幕間 ~一人きりの日常へ~
「――さて、と」
首を傾げながら正門へと戻っていったテイルを見送り、寝過ぎで未だに違和感の残った首筋をコキコキと
……あーあ、これで結局逆戻りだ。
学園長が、この学園を去った。
テイルも。ヒューゴも。アリエスも。ハナも。
みんな卒業していった。
つまり――これで、また私のことを憶えているヒトが一人もいなくなったってわけだ。私の妖精は言ってしまえば私の分身みたいなものだから、こいつだけはずっと憶えていてくれるが――辛くないと言ってしまえば嘘になる。
すっかりと広く感じるようになった室内。ぐるりと眺め回した後に、体ではなく心の怠さに抗うのも面倒になってソファーへと飛び込む。仰向けになって天井を見つめていると、次から次へと後悔の念がじわじわと湧き出てくるような気がした。
覚悟をしていたとはいえ、いざその時が来ればこんなもの。
心にぽっかりと穴が開いたような気分だ。
「わかっちゃいたんだけどなぁ……」
それは一つの戯れだったのかもしれない。
変化を、刺激を求めていたのかもしれない。
学園長も――この私自身も。
『そろそろ後輩を持ってみたらどうかな。ずっと1人というのは辛いだろう』
誰のせいで、と返せなかったのは、私が犯した過ちのせい。
テイルたちの先輩となるよりももう少し前。
3年前だったか、それとも4年前だったか。
目を閉じると、あの時の光景が蘇るようだ。
人生の分岐点。大きな間違いの渦に巻き込まれた運命の日。
『このままにしておけば、学園はどうなるのだろうね。ここで解決してしまう方法もあるにはある。――君がここで自ら命を断てばいいだけだ。どうする? 自分の命を取るか、学園を取るか。それとも、君自身の手で学園を守り続けるか。さぁ、選択したまえ、ヴァレリア』
神と名乗ったあの男――ヨシュアは、何事もないようにそう言っていた。
自ら死を選び、学園を救う犠牲となるか。
汚く足掻いて生き続け、地獄へと身を投じるか。
『嫌だ……私は死にたくない……! 絶対に……!』
私は生きることを選んだ。誰だって死にたくはない。
私がその選択をしたことに対して、誰も責めることはできないはずだ。
ただ――どんな選択にだって責任が伴う。
私の場合はその責任が大きかっただけのこと。
1人で背負いきるにはあまりも大きすぎて、結局のところは壊れる寸前まで追い詰められることになったのだが、そのことに関してはおいおい語っていくことにしよう。
それまでも決して楽な人生じゃなかった。
ただ、そこから始まった“地獄”に比べりゃ可愛いもんだったのさ。
罪に罪を重ねて。重ねて。重ねて――
ずっと前から。そして、今もなお。
自分が起こしてしまったことの尻拭いは、自分自身でしないとならない。
だから――
「夢のような日常に浸るのは、今日で終わりなのさ」
そう、自分に言い聞かせる。お前が始めたことだろう、と。
反動をつけるようにして、ソファから起き上がる。
私の居場所といえばこの【知識の樹】だった。今までだってそうだったが、この三年間は特別な意味がある場所だった。テイルを始めとした後輩たちがいたことで、安らぎを得ることができていた。
『あの日常が永遠に続けば』なんてこと、願いはしない。
そもそも誰に願うというのだろうか。神もどこかへ行ったと言うのに。
……まぁ、いいんだ。十分楽しんだじゃないか。
【知識の樹】は今日をもって解散したが、この部屋は使い続ける。最後の最後でテイルに覗かれたあの部屋が無ければ、私は生きていることすら難しいからだ。
もう少し感傷に浸りたかったがそうもいかない。
大きく息を吐いてから、向かうべき場所へと赴くため扉を開けた。
定期的に確認しておかないと、また“あの日”のようなことを繰り返してしまう。
今となっては、あの嫌味な学園長もいない。より一層目を光らせておかないと。
“あの日”から、門が不安定になっている。
今となっては、誰もその存在を知らない――。
学園の最も深い場所にある、別の世界へと繋がる門が。
辿り着くための道筋の決まった、幾重の分岐を抜けた先にのみ辿り着ける魔法工房。かつてそこを居場所にしていた教師――いや、教師と呼ぶにもおこがましい最低の男だった――魔法使いが一人いた。
今となってはもういない。私が原因で命を落としたのだから。
「ふんふふ~。ん~ん~♪」
鼻歌交じりに廊下を歩きながら、幾人もの生徒達とすれ違う。
卒業生たちが去っていき、所在なさげにしている在校生たち。
私が目の前を通り過ぎても、誰も気にも留めようとしない。
気に留めたとしても、明日の朝には誰一人私のことは憶えていないだろう。
――いいんだ。
私はそんなことを、何度も、何度も、何度も繰り返してきた。
目的の“門”のある部屋に辿り着き、入口の大扉をゆっくりと開く。
「やっぱりか。……なぁ――」
ここから、またあの日常が戻るだけ。
誰かとの繋がりも持たず、変化の無い。
あったとしても、その中心には私はいない。
限りなく灰色で、無味乾燥な日常を。
「いつになったら、“お前たち”は私を解放してくれるんだ?」
扉を越えた先には、大きな門があった。
――いや、“あった”と言い表すには正確じゃあない。
扉自体は透けているし、実際にこの手で触れられるわけじゃないから。
魔法で空間に映し出されているのとも、厳密にいえば異なっている。
言うなればこれは――“門の幽霊”。どんな魔法を使ったって消せやしない。
問題は、門は未だに向こう側と繋がっていて、たまにあちらの住民がこちらへと漏れ出てくるということ。
“あいつら”を退けながら、ひたすらにその時を待つしかないのだ。
『その時が来れば、いつかは“門”自体が耐えられずに自壊していく』と
まるでガラス板に遮られているかのように、幾つもの腕が門の向こうからガリガリと空を掻いている。“あの日”に学園に現れた比ではない。おぞましい量の魔神が“門”の向こう側で
『君はここから出てくる魔神たちから、この学園を、生徒たちを護るという義務を選んだ。逃げれば生徒たちが無惨に殺されることだろう。“門”は自壊するか、君が死んで魔力の供給が断たれるまではこのままだ。是非とも頑張ってほしい。期待しているよ、ヴァレリア』
“門”をこんな形にした私が、私自身の手でなんとかしなければならない。
私には、続ける義務がある。
この学園が。この学園の生徒たちが、好きだから。
「――行こうか。ゴミ掃除の再開だ」
終わりの瞬間を迎えるまで、続けていこう。
学園を護る者として、“敵”と戦い続ける日常を。
たとえ、私のことを知るものが誰一人としていなくなっても。
そうだな、まずは――とある昔話から始めよう。
一人の“はぐれ者”が拾われて、そいつのために学園が作られる話から。
様々な人と出会い、そして別れ、そして記憶ごと隔離される話まで。
余裕があれば、その先のことも。
何があったのか、包み隠さず全てを騙ろう。
そしてできるなら――物語の終わりまでお付き合いいただきたい。
私のために作られた場所、そして物語を。
私のせいで巻き込んでしまった数々の者たちの物語を。
その終わりが、どんな形になろうとも――
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