんな勿体ないこと、先輩としては認められないにゃあ。と、がっちりと頭を小脇に挟んでやった。
「しかしまぁ、半分しか集まってないじゃないか。早起きしすぎたか?」
「いや、遅いほうです」
「まだ朝じゃないか!」
「そうだよ!!」
昼だったら間違いなく全員集まってたんだろうなぁ。目覚めて一番にアリエスの優勝を祝ってやろうと思っていたのに。というより、今日は授業がある日だったっけ? 早朝よりは少し遅い時間帯であろうことは想像がつく。冷静に考えてみれば、この時間にテイルたちが来るのは珍しいのではないだろうか。
「ダメだぞぉ、一年の間でサボり癖なんて身につけちゃあ。せっかく楽しい学園生活なんだからさぁ」
「休みですよ、今日」
こんな奴に言われるとは世も末だ、と言わんばかりの表情。
おいおい、私だって早起きすることぐらいあっただろうが。
「で、ヒューゴは寝坊か?」
「……まぁ、そんなところです」
補習という可能性もあるが、この間もしていたしな。
ただ、テイルが複雑そうな顔をしているのが少し気になった。
「アリエスは? 遅れてくるなんて珍しいだろう?」
「えーっと……。レース優勝者に取材をしたいってんで、【真実の羽根】の方に呼ばれてます」
――レース優勝者。
「あぁ……優勝したんだったな。……後で、ちゃんと褒めてやらないとな」
レースの様子をこの目で見てやれなかったことに、少しばかりの申し訳なさがあった。後輩の頑張る姿をよそに、魔神と戦い続けて。こんな私が、何を褒めてやれるのだろう?
「もしかして……レースの様子見てないんです?」
テイルが意外そうな、それでいて困惑の表情を浮かべる。きっと学生大会のときのように、どこかでレースの様子を見ていたと思っていたんだろうな。悪いが、私はそれどころじゃなかったんだ。それはもう、死の文字が脳裏をよぎるぐらいには。
「最近、なんだか身体が重くてにゃあ。実際、今もすんごい眠い。けどまぁ、そこまで気にすることでもないさ。あぁ、うん」
嘘は言っていない。だが、本当のことを言うわけにもいかない。まだ完治していない脇腹の傷が
――そんなときだった。
テイルが、何の気無しに呟く。
「ここ最近の風潮なんですかね。いろいろと様子がおかしいところに、先輩まで具合が悪くなってるだなんて」
「……ほぉ? なんか起こってるんだな? その言い方は」
学園で起きたことについてはなるべく知っておきたい。
ここ最近のことならば特にだ。
自分の席へと着き、両手を組んでテイルに話を促す。
「それが――」
――レース大会において、なにやら見えない網らしきものが張られる妨害行為があったのではないか、という疑いがあること。
「ふんふん、なるほど?」
それで何人もの選手が脱落してしまったらしい。私にとっては、その分魔力を吸い上げられる量が減るので、かえって助かった形ではあるが……。
しかしながら、レース大会でそこまで大規模な妨害をした場合は問題となるはずだ。学生大会の時に起きた事件のときのように、正体の知れない何者かによるもの、と考えるといささか気持ちが悪い。
それに加え、森の中で脱落した参加者の一部で、魔力の消費を抑える腕輪を紛失していたこともテイルの口から語られる。
「…………」
腕輪の紛失。今なお継続している私の魔力の流出。
……段々と話がきな臭くなるな。
「それと、少し前から連絡がつかない生徒がいるらしくて――」
「おっくれたぁ!」
テイルが話を続けようとするも、寝坊していたであろうヒューゴが飛び込んで来る。勢いよく扉を開いたものだから、外の廊下までよく見えて――
「――――っ」
思わず立ち上がっていた。
――何だ、あれは。
「悪ぃな、寝すぎた! ――て、あれ。ヴァレリア先輩?」
「……ヒューゴ、ちょっと扉から離れろ?」
部屋に入ってきたヒューゴと入れ替わるようにして、扉の主導権を奪い取る。あの中を歩いてここまで来たのか? いや、テイルとハナも同様か。
「なんともなかったか? ……大丈夫そうだな。ちょっとそこに座ってろ」
「…………?」
困惑しているヒューゴをソファーに座らせ、扉から廊下を覗き込んだ。
そこに広がっていたものとは――ぼんやりと滞留するかのように淡く光る魔法光。
床も、壁も、天井も。廊下の端から端まで。
張り巡らされた"糸”を覆う魔力に、私の"眼”が反応していた。
――そう。それはまるで、蜘蛛の巣のように張り巡らされていたのだった。
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