第三百八十七話 『……あとは……頼むぞ』
「ぐぅ……!」
腰元から奔る鋭い痛みと、じわじわと続く虚脱感。
深々と突き刺さった剣を抜かせることなく、その腕を掴んだ。
「逃してたまるかぁ!!」
左腕を失った相手は多少身軽になっていて、負傷している私の力でも十分に引き寄せることができた。右腕で掴んで、空いた左腕はその首根っこを掴む。
瞬間、火花が滝のように
相手の左肩から先を切り飛ばしたのと同じ炎だ。
高速で吹き出した炎は大量の空気を巻き込んで更に勢いを増す。一瞬のことで見えない(そもそも物を見るための目も無い)だろうが、刃物のように“斬る”というよりは、“削り取る”のに近いことが行われている。
決して人には使うことのない、作業用もしくは必殺の魔法だった。
相手の首に沿うようにして左から右へと炎の刃が行き渡り、頭と身体が切り離される。私と同じ目鼻立ちをした頭がぐらりと後ろに揺れ、そのままゴトリと音を立てて地面に落ちた。最後まで無表情のままで、不気味極まりない。
「これぐらいじゃあ、死なんだろうな……!」
右腕は既に放していた。何故ならば、追撃に必要だからである。
「ふっ――!」
身体が密着するかしないかの超至近距離での打撃。拳は腹に深く刺さり、相手の身体が浮くのにあわせてずるりと刀身が身体から抜ける。焼け付くような痛みが再び体中を奔った。
「ぐっ……はぁ……はぁ……く、そぉ……!」
ダメージを受けているはずの向こうがウンともスンとも言わないのに対し、攻撃を加えたこちらが今にも倒れそうなのはどこの悪い冗談だ。
身体の傷も大概だが、今は魔力の消費の方が問題だ。心なしか、目も霞んできている。動けなくなる前に、トドメをさしておかないと。
血が滴るのを感じながら、吹っ飛んだ相手へと歩を進める。反撃の隙を与えないように、右手を踏みつけながら拳を構えた。
「――お前の身体に拳を叩き込み続ける。お前が死んで、一片残らず消え去るまで、休むことなくだ。悲鳴の一つでも上げることができれば、もっとマシな死に方が出来てたのかもしれないがな」
そう言い残し、身体の中心へと拳を振り下ろした。
何度も、何度も。もちろん、魔力を込めた全力の一撃だ。
腕を切り飛ばして、頭を切り落として。それでもなお動く様子を見せた以上は、完全に死ぬのを確認するまで手を止めるわけにはいかない。こいつら魔神は、死んだら黒い
何度も、何度も。一撃ごとに衝撃は身体を貫通し、地面に軽くヒビを入れる。
私の
「……………………」
意識が朦朧としてきた。身体に力が入っているのかどうかも定かではない。
もう死んだか。まだ死んでいないのか。早く死んでくれ。
自身の苦痛に耐えることすら疲れてしまって、無表情になりながら拳を絶えず打ち込み続けている。何度も……何度も。そしてようやく――終わりが訪れた。
左腕、頭、
しゅうしゅうと、身体から離れているものから
私のいた場所を中心として、小さなクレーターが出来ていた。
「ヨシュア……」
今回はもう限界だ。魔神を倒したぞ、さっさと出てこい。
そんな言葉を思い浮かべながら、名前を呼ぶ。
頼るのは癪だが、傷も負っている以上は一人で自室に戻るのも危うい。
「ヨシュア……? 終わったぞ!!」
――――。
出てこない。いつもならば、気持ち悪いぐらいにピッタリのタイミングで現れるのに。よりにもよってボロボロのときには現れないだなんて。
……クソッ。
これ以上の魔力の消費は危ないが、背に腹は代えられない。
植物や大地に比べると、炎の妖精魔法は回復向きではないが、それでも傷を応急処置程度には塞ぐこともできるだろう。痛みは消えないが、出血を止めることはなんとかできた。
傷は塞がったのに、気が緩んだからか痛みが増しているような気がした。
自力で……戻るしかないか。
おそらくは保険医であるウィルベルも
「ぐっ……あぁああ……!!」
限界を迎え、震える身体をなんとか奮い立たせる。
こういう使い方をしたくはないが、鞘に収めた
【知識の樹】までの道のりはとても果てしないものに感じられた。どこをどう通ったのか、道のりの記憶も定かではなかった。半ば無意識のままに力の入らぬ足腰を無理矢理に動かして、なんとか自室へと辿り着くことができた。
「ハァ……ハァ……ゲホッ! ……うぅ……」
ボスッと倒れ込むようにしてベッドに飛び込む。
普段ならむせ返るほどの濃い香の匂いも、今は程よく意識を鈍らせてくれる。
「私が意識を失ったら……あとは……頼むぞ」
部屋に入ってからは魔力の減衰による虚脱感はだいぶ楽になった。が、それでも香による回復量が吸い上げられている量より微かに上回っている程度で、胸のあたりが苦しくなる。
「ぐぅぅ……!」
歯を食いしばりながら、ひたすらに波が過ぎ去るのを待つ。軽く意識を失うことも何度かあったが、その間は妖精が治癒の魔法を使ってくれていた。魔力は共有しているため、私の魔力が枯渇しているときは妖精も同じではあるが、少しでも回復した魔力を治癒に回せば回すほど死の危険からは遠ざかる。
なんども薄れゆく中で、もはやレースの結果に裂ける意識なんて無かった。
もはや、また生きてテイルたちの目の前に立てるかどうかの瀬戸の際。額からは次から次へと汗が吹き出し、どれだけ深呼吸をしようと呼吸が整うこともなく。ベッドのシーツは強く握り込んでいるため皺だらけとなっていた。
――――。
テイル。ヒューゴ。アリエス。ハナ。
――思い浮かぶのは、後輩たちの名前。混濁している意識。
高熱にうなされるとはこういうことなのだろうか。
何時間、この痛みと格闘したのだろうか。
長い長い時間の間、波が徐々に引いていくのを感じていた。
魔力に余裕が出てくるにつれ、意識も安定していく。
そうなると、様々なことについて考えを巡らせることもできる。
レースが佳境にさしかかるにつれ、走者が減っていくのは必然。脱落者は魔法を使うことは無いのだから、それだけ魔力供給源となる私の負担が減ることに繋がる。
そろそろレースが終わるのか。アリエスは最後まで脱落せずに残っているだろうか。優勝者は誰になるんだ? 頑張れよ、アリエス……!
――と、勝利を願っていたところに……ひと際大きな波が襲いかかる。
「――っ!? あぁぁああ……!!」
油断していたところで、ここまで地道に回復させていた魔力を根こそぎ奪っていくかのような魔力の吸い上げが始まる。
ラストスパートだ。
ギリリッ……。
「フゥー……フゥー……!」
食いしばった歯の間から、息を吐く。
これだけの魔力の消費……!
残った走者たちは、いったいどんな魔法を使っているのだろう。
どれだけの実力者たちがゴールまでしのぎを削り合っているのだろう。
「――――っ」
酷い虚脱感に耐えきれず、気絶するように深い眠りへと落ちていった。
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