第三百八十五話 『私の拳を好きなだけ』

「さぁて、今日も行くとするかねぇ」


 ――この風景には飽き飽きだ。

 いつになったらオサラバできるのだろう。


 だだっ広い底なしの空間に、浮島のように地面が浮いているようにも見える。外壁から浮き通路が伸びてはいるが、それによって支えられているとは到底考えにくい。さまざまな岩石によって構成されており、ゴツゴツとした岩肌がよく見えた。


 学園の地下深くのため、本来は真っ暗なはずなのだが、はるか下方から湧き出る地脈からの光と、学園に魔力を巡らせる核となっている巨大な機石からの魔法光によって、怪しく照らされていた。


 浮島の端までいくと、学園の核を上下から支えている巨大な幹が間近に見える。


 魔素の濃い空間のため、目を凝らしたりしてしまうと視界がキラキラと光ってしまい苦労するのだが、それとは別に不愉快なものがここには浮いていた。


 何もない空間に浮かんだ空間の亀裂――過去に起きた事件によって生まれたもの。己の欲望に任せた馬鹿な男が遺した厄介な“門”。困ったことに、この“門”が定期的に別の世界からの入り口となって凶悪な“魔神”を呼び込んでしまうのだ。


『それでは今回も頑張ってください』


 学園長であるヨシュアは、いつもそう言って魔神の対処を任せる。断ることはできない。他の者に助けることもできない。私が一人でやらなければならない。


 私が死んでしまえば、“門”から漏れ出た魔神が野放しになってしまう。

 生徒の中から犠牲者が出ることは想像にかたくない。


 ……私はこの学園が好きだ。

 この学園に通う生徒たちが、後輩たちが好きだ。


 私の目が黒いうちは、一人たりとも傷つけさせはしない。


『キミなら余裕だとは思いますが。……ゆめゆめ、油断などしないでくださいよ』

『……わかってる』






 前回は“門”が開く前兆が無かったために、二日間にわたって行われた学生大会は都合が良かった。試合会場のど真ん中に“門”が開いてしまったというトラブルはあったが、それでも犠牲者が出なかったのは不幸中の幸いというやつだろう。


 今回の学内イベントはスカイレース。前兆としてはいつも通りに首の後ろ辺りがピリピリとしており、おそらくはレース開始に近いタイミングで“門”が開くだろう。余程なにかが起きない限りは、場所もこの空間で間違いないはずだ。


 次に出てくる“魔神”はどんなやつだろう。


 奇しくも同じ魔神と二度戦うことはなかったが、この先も出てこないとは限らない。倒し方を知っている分、楽だろうがそう簡単にはいかないのが残念なところ。逆に毎度出てくる魔神はどれも憎たらしいぐらいに特徴的なものばかりで。違う方向から苦しめられることが殆どだった。


「すぅ――」


 大きく深呼吸をして、神経を集中させる。万が一、どんな場所から出てきてもいいように警戒していると、背筋に一瞬悪寒が走った。


(――来たなっ!)


 門から現れた“それ”は、生き物かどうかも怪しいものだった。


 黒い球体が、ふわりと舞い降りてきた。ただの球体だ。

 頭も、身体も、手足もない、ただの玉。

 感情といったものがあるとは到底思えない。


 動きは……無い。様子を見ているのか?

 それとも、こちらの動きに反応するのか。


「一撃で貫いてしまえば、今回はこれで終わり――……っ!?」


 警戒を切らさないようにしながら、魔法を撃ち出そうとしたとき――急激な疲労感が身体を襲った。突然のことに身体がふらつく、それぐらいに身体が重たくなったのだ。突然のことに、頭が混乱してしまう。


 慌てるな。取り乱すんじゃない。

 これぐらいの異変、一度や二度じゃないはずだ。

 まずは状況の判断をしなければ。


 この異変の原因は……? 真っ先に思いつくのは、目の前の敵の仕業だが――


 だが、私から魔力が吸い上げられている最中、向こうの魔力が増していく様子はない。一方的に放出させられている……いや、感覚的には“吸い上げられている”なのだ。


「……チッ。さっさと葬ってしまえば、原因もはっきりする!」


 目減りしていく魔力は気になるが、静観していて状況が好転することはない。一筋の炎が、高密度の槍として魔神を貫かんと撃ち出された。これで死ぬのならそれでいい。死ななくても深手を負わせることができればと考えてはいたが――


「…………無傷か」


 炎の槍はたしかに命中した。――が、そのまま反射拡散して消えていく。

 まさに“物体”という様子で、なんの反応も返さない。

 ただただ不気味だった。


 魔法は効かないと見るべきか……?


 それなら余計な魔力を使わないで済むだけだ。


「硬そうな外見だが、凹みの一つでもできれば御の字か――!」


 気持ち魔力の減衰加減が収まった気がした。これなら力も抜けることはないだろう。スゥ、と小さく息を吸ってから、思いっきりに拳を振りかぶる。


 これでも球体は動く様子を見せないため、躊躇わず拳を打ち込んでやった。手応えは――思ったよりも硬くはなかったが、見た目の大きさの印象よりは少し重たい。大の大人を殴ったときと同じような感覚だ。


 球体は大きく吹き飛んだが、下に落下することはなく依然としてフワフワと浮き続けていた。


 ……魔力は減り続けている。

 多少は楽にはなっているが、特に乱れが起きたりはしていない。

 やはり、この敵とは関係がない……。


 …………!


「まさか――!」


 嫌な予感が頭をよぎった。

 ……あり得ない話ではない。

 むしろ、これまでの情報から考えてすんなりと説明がつく。


「ヨシュアぁ……!」


 よりにもよって、最悪のタイミングで面倒なことをしてくれた。

 後で文句を言ってやらなければ気がすまなかった。


 内心で毒づくものの、まだ敵は倒せていない。

 しかも――ようやく、向こうも動きを見せ始めたみたいだった。


 球体の表面が波打つ。それが段々と激しくなっていき、四方八方に突起ができた。かと思いきや、それがすぐさま引っ込んで、元の球体へと戻る。そんな変化を二度、三度繰り返したところで、今度は明確に何かの目的を持ったかのように形を変えていく。


 中ほどにくびれができ、上下に伸びていく。それが三つ又に分かれ、二又に分かれ、人の形が出来たかと思いきや、それだけに収まらなかった。ツルツルの頭の部分から、髪の毛らしいものが生え始め、そして目鼻立ちがくっきりとし始める。


 胸のあたりが膨らみ始めたのを見て、ようやく相手がに気がついた。


「もしかして……私の姿を真似しているのか……?」


 身長から体つきから、何から何まで私と瓜二つ。

 さて、これはどういうつもりなのだろう。


 見た目が同じ、となれば最悪は――能力まで真似されていることまで考慮しておく必要が……となる前に向こうから攻撃を仕掛けてきた。魔法、ではない。私がしたのと同じように、拳を振りかぶり打ち込んできた。


「なるほどねぇ。猿真似が自慢の奴らしい!」

 

 私に肉弾戦を挑んでくるのは珍しい。

 それなら望み通り――


「私の拳を好きなだけ、味わわせてやろうじゃないか!」

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